第5話 ケレスボール
母さんの家に来て10年が経った。
つまり、俺は今20歳。
母さんというのは、いうまでもなくミキさんのことだ。
本人が「そう呼んでほしい」というから、俺は素直にそう呼んでいる。
最初は、なかなか抵抗があった。
自認はまだおじさん寄りだったから、年下に見える女性を母さんと呼ぶのはちょっと恥ずかしかった。
だが、十年も一緒に暮らせば話は別だ。
実際に、彼女の振る舞いは紛れもなく母さんだった。
この世界では珍しく手作りの料理を作ってくれたし、やたら心配性なところもまさに母親って感じだ。
今、俺が人気スポーツのトッププレイヤーとしてやれているのも、少なからず母さんのおかげだった。
俺がやっている競技の名前は、ケレスボール。
直径50メートルの球形競技場で行われる重力球技だ。
競技場は、外から見ると巨大なガラス玉みたいに透き通っている。
その中を、14人の選手が縦横無尽に飛び回る。
重力は地上の35分の1まで制御されており、ボールに最も近い壁面へ重力が引かれるのがこの競技最大の特徴だった。
壁を蹴れば、反対側の壁まで身体が吹き飛ぶ。
選手たちは空間そのものを駆け引きしながら、相手ゴールへボールを叩き込む。
慣れても酔うし、頭が忙しいけど、楽しいスポーツだ。
『ゴォォール!!アストロ・シープ、厳しい試合展開ですが見事なゴールを奪ってみせました!』
実況の声と同時に、球形スタジアムが歓声で震えた。
渦巻いた羊の角が付けられた黄色いヘルメットの選手たちが、反転した壁面を蹴って守備陣形を整える。
アストロ・シープ。
今シーズン4位の中堅チームだ。
そして俺たちは、赤い猫耳ヘルメットのクリムゾンライオンズ。
チーム名はかっこいい。
ヘルメットは、まあ、うん。
広報戦略らしい。
キーパーからボールが放られる。
俺は逆さまのまま天井を走り、ボールを受け取った。
その瞬間、重力の中心が俺の足元へ変わる。
羊角ヘルメットのディフェンダーが一人、真正面から突っ込んでくる。
俺は天井を蹴った。
ふわりと身体が落ちる。
その瞬間、ボールを真横へ流した。
「オランゴ!」
「任せろ!」
交差してきたオランゴがボールを受け取る。
重力の中心が、今度はオランゴ側へ移った。
周囲のディフェンダーは重力の切り替わりに身体を持っていかれ、空中で一瞬だけ動きが止まる。
ケレスボールでは空中で止まるというのは、ほぼ死に等しい。
オランゴがゴールへ向けてボールを蹴り出す。
キーパーが前へ飛び出した。
だが、そこにいたのはマックだった。
「もらいっ!」
マックはキーパーと位置を入れ替えるように回転し、そのまま無人のゴールへボールを叩き込む。
『決まったぁぁ!! やはり強すぎるクリムゾンライオンズ!! 圧倒的です!!』
赤いユニフォームで埋まった観客席が、爆発したように沸き上がる。
その最前列に、一人のエルフがいた。
スポーツ観戦を好む珍しいエルフとして、イオはライオンズファンの間ではすっかり名物になっている。
イオはキンキンに冷えた炭酸アルカを一気に煽ると、楽しそうに人差し指を突き上げた。
もはや人間社会に馴染みすぎている。
ちなみにアルカというのは、前世で言う酒に近い飲料だ。
エタノールの代わりに、快楽物質分泌を自然誘導させる成分が入っている。
「シンメー! もう一本!」
「「「もう一本!!!」」」
周囲の観客たちまで便乗する。
やめろ。
簡単に言うな。
しかも今のゴール、俺じゃない。
俺は苦笑しながら後方へ跳ね、空中でくるりと回転した。
そのままイオへ向けて、人差し指を立てた。
歓声がさらに大きくなる。
昔は苦手だったファンサービスも、選手生活の中で多少は板についてきた。
残り時間は少ない。
あと一本。
決めるなら今だ。
「モチオ、5番頼む!」
「はいよっ!」
体格のいいモチオが、ボール保持者へ弾丸のように突っ込んだ。
慌てて放られたパス。
その軌道に、俺は滑り込む。
空中でボールを奪取。
歓声が一段高くなった。
3人のディフェンダーが同時に飛び込んでくる。
「やらせないメェ!」
「そうこなくちゃ!」
俺はボールを天井へ強く蹴り上げた。
重力の方向が変わるのを利用し、ディフェンダーの上に身体を入れた。
腕でディフェンダーを抑えつけながら、跳ね返ってきたボールをオーバーヘッドでゴールに蹴り出す。
いける。
そう思った瞬間。
バシッ。
キーパーの指先がわずかに届いた。
弾かれたボールが高く舞う。
ため息と拍手の中、試合終了のブザーが鳴り響いた。
『試合終了ォ!!!18-5でクリムソンライオンズの圧勝!5試合を残して、今シーズンの優勝を決めました!』
「くぅ、いい反射神経してんなぁ」
「ファンの女の子の前でかっこつけようとしやがって、そんなこと絶対に許さん!」
「お前……」
マックがにやにやしながら近づいてくる。
「いやあ、惜しかったなぁ。決めてたら、あのエルフちゃんも惚れ直したかもしれないのに」
「うるさいな。惚れ直す以前に、惚れられてないって」
「あっはははは。そうだったな」
笑いすぎだろ。
だが俺が言い返すより早く、赤いライオンのホログラムが空間を駆け抜けた。
巨大な鬣を揺らしながら咆哮し、無数の光粒子が選手たちの周囲を流星のように旋回する。
