第9話 赤髪のエルフ
事件があった日から2日が過ぎた。
あの日以来、イオとは顔を合わせていない。
短いメッセージは何度か交わしたが、どれも当たり障りのないものだった。
事件のことを話そうとすると、NORNの警告表示が割り込んでくる。
当事者同士のチャットですら、詳しい話はできないようだった。
一方で、GAIAからは事件に関する一定の情報が当事者へ開示されていた。
海底列車にヒューマノイド端末を送り込んだ敵性AIには、ハグレという呼称が与えられている。
世界中のネットワークを管理するGAIAは、事件発生前後の通信記録を解析した。
しかし、GAIA以外の高度AIがネットワークを使用した痕跡はどこにも見つからなかった。
つまり、あの端末は誰かに遠隔操作されていたのではなく、あらかじめ内蔵された判断機構によって動いていた。
そして、それを送り込んだ本体もまた、GAIAの管理網から完全に切り離された場所に存在しているというのが、GAIAの推論だった。
さらに厄介なことに、列車内に現れたヒューマノイド端末からも、有効な情報はほとんど得られていなかった。
内部構造の解析を試みたが、動力系は停止し、記憶媒体、制御核には高熱による不可逆損傷が確認されたという。
外装や関節部にはいくらか原形が残っていたものの、そこから製造元や設計思想を辿ることは難しかった。
小型中継機も同様に内部回路が崩壊しており、NORN侵入の技術的構造を解析することはできていない。
それが偶然の故障ではないことは明らかだった。
GAIA総務局の医療区画。
俺は追加の神経検査を受けていた。
NORNへの侵入攻撃を受けた乗客は、念のため追加検査を受けるよう指示されている。
「ただいまより5分間。NORN全機能を停止します」
医療ヒューマノイドが声を発した。
俺はこの世界に来た時からNORNが埋め込まれていたから、素の脳を体験するのは初めてのことだった。
NORNを使うときのように脳内で言語指示や概念指示を行っても全く反応がない。
もう慣れてしまったけど、これが普通なんだよな。
普段拡張現実や端末の操作で頭を使ってる分、むしろ思考が軽くなったように思える。
そういえば、海底列車でイオを悲しませてしまったシミュレーションの話は、今思えば重要な要素を見落としていた。
上位存在が、ただ人間になりたいだけならこの世界は生まれないだろう。
この世界の文化やルーツは、前世の世界の面影を感じる。
食事、服装、固有名詞、それに歴史まで。
どれも前世と似てる。
人間が誕生してからシミュレーションしたにしては似すぎている。
もちろんシミュレーションが無数にされているのなら、似た世界が作られることはあるだろうけど、憑依を前提にしたら効率が悪すぎる。
やはり、この世界は前世と関係があるんじゃないか?
そもそも、前世もシミュレーション世界だったという可能性もあるな。
なんかもう怖くなってきた……。
そんなことをぼんやり考えていると、検査が終わった。
特に異常もないようだ。
検査中停止されていたNORNの機能が正常であることを確かめる。
俺は医療区画から出て、正面ゲートへと向かう回廊を歩いていた。
夜だからか、人の姿は多くない。
回廊から見える中庭の中央には、大きな柳の木がそびえ立っていた。
上空には人口オーロラが広がり、柳の枝葉からこぼれた光が揺れている。
イオに見せたいな。
ふと前を見ると、二人のエルフがこちらに向かって歩いてくるのに気付いた。
1人はさっき思い浮かべた人物だ。
隣にいるのは見知らぬエルフの男だった。
一九〇センチメートルを優に超える長身。
赤色の髪を後ろで束ね、服装は全身黒色で統一されていた。
長い耳と整った顔立ちが、イオと同じ世界に住む存在だということを雄弁に主張する。
淡い光に照らされた二人は、あまりにも絵になっていた。
二人は言葉を交わしている様子はなかったが、NORNで会話をしているということは察することができた。
人に聞かれては困る話なのだろうか。
雰囲気からも深刻そうな様子が伝わってくる。
俺が話しかけようかと逡巡していると、イオと目があった。
彼女の表情が驚きに揺れる。
「シンメ……?」
「やあ」
シンメはイオに短く声をかけると、エルフの男を見上げて小さく会釈する。
「……イオスフィアのご友人ですか?」
男は低い声で俺に尋ねる。
見透かすような眼差しは、エルフらしくやや冷たい。
「ええ。シンメといいます」
「私はファルクスと申します。彼女が幼い頃からの短い付き合いですが、親しくさせてもらっています」
ファルクスはそう言ってイオを一瞥する。
これはエルフジョークというやつなのか?
