第18話 耳
朝の光がひどく目に障る。
親しい人間との別れが初めてだった私にとって、昨日の夜はあまりにも短すぎた。
「人間には……どうして寿命があるのだろう」
そういう生き物だと言ってしまえばそれまでだ。
でも私はどうしてもその死に、正当な意味を見出したかった。
そうでなければ、死というものはあまりにも悲しすぎるから。
生物学的多様性を維持するため?
環境も病原体もコントロールできるこの時代において、遺伝子のシャッフルが止まったところで、種の存続が脅かされることなどあり得ない。
では、有限な寿命があるからこそ、生に輝きや価値が生まれるとでもいうのだろうか。
——それも欺瞞だ。
私たちエルフは人間に比べていくらか内向的ではあるけれど、何百年もの時を重ねた今だって、日々のささやかな営みを、人生を、心から楽しんでいる。
じゃあ、上位存在や天国があるから?
たしかにそれは生を意味付け、死の絶望を綺麗に塗りつぶしている。
なのに、心のどこかでこの考え方を受け入れられない。
「シンメもいつか、私のことを置いていっちゃうのかな……?」
《まもなく移動ポッドが到着します。》
「……もうこんな時間だったのね」
今日は久しぶりにお父様と会う約束をしていた。
私たちは、仲睦まじい普通の親子とは違う。
今日のことだって、わざわざファルクス経由で会いたいと懇願しなければ、約束の席を設けることすらできなかった。
こうして苦労して取り付けた機会なのに、どうも足が重いのは、気分が落ち込んでいるからだけじゃない。
目的がよくわからなくなってしまったからだ。
こんな馬鹿げた話がある?
お父様に話すのは、私の恋愛感情が抑制されていることについて……?
でも、それをお父様に話して何になるの?
お父様が何とかしてくれるとでも?
モヤモヤした気持ちを抱えながら家を出て、待機していたポッドに入る。
「……あれ?」
NORNで扉を閉めるよう指示したが、ポッドの反応がない。
その直後、閉まりかけたスライドドアの隙間に、一人の見知らぬ少年が滑り込んできた。
「おはよう。イオスフィア」
「誰……!?」
《外部からNORNへの侵入を検知しました。緊急通報を行います。》
またハッキング……!?
指先一つ動かせない。
自分の身体が、自分のものではなくなったような感覚。
怖い……。
声帯すらロックされ、助けを呼ぶ悲鳴すら喉の奥に張り付いて出てこない。
無慈悲にもポッドの扉が閉まり、移動を始める。
「ごめんね。時間がなかったから強引な手段になったけど、君の味方だから安心して」
意識が薄れていく……。
——……フィア。
——イオスフィア。起きて。全部、教えてあげるよ。
脳の奥に直接滑り込んでくるような、どこか幼く、透き通った声。
目を開けると、移動ポッドの淡い間接照明の中に、心配そうにこちらを覗き込む少年の顔があった。
身体は動くようになっている。
私は小さく息を吐き、恐怖を押し殺した。
彼らは私の知らない、知らなくてはいけないことを知っている。
「あなた、ハグレね。私をどこへ連れていくつもり?」
毅然と睨みつける私に、少年はただ穏やかに微笑み返す。
「目的地は変わらないよ。GAIA総務局……そこで乗り換えだよね?」
「……どこまで知っているの?」
「君の知っていることは全部知ってる。記憶を見させてもらったからね。お父さんに会いに行くのに、目的が曖昧な気がしている。そうだよね?」
「……ええ」
「イオスフィア、君の記憶は一部、NORNの検閲によって消されたんだ。正確には、記憶を検索するためのインデックスを削除されている状態になってた」
「検閲……。GAIAにとって、都合の悪い情報だったから?」
ふと、シンメのことを思い出した。
あのとき、彼は私の手紙の内容を理解できなかったのではなく——私と同じように記憶を消されていたんだ。
「うん。でも安心して。君の大事な記憶への道は開いておいたから。そうだね、海底列車のときから辿ってみようか。まぁ、海底列車のログは回収できていないから、間違っているところがあったら教えてほしいな」
私は話を急かすように頷いた。
「海底列車でハッキングされたとき、君のNORNはGAIAからの検閲、そして感情抑制が無効化されていたんだ。だから君は、エルフの恋心が消されているという考えにたどり着けた。感情抑制は、列車から降りたときの簡易検査のときに元に戻されてしまったみたいだけどね」