大きな拍手と歓声の中、重力の向きが地上へ戻った。
選手たちは思い思いのパフォーマンスをしながら、ゆっくり降下していく。
俺は客席に手を振りながら、猫耳ヘルメットを外した。
観客席の最前列、イオが大きく手を振っていた。
紫色の髪がホログラムの光を受けて輝いている。
イオは口元に手を添え、わざとらしく叫んだ。
「シンメー! ナイスシュート!」
周囲の観客が笑う。
「「「ナイッシュート!!!」」」
「外したんだよなぁ……」
俺は呆れたように肩を落とした。
すると横から、マックが肘で小突いてくる。
「ったく。見せつけやがって。いい加減付き合っちゃえよ」
「……ああ見えて鉄壁なんだよ」
「シンメ先生の頭脳を駆使しても落とせないなんてなぁ。あんまりウジウジしてると手遅れになるぞ」
「誰かに取られるってことか?」
「ああ。まあ、いくら社交的でかわいいからってわざわざエルフに手を出そうって人間はそういないだろうけどな」
「わからんよ、お前みたいに見境ないやついるしな」
「よくわかったな。俺、1回フラれてる」
「は!?」
思わず声が裏返った。
こいつ、行動力だけは世界大会級だ。
マックという例外はともかく、エルフと人間の恋愛はかなり珍しいらしい。
珍しいというか、前例がないかもしれない。
フィクション作品ではそういうテーマもあるらしいが、どんな作品でも結末は決まって悲劇だった。
人間は先に老い、先に死ぬ。
残されるエルフは、長い時を独りで生き続ける。
それだけならまだ、よくある長命種の悲恋だ。
だが、この世界ではもう一つ、大きな違いがある。
人間は旅を終えれば天国へ帰る。
けれど、エルフにはその概念がない。
エルフは天国へ還らない。
まあ俺は天国がどうとかはそんなに気にしてないんだけどな。
では、マックのアプローチは、イオスフィアに”人間との恋愛”の可能性を少しでも意識させただろうか。
たぶん、していない。
少なくとも彼女が、俺たち人間を“そういう対象”として見ている気配を感じたことは、一度もなかった。
俺は観客席のイオを見る。
彼女は俺に気づくと、また嬉しそうに手を振った。
その笑顔を見ていると、胸の奥が少しだけ苦しくなる。
これだけ仲良くなれただけでも奇跡みたいなものだ。
それなのにまだ満足できないなんて。
欲望とは果てしないな。
《Incoming Call : EOSPHEA》
シンメは家事ヒューマノイドのマッサージを受けていると、視界の端に淡い青色の通知が浮かぶ。
シンメが承認すると、頬杖をついたイオスフィアが目の前に現れる。
ホログラムではなく、NORNが視覚に干渉しているため、よりリアルな質感で再現されている。
「おつかれ、スター選手」
「ああ。試合、観に来てくれてありがとな」
「ふふっ最後のは惜しかったわね」
「キーパーがさ、『イオの前でカッコつけるのは絶対に許さん』って言ってた」
「あはははっ。いい性格してるね~」
「とはいえ、あれを決められないようじゃ引退考えないとな」
「あら、もう猫耳シンメが見られなくなっちゃう?」
イオスフィアが両手を頭につけ、猫耳のジェスチャーをする。
……かわいいな。
「あれも引退理由の1つだな……」
「あはは。シンメ選手は私が育てたのになぁ」
「ああ。イオが教えてくれたナッシュ均衡のおかげで活躍できてるもんな」
「人間なのに理解できるシンメがすごいけどね。それにいくらNORN使ってても、普通は動きながら演算と指示できないもの」
「それが、最近試合の後半になると頭が働かなくなってきててさ」
「……そうなの?」
イオの顔が少し曇る。
「まあ、簡単な試合が続いて気が緩んでるだけだと思う」
「無理はしちゃダメだからね」
「ああ」
少しだけ沈黙が流れる。
するとイオは何かを思いついたように、ぱっと顔を上げた。
「あっ、そうだ! 優勝記念に羽を伸ばしに行かない?」
「いいね。行きたいところある?」
「海底列車!」
イオは身を乗り出しながら答えた。
「最近、人間の間ですごく人気なんだって。窓の外を大きな魚やクジラが泳いでいくらしいの。人間の友達が『人生で一度は乗るべき』って大絶賛してて、ずっと気になってたんだ」
「へぇ。イオがそこまで言うなら行ってみたいな」
「本当?じゃあ決まり!」
イオは嬉しそうに両手を合わせる。
思わずガッツポーズをしそうになるが、寸前で踏みとどまった。
俺がイオの姿を見ているように、向こうからもこちらの姿は見えているのだから。
「今日は疲れてるだろうから、早めに寝なよ」
「そうだな、もう寝ることにするよ」
「1人で眠れる?寝るまでお話してあげよっか」
「子ども扱いは勘弁してくれよ」
「私にとってはまだまだ子どもなんだから」
手を振るイオが笑いながらフェードアウトする。
「まだまだ子ども、か……」
イオが猫耳のジェスチャーをしている動画をアーカイブに保存しながら、ため息をついた。
髭を伸ばし、意識して声も低くしているというのに、未だに子ども扱いされるのはショックでしかない。
まあ、エルフが長命すぎるから仕方ないか。
【NORNシステム警告:バイタルエラーを検知】
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