あまりおもしろくはないな。
「堅そうに見えるけど、ただの変わり者よ。ずっとゲーム世界にダイブしたまま帰ってこない中毒者なの」
「あれは没頭型の学習であって遊んでいるわけではない。それに、メッセージには応答するし仕事もゲーム内でこなしている」
「仕事があるんですか?」
「ええ、旧文明の真似事ですよ。エルフには懐古主義者が多いのです」
「たしかに、イオもそういうところがありますね」
シンメがそう言うと、イオスフィアは少し不満そうな顔をする。
「私の場合は文化研究。ファルのは現実逃避」
「現実はあまりにも刺激に欠けている」
「深刻なドーパミン中毒ね……」
どんな仕事をしているのか。
ゲームばかりしているというのに、どうやってこれほど精悍な身体を維持しているのか。
イオとはどういう関係なのか。
聞きたいことが溢れてくるが、二人の掛け合いに割って入るタイミングが掴めない。
「ところで、シンメ殿はイオスフィアと恋仲になりたいのですか?」
「ちょっとファル!何を急に——」
「これは失礼いたしました。もちろん、人間がエルフに懸想することなどまずないでしょう。ただ、万が一あなたがそうであった場合、諦めてもらう他ないということをお伝えしておきたかったのです」
「余計なこと言わないで!」
ファルクスは怒りを露にするイオを意に介さず、俺を見つめる。
「……答える前に、先に理由を聞いても?」
「ええ、構いません。不躾な質問をしてしまいましたが、実のところ、人間がエルフに恋心を抱くことは禁じられていません」
「……人間が?」
ファルクスは静かに頷く。
「ですが、エルフがそれに応えることは禁止されています」
「……そうなんですか」
「その反応を見るに、勘付かれてましたか?」
「なんとなく予想はしていましたので」
当たってほしくはなかったが……。
「正確には、人間との恋愛関係、婚姻に相当する契約、長期的な共同生活、繁殖を前提とする関係、その他これらに準ずる情緒的拘束関係が禁じられています」
「なるほど……異種間ですし、一定理解できる話ではあります。しかし、なぜわざわざそんな忠告を?」
「せっかく稀有な友情が築けたのです。万が一にでも、恋愛感情によってそれが壊れてしまうのは見たくないと思いまして。余計な口出しであることは承知しています」
ファルクスは頭を下げて続けた。
「これからも、友人としてイオスフィアと仲良くしてあげてください」
「それは、もちろんです」
俺は、少しぎこちない笑みで答えた。
本人の言う通り、ファルクスからは悪意を感じない。
むしろ、イオを傷付けたくないという意図があるのかもしれない。
ファルクスのお節介に多少の苛立ちを覚えなかったといえば嘘になる。
しかしそれよりも、イオの浮かない表情が気になった。
罪悪感を感じているのだろうか?
恋愛感情がわからないと言っていたイオがこの話を俺にしなかったの当然のことなのに。
「俺はイオのことを大事な友だちだと思ってたし、これからもそれは変わらないよ」
俺は軽い調子で話すよう努めた。
「……ありがとう」
イオは小さく息を吐いた。
それから、じろりとファルクスを睨みつける。
「だからそういう関係じゃないって言ったのに」
「……悪かった。シンメ殿、申し訳ない」
ファルクスは再び頭を下げた。
「いえ、構いませんよ。なんというか、ファルクスさんもいい意味でエルフらしくないですね」
「エルフの中では特別開放的な性格の持ち主だと自負しております。それでもイオには敵いませんがね」
「あなたみたいに必要ないことをベラベラ喋ったりしないわよ」
イオはファルクスの軽口に不快感を示す。
「私は検査行くけど、シンメは終わったところ?」
「ああ。特に異常はなかったよ」
「よかった。じゃ、行ってくるね」
お互い小さく手を振ると、イオは1人で医療区画へと向かった。
ん?ファルクスは一緒にいかないのか?
「イオはまだ若いから、感情が豊かで微笑ましいです」
怒らせた本人が言うんだな。
「若いって、いくつなんですか?」
「たしか、まだ三〇にもなってないはずです。ちなみに、私は彼女の一五倍は生きてます」
ファルクスはなぜか恥ずかしそうな顔をしている。
いや、ファルクスのことはどうでもいいけど、イオは思ったよりずっと若い。
まあ見た目は十代にしか見えないんだけどな。
「ところでシンメ殿。今から少しお時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」
【NORNシステム警告:バイタルエラーを検知】
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