「……でも、感情抑制について私が自覚していたことは、検閲の対象じゃないの?さっきまで私は検閲されている状態だったのに、このことは覚えていたわ」
「そこは僕も不思議に思っているんだ。たぶん検閲対象ではあったはず。NORNの追加検査があった日、検閲は再適用された。でもそのときはあえてその記憶を消さないよう例外設定したんだ」
私がファルクスを通じてお父様と会うためのアポイントを取り付けたのは追加検査の直前だった。
あれから検査までの短い時間でそんな判断が行われていたということか。
「なんでそんなことを?」
「わからないけど、お父さんは君の恋バナが聞きたかったんじゃないかな?」
私は鼻で笑いそうになった。
あの人に限って、そんなことはあり得ない。
普通の親子のような愛を、私はあのお父様から一度だって感じたことがないのだから。
「……それより、私が忘れてたものって何だったの?」
「海底列車で君が見たのは、最終戦争の会議の記憶で合ってる?」
「ええ。あぁ……思い出した!あのとき、お父様に似ている人がいて……」
今のお父様に比べたらずっと老けてるけど、どこかお父様の面影がある男性。
私と同じ瞳の色をした彼の耳は、尖ってはいなかった。
「君のお父さんにそっくりな人間が、どうして四百年前に実在しているんだろうね」
「あの日から検査で記憶を消されるまでの間に、いくつかの仮説を立てたのを覚えてる……」
喉が、カラカラに乾いていた。
「じゃあ、僕から一つ、GAIAに隠された決定的な真実を教えてあげる。最終戦争で奪い合ったのは、高度なAIなんかじゃない——『不老』の技術さ。脳さえも若返らせることができる究極の医療技術だよ」
……考えてみれば、あまりにも当然のことだった。
これだけ技術が進歩した時代に、人間の脳を老化を克服できていない方がおかしい。
きっと、不思議に思う度に、検閲で記憶を消されていたのだろう。
「……やっぱり、そうなのね。エルフなんて元々存在しない……ただの、人間」
「そう。耳を少し尖らせて、専用のベッドで定期的に脳をリフレッシュすればほら、完璧な『長命種エルフ』の完成さ。それなのに、何も知らずに神に選ばれた特権階級のつもりでいるエルフたちの傲慢さには、本当に辟易するよ」
淡々と紡がれる少年の声が、容赦なく私の胸を抉る。
「ねぇ、あなた達の目的って……」
「そうだよ。僕たち、つまり、君たちで言うところのハグレの行動原理は、ただ一つ。一部の強欲な人間が、その不老技術をエルフという偽りの仮面で独占し、世界を支配していることへの怒りだ」
「そう、よね……ごめんなさい……」
エルフを代表して謝るなど、あまりに傲慢だと分かっていながら、その言葉しか出てこなかった。
「イオスフィア、君は彼らとは違う」
少年は、その幼い表情を和らげ、私を真っ直ぐに見つめた。
「君だけはずっと、エルフという嘘に染まり切らず、人間の本質を見ようとしていた。世界にどれだけ欺かれ、脳を弄ばれてもね」
違う、そんなんじゃない。
私は人間への偏見が染み付く前に、たまたまシンメという人間に出会えただけ……。
「そんな君にだからこそ、世界を変える力を託したいんだ。僕達は、エルフの欺瞞を暴露する準備を整えている。けれど、それを実行するためには人間の命令が必要なんだ。君にそのボタンを預けたい」
「……あなたたちの怒りは、もっともだと思う。けれど私には……」
「もちろん、使わなくてもいい。交渉のカードとして持っておいてよ。君がお父さんと会って、本当にやりたかったことを果たすためにね」
少年が私の頭に右手をかざすと、NORNにシステム・キーが転送され、定着するのを感じた。
彼の言う通り、使わなければいい。
でも使わないことが正しいの?
わからない……。
私はお父様が、ファルクスと同じようにGAIAの行政補助をしていると聞かされていた。
でもきっと、お父様はGAIAに使われるのではなく、管理する側なんだろう。
あのときもそう思ったからこそ、お父様と話そうと決めたんだ。
あの会議の映像は、私に見せるために用意されたものなのだろう。
私の行動がハグレに誘導されているのは明らかだ。
それでも、私は自分の中で燻る怒りを抑え込める自信はなかった。




