第4話 引越し
それから、俺は1ヶ月ほどイオの家で過ごした。
結局、俺、いやシンメ少年の家族は見つからなかった。
そのため、俺は人間の里親に預けられることになった。
そして今日は、イオの家で過ごす最後の日だった。
「不安?」
「ううん。いい人そうだったから」
「そうだね。ミキさんはすごくいい人だと思う。私も安心してシンメを任せられるわ」
「あはは、まるで母親みたい」
そう言ってから、ふと気になった。
「不思議なんだけどさ、なんでイオが僕の面倒を見ることになったの?」
「私がやりたいって言ったの。治療室で偶然シンメのことを見つけて、色々聞いてるうちに興味が湧いたんだ」
「偶然?」
「クラゲちゃんが間違えてシンメのいた部屋に入っちゃってね」
イオは俺の隣に浮いているクラゲちゃんを見ながら笑った。
「クラゲちゃんがいなかったら他のエルフのところで過ごしてたってことか……」
それは想像するだけで、少し背筋が寒くなる。
居住区の他のエルフたちは、相変わらず俺に無関心か、冷たい視線を向けてくるだけだったからだ。
「ふふ。そうはならなかったから安心して。私が引き受けなければ、ヒューマノイドが担当する予定だったの」
「ああ、それは納得。でも、イオで本当に良かったよ」
「そう思ってもらえたなら嬉しいわ。本当はずっと一緒にいたかったんだけど、制度上の事情で振り回してしまってごめんね」
「イオの優しさは十分伝わってるから大丈夫。あのさ……人間の街に行っても、連絡してもいいかな?」
俺は上目遣いでイオを見つめた。
もちろん、美少年の顔を利用したつもりはない。
サラリーマン時代に身についた、上司の顔色をうかがう癖だ。
イオは何かを飲み込むように唇を結ぶ。
そしてゆっくり立ち上がると、俺の隣まで歩いてきた。
次の瞬間、ギュッと抱きしめられた。
「もちろんよ。シンメはずっと、私の大事な人なんだから」
耳元でそう囁かれた瞬間、頭が真っ白になった。
柔らかい感触と甘い香りが思考を塗り潰していく。
まずい。
心臓が暴れている。
落ち着け。
この抱擁は俺ではなく、かわいそうな少年シンメ君に向けられている。
やましい心を持っていたら罰が当たるんじゃないか?
心を無にしよう。
俺は頭の中で素数を数えながらお経を唱え始めた。
「だから、いつでも連絡して。私もするから」
「……うん。必ず」
イオとの関係が、短い思い出で終わらない。
そう分かっただけで、胸の奥が少し軽くなった。
もし人間の世界でうまく生きていけなかったとしても、イオがいるのなら苦にならない。
「じゃ、そろそろ行こうか」
俺たちは移動用ポッドで人間の街へ向かった。
道中、イオとNORN経由で写真を共有しながら盛り上がった。
クラゲちゃんが撮った俺の写真を見てイオが笑い、イオが昔撮った街の写真を見て俺が驚く。
そんなことをしているうちに、十五分ほどでポッドは高層居住区の発着場へ静かに降りた。
エルフの居住区とは違い、ここには樹木のような建物はない。
代わりに、透明な外殻をまとった高層住宅が、空へ向かって何本も伸びている。
建物の表面には淡い光の線が走り、窓辺には小さな庭や水槽が浮かんでいた。
住宅同士は空中回廊で結ばれ、その途中には小さな公園や休憩所まである。
子どもたちが低重力の遊具で跳ねている。
あれ、楽しそうだな。
そういえば、都市全体からすると、エルフの居住区はかなり小さいらしい。
単純に人間との人口差が大きいことと、内向的な性格のエルフが多いことが理由だと、NORNは説明していた。
つまり、この世界の大部分は人間の生活圏だ。
「シンメ、イオスフィアちゃん!」
ミキさんは、俺たちに気づくとぱっと顔を明るくした。
見た目は二十代後半くらいだろうか。
面談の時にも思ったが、母親というより、近所にいる面倒見のいいお姉さんという印象だ。
柔らかそうな茶色の髪をゆるくまとめ、淡いベージュの服を着ている。
派手ではないけれど、不思議と目を引く人だった。
「こんにちは、ミキさん」
「こんにちは。面談の時より、少し顔色がいいね」
「イオのおかげでね」
そう言うと、隣にいたイオが少し照れたように笑った。
まあ、面談のときは不安と緊張で顔色が良くなかっただけだろうけど。
「ちゃんと食べて、ちゃんと寝てくれたからよ」
「えらい」
ミキさんに頭を撫でられる。
子ども扱いがむず痒い。
「今日からよろしくお願いします」
俺が頭を下げると、ミキさんは一瞬だけ目を丸くした。
「わあ。すごく丁寧。こちらこそよろしくお願いします」
ミキさんも俺に向けて軽く頭を下げた。
そしてイオの方に向き直る。
「イオスフィアちゃんも今までありがとうね。よかったら、これからも私達と仲良くしてくれると嬉しいな」
「ええ、もちろん。これからシンメをよろしくお願いします」
イオはそう言って、少しだけ真面目な顔で頭を下げた。
その横顔を見て、胸の奥が小さく締めつけられる。
「イオ。一ヶ月ありがとう」
「最初の一ヶ月が終わっただけよ」
イオはそう言って、俺の頬を指でぷにぷにと押した。
この一ヶ月、何度もやられたから、もう慣れてしまった。
もちろん全然嫌じゃない。
「行ってらっしゃい。シンメ」
「うん、行ってきます」
会えなくなるわけじゃない。
でも、一緒に暮らしていたのだから、やっぱり少し寂しい。
俺はクラゲちゃんを肩の横に浮かべたまま、ミキさんの家へ足を踏み入れた。
高層住宅の一室は、初めて訪れたのに不思議と安心感であふれていた。




