第2話 エルフの家
イオに連れられ、エルフ居住区を歩く。
エルフが住んでいるのは森ではなかったが、樹木のニュアンスを感じさせる建物が多かった。
柱は幹のようにうねり、窓枠は枝が絡み合ったような形をしている。
建物の表面には葉脈のような光が走り、根に似た管が地面へ伸びていた。
「イオ、どうして人間なんて連れているの?」
声がした方に目を向けると、眉をひそめたエルフの女性がいた。
蔑むような視線が俺を突き刺す。
だがこの程度で傷つく俺ではない。
前世で慣れているからな。
「例の子が目を覚ましたのよ」
「ああ、君が例の……」
エルフの女性は、俺を見下ろすようにして目を細めた。
それから、わざとらしく柔らかい笑みを浮かべる。
「ねえ、イオが優しくしてくれるからって、勘違いしちゃだめよ」
「マーレ!変なこと言わないで」
「あら? 大事な忠告だと思ったのだけれど」
マーレと呼ばれた女性は、悪びれた様子もなく肩をすくめた。
なるほど。
この世界にも、感じの悪い美人というものは存在するらしい。
「でも、ごめんなさい。邪魔をしたわね」
「ううん、邪魔なんかじゃないわ。シンメは知らない土地で心細いはずだから、気にかけてあげて」
イオがそう言うと、マーレは答える代わりに右手をひらりと上げた。
了承なのか、拒否なのか。
俺には判断がつかなかったが……うん、どうでもいい。
イオが俺の手を引いて再び歩き始めた。
「ごめんね、シンメ。エルフは人間とちょっと仲が悪いというか……」
「なんで?」
「……先に言っておくけど、私がそう思ってるわけじゃないからね?」
「うん」
「エルフは、人間のことを知性が足りない生き物だと思ってる。人間は人間で、エルフのことを傲慢で鼻持ちならない生き物だと思ってる」
「なるほど。仲良くなれる要素が見当たらない」
「でしょ?」
イオは困ったように笑った。
エルフ達が見ている中で、俺の手を握って一緒に歩いてくれる。
この優しさ……尊すぎる。
おじさんだから勘違いなんてしないけど、好きにならない自信はまったくない。
「ようこそ。ここが、私の家」
「おおー」
大きな木をくり抜いたような、可愛らしい家だった。
窓辺には淡い紫の花が咲いている。
屋根に見える部分からは細い枝が伸び、雨粒のような光をいくつも吊るしていた。
イオが家を一瞥すると、扉がひとりでに開いた。
「さ、入って入って!」
「お邪魔します」
扉の向こうには、柔らかな光が満ちていた。
イオの家は広すぎず、狭すぎず、不思議と落ち着く空間だった。
壁には淡い紫の花が這うように咲いている。
花弁は光を発していて、照明の役割を果たしているらしい。
「かわいい部屋だね」
「ふふ、ありがとう。シンメの部屋もあるのよ」
「え、僕の部屋も用意してくれたの?」
「もちろん。プライベートは大事だからね。案内するから、ついてきて」
イオに案内され、俺は家の奥へ進んだ。
廊下の突き当たりにある扉の前で、彼女が手をかざす。
すると扉は音もなく開いた。
部屋の中には、ベッドと小さなテーブル、それから丸い窓が一つあった。
質素だが、清潔な部屋だ。
「狭くてごめんね。欲しいものがあったらなんでも言って」
「いや、十分すぎるよ」
「遠慮しないでいいのよ?私はちょっと出かけなきゃいけないから、ここで休んでて」
そう言って、イオはテーブルの上にボトルを置いた。
中には淡い金色の液体が入っている。
見た目はペットボトルに近いが、プラスチックのような質感ではなかった。
「まだ固形物は食べられないと思うからこれ飲んでね。元気になると思う」
「わかった!いってらっしゃい」
イオが胸元で軽く手を振る。
俺もつられて手を振り返した。
少し寂しかったが、一人になれるのはありがたい。
確認したいことがたくさんある。
まず、目覚めてから何度か視界に表示された文字。
これについては大体予想がついている。
つまり、あれだ。
異世界転生ものによくある、神様とか、女神様とか、システムとか、そういうやつだろう。
超常の存在に監視されてると思うと少し落ち着かないな。
(あなたは、神様ですか?)
すると、視界に文字が浮かぶ。
《いいえ。私は個体支援システム——通称NORNです。どうぞ楽にお話しください。》
(NORNは世界の管理者的な存在?)
《いいえ、脳インプラント型のネットワークシステムです。ただし、全球人工知能管理機構『GAIA』と断続的に接続されています。》
脳……インプラント?
随分物理的なアプローチだな。
GAIA?は気になるけどもっと大事なことがある。
(ステータスオープン!)
《ステータス情報を表示します》
俺は少し背筋を伸ばした。
前世でそれなりにゲーマーだった俺は、キャラクターのステータス画面をにらみながら成長戦略を考えるのが好きだった。
この世界にはどんなステータス項目があるのか。
そして俺にはどんなチート能力があるのか。
興奮する俺の視界に、細かい文字がずらりと並んだ。
《氏名:シンメ
年齢:10歳
性別:男性
体温:36.4
心拍:112
血中酸素濃度:98%
筋肉量:標準未満
栄養状態:要観察》
……。
違う、そうじゃない。
(レベルは?)
