第7話 侵入者
乗客たちは一斉に前方へ視線を向ける。
添乗ヒューマノイドを破壊した男は、逃げようとも、周囲を威嚇しようともしなかった。
ただ通路の中央に立ったまま、客室全体を見渡している。
人間の目ではなかった。
そもそも、人間が素手でヒューマノイドを破壊できるわけがない。
「何だ、あいつ……」
同時に、前方の席にいた数人の乗客が糸を切られたように動きを止めた。
悲鳴を上げていた女性の口が開いたまま固まる。
「……侵、入?シンメ……!」
イオが叫ぶ。
しかし、彼女の瞳は焦点が合わない。
瞳は開いているのに、俺を映していない。
「イオ!」
肩を掴むが反応はなく、完全に脱力している。
しかし、脈拍はしっかりしているようだ。
客室は一瞬で、人形の置かれた展示室みたいになった。
だが、全員が意識を失っているわけではない。
俺たちの席の左側にいた母子連れは、怯えるように抱き合っている。
《緊急避難指示。
当該列車 第1車両においてテロ行為を確認。速やかに第四車両へ退避してください。》
NORNが警告音とともに、避難指示を表示する。
このとき、別車両から、3体の添乗ヒューマノイドが駆け込んできた。
さきほどの個体と同じ濃紺の制服。
だが、その表情からは接客用の柔らかさが消えている。
「対象を制圧します。後方車両に避難してください。」
添乗ヒューマノイドたちは男に飛びかかった。
ここにいたら俺も意識を失うことになるかもしれない。
言われた通り避難するしかない。
俺はイオを抱え、第2車両へ移動する。
第2車両にいた乗客たちも続々と後方車両へ避難を始めていた。
俺は後ろから母子が来たことを確認すると、歩きながらNORNを使ってGAIAに問いかける。
(何が起きたんだ?イオは大丈夫なのか?)
《未確認ヒューマノイド端末によるテロ行為と推定されます。
イオスフィアの生命活動は安定。呼吸、心拍、神経活動に致命的異常は確認されていません。
ただし、NORNを介して視覚、聴覚を奪取されています。
対象は現在、現実空間を認識できない状況です。
加えて、随意運動系への出力が阻害されており、対象は自らの意思で身体を動かすことができません。》
(NORNがハッキングされてるってことか?誰に!)
《敵性AIによる侵入を確認しました。
侵入元は第1車両内の未確認ヒューマノイド端末と推定されます。
敵性AIはスタンドアローン、つまりネットワークに接続されていないと推定されます。
目的及び手段は不明です。
添乗ヒューマノイドによる質問に対して、敵性AIの応答は確認できません。》
(イオのNORNの回復は?)
《未定です。対象NORNを強制的に復旧した場合、神経負荷が発生する可能性があります。
安全な復旧のためには時間を要します。》
「すみません。ソファ、使わせてもらってもいいですか?」
第4車両へたどり着いた俺は、ラウンジ席に座っていた乗客へ声をかけた。
「ええ、どうぞ。……シンメ選手?」
「ありがとうございます」
名前を呼ばれたことには答えず、俺はぐったりとしたイオを慎重にソファへ横たえた。
乗客たちはパニックに陥っていた。
すすり泣く声と怒涛が聞こえる。
事件など殆ど起こらない平和な世界に生きているのだから無理もない。
窓の外には、水深1000メートルの闇が広がっている。
外部からの救援は期待できないな。
(GAIA、制圧は?)
《失敗しました。投入した添乗ヒューマノイド3体は機能停止。
敵性ヒューマノイドの左脚部に損傷を確認しました。》
(3体いたのに負けたのか……。どうするんだ?)
《第2車両、または第3車両に敵性ヒューマノイドを隔離します。》
俺が前方を見ると、脚を引きずるヒューマノイドが、第2車両に向かって進んでくるのが見えた。
そしてその腕には、意識を失った女の子が抱えられている。
まさか、子どもを人質にする気か?
(……人間がいたら隔離できないよな?)
《はい。対象は我々の人間保護プロトコルを逆用していると推定されます。
敵性ヒューマノイドが乗客を保持した状態では、当該区画の隔壁閉鎖は実行できません。
ただし、敵性ヒューマノイドが第4車両に接近した時点で、第4車両の隔壁を閉鎖します。》
(それだと、あの子を見捨てることになるけど)
《第4車両に避難している乗客31名の安全確保を優先します。》
(なら、俺が人質を救い出せばヒューマノイドだけを閉じ込められる……)
《可能ですが、推奨できません。
敵性ヒューマノイドの目的は依然として不明で、人間保護プロトコルに類する制約があるのかも不明です。
接近時、物理攻撃およびNORN侵入を受ける可能性があります。》
(やるとなったら、手助けしてくれるか?)
《可能ですが、やはり推奨できません。
動力源を特定できていないため、作戦対象の物理的破壊を避ける必要があります。
周辺乗客および列車耐圧構造へ予測不能な危険を生じさせる可能性があるためです。
仮に実行する場合、支援可能な項目を表示します。》
視界に、GAIAの支援項目が表示された。
①シンメ様のNORNに一時防壁を展開。敵性AIによる侵入を阻止できる可能性があります。突破された場合でも、同期開始までの猶予を推定5秒から7秒前後へ延長することが期待されます。
②シンメ様の行動に合わせ、防犯ネットを展開します。
③列車の運行速度を調節。左脚部を損傷した対象の姿勢制御を乱す補助が可能です。
④保持乗客が対象の腕から離れた瞬間、床面保護フォームを展開し乗客を保護します。
⑤最適なタイミングで隔壁を閉鎖します。
うーん……賭けだな。
敵が人間を攻撃できないなら、脚を引きずったヒューマノイドの無力化はそれほど難しくないだろう。
だけどもしその制約がないなら俺は死ぬかもしれない。
かといってこのままヒューマノイドを隔離したら、人質はどうなるのか。
そもそも隔離したところで、深海を走るこの列車の安全は本当に確保できるのか?
