第45話 裂
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第45話では、レイナにとって避けられなかった現実が一気に押し寄せます。
紅白という大舞台のあと。
静かな時間があったからこそ、
その反動のように状況は大きく動き始めました。
報道、疑惑、周囲の変化。
目に見えるものも、見えない空気も、
少しずつ壊れていきます。
正月休みは、終わった。
恒一の実家で過ごした数日。
あの静かな時間が、少し遠く感じる。
今日からまた、現実に戻る。
「……大丈夫?」
玄関先で恒一が声をかける。
レイナは帽子を深くかぶり、マスク越しに小さく頷いた。
「うん、大丈夫」
その声は、少しだけ弱かった。
外には、佐倉がタクシーと一緒に待っている。
「表はまだ人が多いので、裏から入りましょう」
「うん」
短く返す。
「俺も行く」
恒一が言う。
レイナが少しだけ振り向く。
「……心配なんでしょ」
少しだけ柔らかく言う。
「まあな」
「じゃあ、一緒に来て」
その一言で、少しだけ空気が軽くなる。
タクシーに乗り込む。
車内は静かだった。
外の景色が流れていく。
どこにでもある日常。
でも今の自分には、少し遠い。
現場に近づくにつれて、空気が変わる。
嫌な予感。
「このまま裏に回ります」
佐倉が言う。
だが——
車が建物の脇に差しかかった瞬間。
「いた!」
声。
フラッシュ。
人影。
「……っ」
レイナが息を呑む。
「急いで!」
ドアが開く。
恒一が先に降り、レイナの前に立つ。
だが、すぐに囲まれる。
「神代レンさんとの関係は!」
「密会報道について説明を!」
「交際は事実ですか!」
次々と浴びせられる言葉。
逃げ場がない。
レイナは一瞬だけ視線を落とす。
でも——
ゆっくりと顔を上げた。
「違います」
はっきりとした声。
空気がわずかに止まる。
「そういう事実はありません」
「仕事の話をしていただけです」
「それ以上でも、それ以下でもありません」
落ち着いた口調。
しっかりと前を見て言う。
一瞬だけ、空気が変わる。
だが、すぐにまたざわつきが戻る。
恒一が前に出る。
「もういいだろ」
低い声。
一瞬だけ、記者の動きが止まる。
その隙に、佐倉がレイナの腕を引いた。
「行こう」
3人はそのまま中へ入る。
控室に入った瞬間、レイナが大きく息を吐いた。
「……はあ」
力が抜ける。
「大丈夫?」
佐倉が静かに聞く。
「……なんとか」
そう答えながらも、手は少し震えていた。
恒一は周囲を見る。
スタッフたちの空気。
それが、明らかに違っていた。
目を合わせない人。
距離を取る人。
逆に必要以上に気を使う人。
空気が、割れている。
「……これか」
小さくつぶやく。
信じるか、疑うか。
それだけで、人の態度は変わる。
現場は、もう一枚岩じゃなかった。
それでも仕事は進む。
レイナは笑顔を作り、求められる役割をこなす。
だが、終わった頃には明らかに消耗していた。
「……大丈夫?」
帰りの車で恒一が聞く。
「うん、大丈夫」
少し間を置いて答える。
その“少し”が、すべてを物語っていた。
翌日。
状況はさらに悪化する。
ネットが荒れる。
ニュースが増える。
「……レンの、覚醒剤疑惑?」
佐倉が画面を見つめたまま言う。
空気が一気に冷える。
「そんなの……」
レイナの声が揺れる。
信じられない。
でも、否定もできない。
『関係のあったレイナにも疑惑』
その一文が刺さる。
「……最悪だな」
恒一が低く言う。
そこからは早かった。
仕事は次々と止まる。
予定が崩れる。
連絡が増える。
確認が続く。
レイナは必死に耐えていた。
でも——
限界は近かった。
食事は減り。
睡眠も取れていない。
それでも立ち続けようとする。
そして。
打ち合わせの最中だった。
レイナの視線が、ふっと落ちる。
「……レイナ?」
呼びかける声。
返事はない。
そのまま体が崩れる。
「危ない!」
恒一が支える。
軽かった。
驚くほどに。
病院。
診断は、過労とストレス。
「しばらく休養が必要です」
医者の言葉ははっきりしていた。
廊下で。
佐倉が静かに言う。
「……もう休もう」
その言葉には、迷いがなかった。
恒一も頷く。
レイナが目を覚ます。
「……あれ」
「病院」
恒一が答える。
「倒れたの?」
「うん」
少しだけ沈黙。
「……ごめん」
「謝らなくていい」
恒一がすぐに言う。
「頑張りすぎただけだろ」
レイナの目に、少しだけ涙が浮かぶ。
ツアーは中止。
活動も一時休止。
そして。
「……事務所、離れる」
レイナが言う。
静かに。
でも、はっきりと。
「それでいいと思う」
佐倉が頷く。
恒一は少しだけ考えてから口を開く。
「……じゃあさ」
レイナが顔を向ける。
「これで終わりにするんじゃなくて」
「また、最初からやればいいんじゃないか」
「ゆっくりでもいいし、小さくてもいいから」
言葉は不器用だった。
でも、真っ直ぐだった。
レイナは少しだけ目を見開く。
「……また、やり直すってこと?」
「そう」
短く頷く。
少しの沈黙。
そして——
レイナが、ほんの少しだけ笑った。
「……ほんと、そういうとこだよ」
「なにが」
「わかんない」
でも。
その表情は、さっきより少しだけ軽くなっていた。
終わりじゃない。
たぶん。
まだ、ここから。
第45話を読んでいただきありがとうございました。
今回のテーマは「裂」と「限界」です。
現場の空気が分かれていく感覚。
信じる人と、疑う人。
それは表には出なくても、確実に存在しています。
そして、その中で無理を続けた結果、
レイナはついに限界を迎えてしまいました。
ですが——
完全に終わったわけではありません。
事務所を離れるという決断。
そして、恒一の言葉。
「やり直せばいい」
それは決して簡単なことではありませんが、
それでも前に進むための一歩です。