《健康レベル:D
ご安心ください。私がシンメ様の健康管理を最大限サポートします。》
……ありがとう。
血圧や尿酸値が気になってたから助かるよ。
独身中年男性にとって健康管理は課題だからな。
(この世界って魔法とかあるの?)
《あります。神話、民話、娯楽作品に登場する架空概念です。》
ないんじゃねえか。
(じゃあさ、俺って何か他の人にはないすごい能力とかってあったり……しない?)
《未確認ですが、特異な能力を発揮できる蓋然性は高いです。
シンメ様の脳は前頭前野の実行制御領域が異常に発達している特徴がございます。》
「よっしゃ!」
俺は思わず拳を握った。
(それって、具体的には何ができるんだ?)
《構造を解析する限りでは、シンメ様は単一人格を維持したまま、二系統の思考を並列実行できる可能性があります。
通常の脳では同時に二つ以上の作業をすることはできません。
シンメ様の場合、同時に二つの作業をパフォーマンスを落とすことなく実行できると推測されます。》
なるほど。
つまりマルチタスクか。
派手さはないけど便利な能力だな。
早速試してみるか。
そうだな……壁の花の数を数えながら、NORNに質問してみようか。
一、二……
(ここには鏡がないけど、俺の顔って見られるか?)
《可能です。
居住区内の観測装置から、シンメ様本人が映っている映像を抽出し、プライバシー保護処理を施したうえで表示します。》
視界の中央に、半透明の画面がふわりと浮かび上がった。
最初はぼやけていたが、すぐに像が結ぶ。
さっき外を歩いていた時の映像だと思うが、他の人の姿は映っていない。
これがプライバシー保護処理なのだろう。
「これが、俺……?」
映像に映る少年の顔は思っていたよりずっと整っていた。
(拡大して)
白い肌。細い首。柔らかそうな髪。すっと通った鼻筋。
大きすぎない目は、少し不安そうに揺れている。
なんとなく、目だけは前世の自分と似てる気がする。
この世界の美の基準はわからないけど、少なくとも自分が好きな顔だったことに安心した。
前世のように、鏡を見るたびに悲しい気持ちになることはないだろうから。
「六七個」
顔を確認しながら数えた花の数だ。
二重思考があまりにも簡単にできたものだから自分でも驚いた。
ただそれなりに集中力がいるから、複雑なことをすると疲れそうだ。
(それで、俺はこの世界で何をすればいいのかな?)
《回答の前に、前提知識の補足を推奨します。》
(うん、お願いするよ)
《言語でよる説明は理解効率が低いため、概念転送による学習を推奨します。
実行しますか?》
(え、まあ安全ならいいけど)
概念転送……情報を頭に直接インストールするイメージだろうか?
便利そうだけど怖いな。
《安全性は担保されております。
それでは、概念転送を実行します。》
頭の中で、鈴のような音が響く。
不思議な感覚だった。
一瞬にしてこの世界に対する解像度が上がったのがわかる。
記憶がしっかり定着するように、頭の中で振り返ろう。
まず、この世界は超高度なハイテク文明だ。
GAIAと呼ばれるAIが、食糧生産、医療、資源、治安維持、そして娯楽に至るまで、全てを管理している。
人間は労働から解放され、創作やスポーツ、娯楽といった自らの欲求のためだけに時間を使っているようだ。
つまり、大人になっても仕事に行かなくていいということ。
このありがたみは転生した俺だからこそ感じられるだろうな。
飢餓どころか、お金という概念すらないこの世界の人間が最も価値を置くようになったのは、人と人との繋がりらしい。
そしてその価値観は、GAIAが人類へ提示した2つの事実によって決定的なものとなった。
第一に、この宇宙が“上位存在”によって構築されたシミュレーション世界であること。
第二に、人間の自己情報は生命活動停止後も消失せず、上位階層へ転送されていること。
つまり、この世界の人間にとって、人生とは「感情を味わうための旅」ということ。
GAIAの解析によれば、その上位存在にも意思や知性、感情はあるらしい。
ただし、それは俺たち人間が知っているものとはかなり違う。
彼らには、腹が減る身体もなければ、年を取る肉体もない。
だからこそ、人間として生きることに価値がある。
そして旅を終えた時、人は再び上位存在の側へ戻っていく。
だから、この世界では死を「帰還」と呼ぶ。
要するに、死んでもまた皆に会えるから、怖がらなくていいよっていう感じだ。
前世と比べたらまあ、独特な世界観だと思う。
概念転送じゃなければすんなりと受け入れられなかっただろうな。
ともかく、魔王や世界の危機は存在しない。
ならばこのシミュレーション世界を楽しみ尽くすだけだ。
用語解説
・GAIA(Global Artificial Intelligence Administrator)
全球人工知能管理機構。
人類社会全体を管理・調整している統治AI。
都市運営、資源配分、医療、教育、治安維持など、文明の基盤を担っている。
現在運用を許可されている大規模人工知能は、事実上GAIA系統のみ。
・NORN(Neural Operating Relay Network)
脳インプラント型のデバイス。
感覚情報の補正、健康管理、行動支援、外部端末の操作などを担う。




