第50話 守る理由
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第50話では、これまで積み重ねてきた関係と、
恒一の“力”が大きく動く回となっています。
日常の延長のような出来事の中に、
ほんの少しの違和感と、避けられない選択。
そして、それが大きな結果へと繋がっていきます。
この回は、静かな日常から一歩踏み出す“転換点”です。
恒一の実家での生活は、不思議と落ち着いていた。
母は細かいことを聞かない人だった。
「お仕事大変ねぇ」
それくらいで済ませてくれる。
レイナにとっても、それがありがたかった。
詮索されない安心感。
外に出れば騒がれる日常の中で、ここだけは静かだった。
リビング。
テレビの音が小さく流れている。
いつもの夜。
そんな中で——
レイナが立ち上がった。
「ちょっとコンビニ行ってくる」
「今?」
佐倉が聞く。
「うん、すぐそこだし」
帽子をかぶり、マスクをつける。
簡単な変装。
「それで大丈夫か?」
恒一が言う。
「大丈夫だって」
軽く笑う。
「徒歩3分だよ?」
確かに近い。
この家から一番近いコンビニ。
人通りも少ない。
だからこそ油断してしまう距離。
「すぐ戻るから」
そう言って玄関を出る。
静かな夜。
ドアが閉まる音が、やけに響いた。
恒一はしばらくそのまま動かなかった。
胸の奥に、小さな違和感。
「……なんか嫌だな」
ぽつりと漏らす。
「何がです?」
佐倉が聞く。
「わかんねぇけど」
本当に、わからない。
でも。
嫌な予感だけは、はっきりしていた。
⸻
コンビニ。
明るい光。
レイナは帽子のつばを少し下げる。
店内を回る。
飲み物。
軽く食べるもの。
数分で済ませる。
レジ。
店員は気づいていない。
そのまま外に出る。
冷たい夜の空気。
少しだけ、ほっとする。
そのとき。
「……あれ?」
背後から声。
レイナの足が止まる。
「やっぱり……レイナ?」
心臓が跳ねる。
振り向かない。
そのまま歩く。
だが——
「ちょっと待ってよ!」
足音が近づく。
若い男。
目が異様に粘ついている。
「だよね? レイナだよね?」
「違います」
低く言う。
歩く。
だが、男はついてくる。
「声でわかったし」
「写真いい?」
「やめてください」
距離が近い。
嫌な距離。
「ファンなんだけどさ」
その言い方が、もう普通じゃない。
レイナは本能的に危険を感じる。
歩幅を速める。
だが——
「ちょっとくらい良くない?」
男が腕を伸ばす。
その瞬間。
⸻
恒一は立ち上がっていた。
「……行く」
「え?」
佐倉が顔を上げる。
「どうしたんですか」
「わかんねぇ」
靴を履く。
「でも、嫌な感じする」
それだけ言って外へ出る。
夜道。
足が自然と速くなる。
胸のざわつきが強くなる。
そして——
見えた。
レイナ。
その横に男。
そして。
「……3」
浮かぶ。
「接触」
同時に理解する。
あと3。
時間がない。
頭の奥がズキッと痛む。
視界が歪む。
「……っ」
でも止まれない。
これはレイナのためだ。
迷う余裕なんてない。
体が先に動いていた。
⸻
男の手が、レイナの腕に触れかける。
その瞬間。
「おい!」
恒一の声が飛ぶ。
次の瞬間には、男とレイナの間に体を滑り込ませていた。
「な、なんだよ」
男が驚いて後ずさる。
「離れろ」
恒一の声は低かった。
怒鳴ってはいない。
でも、それが逆に怖かった。
「なんだよ、あんた」
「関係ねぇだろ」
「いや、こっちはファンで——」
「だから何だ」
一歩前に出る。
男が少しひるむ。
「嫌がってんの見えねぇのか」
空気が張り詰める。
男は一瞬言い返そうとしたが、恒一の目を見てやめた。
「……ちっ」