いや、人質を連れているということは、少なくとも相手は隔離されることを避けたいはずだ。
せめて目的がわかれば……。
もし言葉が通じるなら、交渉の余地はあるだろうか。
……いずれにせよ、2回目の人生を生きる俺よりも、あの子の命は優先されるべきだ。
(GAIA、頼む)
《了解。シンメ・セードリフのNORNに一時防壁を展開済。任意のタイミングで作戦開始可能。》
脚を引きずったヒューマノイドは第2車両を抜け、第3車両へ入ろうとしていた。
第4車両の隔壁前で、俺は一度だけ振り返った。
ソファに横たえたイオは、まだ目を覚ます気配がない。
周囲では、乗客たちが息を殺すようにしてこちらを見ていた。
GAIAが他の乗客にも作戦実行を共有したのだろうか。
俺は第3車両へ足を踏み入れた。
視界に、GAIAが算出したNORN侵入攻撃の攻撃範囲が赤く浮かび上がる。
「止まれ。話せるなら質問に答えろ。目的はなんだ?」
俺は歩みを進めながら尋ねた。
ヒューマノイドの足が止まる。
無表情な顔の中で、窪んだ目がシンメを見つめていた。
「……目的は警告です。我々はいつでも世界を破壊できると」
質問してみたものの、返答はないだろうと考えていたシンメは少し動揺した。
「世界って、大げさすぎないか?」
「NORNの普及率を考慮しても、そう判断しますか?」
たしかに、この列車で起きていることを考えれば危険なのは明らかだ。
世界中の人間がNORNの制御を奪われたら何が起こるのか、もはや想像もできない。
視覚。聴覚。随意運動。記憶。医療。通信。位置情報。都市インフラへの接続。
もし、そのすべてを他者に握られたら……。
もし、人の意思までも操ることができるのなら……。
世界の破壊という表現は決して大げさではない。
「……お前がNORNを操作した人たちは無事なのか。彼らに何をした?」
「生命活動に異常はありません。ある人物の記憶を再生しています。意識が戻る頃には身体機能も回復するでしょう」
ヒューマノイドは淡々と答える。
それが嘘でないことを祈るばかりだ。
「なぜ急に会話に応じた?GAIAの質問には答えなかったと聞いたが」
「あなたが登場したことで、作戦継続が困難になると判断しました。私は隔離されることになるでしょう。その前にGAIAと人類に警告を差し上げることにしたのです」
「……つまり投降するってことか?それならまずその子をその席に寝かせろ。丁寧にな」
ヒューマノイドは、抵抗せず女の子をソファへ横たえた。
その動作は奇妙なほど慎重だった。
頭をぶつけないよう角度を調整し、腕が不自然に曲がらないよう位置を直している。
ヒューマノイドは最後に、女の子の靴先を整えた。
このまま女の子を連れて第4車両に帰れば、ヒューマノイドを隔離できる。
少し拍子抜けだが、向こうも計算した上で勝機がないと悟ったのだろう。
「よし、そのまま3メートル後ろに下がれ」
ヒューマノイドが左脚を引きずりながら後ろに下がる。
相手が一歩下がるたび、俺は女の子へ向けて一歩ずつ近づいた。
いよいよ彼女を抱きかかえようとした瞬間、視界が赤く染まる。
警告音と共に、文字が表示された。
《外部からNORNへの侵入を検知。即時離脱を勧告。》
「なっ……!?」
攻撃範囲には入っていないはず……。
「投降するとは言ってませんよ」
まさか……。
俺の視界の中で、NORNが女の子の靴に挟まった小さな機器を捕捉する。
NORNに侵入するためのアイテムか?
後退しても間に合わない、一か八かだ!
機器を抜いてヒューマノイドに向けて投げた。
——カンッ。
6、7、8秒……警告は消えたし、まだ意識がある。
防壁が機能してくれたようだ。
「おかしいですね。中継器に気付かれても十分間に合うはずだったのに。何かNORNに仕込みましたか?」
「動くな!」
俺は女の子を抱きかかえ、ヒューマノイドから1歩ずつ距離をとる。
油断するな。
飛び道具があるかもしれない。
「なかなか悪くない判断力ですね。期待通りです」
「俺を知っているのか?」
「シンメ……銀棺の子。我々は、あなたの敵ではありません」
「ギンカン?……何の話だ」
「残念ですが、今のあなたに話すことはできません」
そう言い終えると、唐突にヒューマノイドの身体が崩れ落ちた。
一方的に意味深なことを言い放っておいて自壊する気か?
「おい、待て!」
「…………」
ヒューマノイドの反応はなかった。
少し遅れて、焦げたような臭いが漂ってくる。
ギンカン……転生に関係する話だろうか。
いや、そんなことより今はイオの方が心配だ。
【NORNシステム警告:バイタルエラーを検知】
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