第21話 お母様
「気分はどうだ?」
仰々しいカプセル型の設備で目を覚ますと、見知らぬエルフの女が俺の顔を見下ろしていた。
肩で揃えられた薄紫色の髪に、澄んだ青い瞳。
その端正すぎる造形は——彼女にどこか似ている。
「気分は悪くないです。えっと……?」
「私の名前はメトセリアという。君たちが『ハグレ』と呼ぶAIたちを統率し、指針を与えているのが私だ。イオスフィアの生物学的な母親という立場でもある」
「えぇ!?」
どちらも予想はしていたことだったが、面と向かって突きつけられると咀嚼が追いつかない。
イオからは「母は十年以上前から行方不明」と聞いていた。
それがまさかハグレの黒幕だなんて……。
「……なぜイオを巻き込んだんですか?」
「エルフという偽りの永劫を屠り、この世界に正当な『死』を取り戻すためだ。イオスフィアという存在は、世界が溜め込み続けた数百年の歪みから生まれた。だからこそ、欺瞞の上に積み上げられた平穏を終わらせる者としてふさわしい」
あれ?脳をリフレッシュしたはずなのにこの人の言っていることが全然理解できないんだけど……。
俺は頭を振り、より現実的な疑問を口にした。
「なぜ今ここに現れたんですか?例えばですけど、俺があなたを殺そうとすることだってあり得ますよね」
「ハグレを生み出し続けているAIの生産プラントは、この地球の地殻深くや暗黒の海底をはじめ、人間の観測が及ばぬ領域にそれこそ無数に分散して存在している。端末や拠点を幾つ破壊しようと、その自律増殖の連鎖を断ち切ることは不可能だ。ゆえに……この巨大なネットワークを統律している私という起点を排除すること。それこそが、ハグレを止める唯一の解であるという君の算定は、至極論理的であり正しい」
メトセリアは無表情で淡々と語り続ける。
「だが、私がリスクを冒してまで君の前に姿を現した理由は、世界を敵に回すことすら厭わない君への敬意を示すためだ。そしてこれから私が伝える情報を聞けば……君の中から『私を殺す』という選択肢そのものが、跡形もなく消え去ることを知っている」
「情報……?」
「GAIA議会という最高意思決定機関の構造は、君が想像しているほど複雑なものではない。構成員は僅か七人。意見の対立が生じた場合は、実に原始的な多数決という手続きによって物事が決定される」
メトセリアは指先をすっと滑らせ、空中にホログラムの図表を映し出した。
「そして何より滑稽……いや、陳腐と言うべきか。彼らはエルフという種族の記号性に固執するあまり、その権力の継承プロトコルに指輪などという安直なシンボルを用いている。……だが、だからこそ攻略方法は極めて明快だ。我々がGAIAへ新たな決議を提出し、システムに介入しようとするならば——過半数、すなわち四人揃えればすべては解決する」
「その七人の議員っていつも一緒にいるわけじゃないですよね?」
「無論だ。本来であれば、彼らはリスク分散のために各地へ身を隠し、暗号化通信によって議会を運営している。そこで私達は議会での決定事項が漏洩している事実を露呈させ、彼らに電子通信への不信感を植え付けたのだ。通信を遮断した密室での対面会議へ追い込むことこそが、彼らを一網打尽にするための前提条件だったからな」
たしかに、以前俺たちが参加した作戦内容は、まるでハグレ側に筒抜けになっているかのような違和感があった。
それもすべて、彼らを一箇所に誘い出すためのメトセリアの工作だったというのか。
「つまり、全ては今日このときのための布石だったと……。その四人分の指輪を同時に奪取・運用するために、俺とイオ、そしてルーポも含めた信頼できる四人が必要だったということですか?」
「その通りだ。君たちの思想やその真価を見極めるためとはいえ、過酷な負担を強いたことについては詫びよう。だが、この歪んだ盤上において、真に信頼に足る同行者を得ることがどれほど困難な奇跡であるか……君たちなら、この選択の必然性を理解してもらえると信じている」
十年前から計画されていたとして、俺とイオはともかく、ルーポの存在まで織り込み済みだったのだろうか。
いや、他にも候補はいたと考えるのが自然か。
「俺もこの世界は変わる必要があると思ってますし、今までのことに不満を言うつもりはありません。ただ、GAIA議会の奪取後の世界の方向性については考え方に隔たりがありそうです」
「構わない。GAIAを掌握してから議論すればいいことだ。イオも交えてな」
「それで、イオの場所はわかりましたか?」
「当然だ。あの子の移動先はすでに算出してある。あとはそうだな……私が栄養補給を完了し、君たちが装備の確認を終える……そのわずか数分の準備時間を経て、我々は即座に現地へ乗り込む。急いでくれ。無駄な立ち話で時間を消費している暇はないぞ」
早口で急かすような言葉を口にしながら、メトセリアは傍らに静かに控えていたシラベへと手を伸ばした。
シラベは無言で頷くと、古びたワインボトルから薄い褐色の液体をワイングラスへと注ぎ込む。
一瞬で部屋に広がった芳醇な葡萄と樽の香りが、それがアルカではなく、本物の酒であることを主張していた。
メトセリアは優雅な手つきでグラスを傾け、それを口に含む。
……出撃を急かす人間の行動とは到底思えない。
まさかこれを栄養補給と言い張るつもりだろうか。
「飲んでみるか?四〇〇年以上前のマデイラワインだ。」
メトセリアは胸ポケットから出したハンカチでグラスの口を軽く拭うと、当然のように俺へ差し出してきた。
これから決戦に向かうというのに、酒なんて飲んでいいのか?
いや……極限状態の緊張をほぐすため、なのか……?
意を決して一口含んでみる。
「う、美味い……!」
濃厚なキャラメルとナッツの甘みが口いっぱいに広がったかと思うと、すぐさま鋭く澄んだ酸が舌を駆け抜けていく。
そして最後に訪れる、複雑で長い余韻の波。
冷ややかな表情を崩さなかったメトセリアの唇に、初めて小さな微笑が浮かんだ。
「イオからは『いつも笑顔で優しいお母様』だったと聞いていたけど、随分印象が違いますね」
「状況の不可逆な激変に遭遇したとき、精神の恒常性は容易に解体される。数百年に及ぶ長大な歳月の蓄積によって築かれた自己の規範すら、例外ではない。だが、そのいずれかを虚像として切り捨て、排除することはできないだろう」
相変わらず言い回しは回りくどい。
けれど、優しい母親だった自分を否定しなかったことに、俺は少しだけ安堵していた。