舌打ち。
「感じ悪」
吐き捨てるように言って、そのまま去っていく。
足音が遠ざかる。
やっと、静かになる。
⸻
「……大丈夫か」
恒一が振り向く。
レイナは言葉が出ない。
顔色が悪い。
呼吸が浅い。
「レイナ」
もう一度呼ぶ。
その声で、ようやく現実に戻る。
「……っ」
次の瞬間。
レイナが恒一に強く抱きついた。
「……!」
恒一の思考が止まる。
強く。
本当に強く。
しがみつくように。
レイナの肩は、小さく震えていた。
「……怖かった」
やっと出た声は、かすれていた。
「……うん」
恒一は一瞬、手の置き場に迷う。
どうすればいいかわからない。
でも。
このまま突き放すなんてできるわけがなかった。
ゆっくりと。
そっと背中に手を回す。
「もう大丈夫だ」
静かに言う。
「……うん」
レイナは顔を上げない。
そのまま、しばらく動かなかった。
恐怖のあとに残る鼓動。
まだ速い心臓。
でも、それだけじゃない。
近い。
あまりにも近い。
レイナの頬は熱い。
自分でもわかるくらいに。
怖かったから。
それも本当。
でも——
それだけじゃない。
恒一が来てくれた。
間に合ってくれた。
守ってくれた。
その事実が、胸をさらに強く打つ。
抱きしめたまま、レイナは思う。
(……やっぱり)
この人なんだ、と。
⸻
少しして。
ようやくレイナが離れる。
「……ごめん」
顔が真っ赤だった。
「いや……別に」
恒一も落ち着かない。
視線をまっすぐ合わせられない。
「帰るか」
「……うん」
短い会話。
でも、さっきまでとは空気が違う。
2人で並んで歩く。
少しだけ距離が近い。
レイナはまだ完全には落ち着いていない。
だからなのか。
恒一の袖を、少しだけ掴いていた。
恒一は何も言わない。
ただ、そのまま歩く。
⸻
家に戻ると、佐倉がすぐに立ち上がった。
「どうしたの?」
レイナの顔を見て、すぐに異変に気づく。
「……ちょっとあった」
恒一が短く言う。
全部を話す必要はない。
でも、十分だった。
「大丈夫?」
佐倉がレイナの肩に触れる。
「……うん」
そう言いながらも、声は少し震えていた。
佐倉はそれ以上何も聞かない。
「今日はもう休もう」
やさしく言う。
レイナは小さく頷いた。
⸻
その夜。
恒一は一人、リビングに座っていた。
静かだ。
だが、頭の奥がズキズキする。
「……っ」
こめかみを押さえる。
さっきの瞬間。
無理に読んだ。
無理に動いた。
その反動みたいに、痛みが残っている。
「……やっぱ使うとくるな」
小さくつぶやく。
それでも。
後悔はなかった。
その時。
視界に、また浮かぶ。
「……31」
「深」
短い単語。
恒一は少しだけ目を細める。
「……深、ね」
意味は、まだはっきりしない。
でも。
今までとは何かが変わった。
それだけはわかった。
守ったからか。
抱きしめられたからか。
それとも——
もう、とっくに始まっていたのか。
恒一は小さく息を吐く。
静かな部屋。
痛む頭。
でも。
胸の奥だけは、妙に熱かった。
第50話を読んでいただきありがとうございました。
今回のテーマは「守る理由」です。
これまで曖昧だった恒一の行動に、
はっきりとした意味が生まれた瞬間でもあります。
自分のためではなく、誰かのために使う力。
その選択が、2人の関係を大きく変えました。
また、レイナの中でも感情が大きく動いています。
恐怖のあとに訪れる安心。
そして、その安心が別の感情へと変わっていく。
抱きしめるという行為は、
言葉以上に距離を縮めるものです。
そして同時に、力を使うことによる“代償”も
少しずつ見え始めています。
次回、第51話。
この夜をきっかけに、2人の関係はさらに変わっていきます。




