第43話 露
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第43話では、レイナが紅白という大舞台に立ち、
誰もが認める存在へと到達します。
しかしその直後——
一気に現実が動き出します。
これまで順調に見えていた流れに、
“歪み”のようなものが現れ始める回でもあります。
恒一の能力が示す違和感。
そして、それが意味するものとは何なのか。
頂点の光と、その裏側を描いた一話です。
大晦日。
テレビの前で、恒一は一人座っていた。
部屋は静かだった。
テーブルの上には、開けたままの缶ビールと、ほとんど手をつけていないつまみ。
視線は、ずっと画面に向いている。
「……出るか」
ぽつりとつぶやく。
紅白歌合戦。
その名前を聞くだけで、もう別世界だと思っていた。
そこに、レイナが出る。
ついこの前まで、小さなライブハウスで歌っていたはずなのに。
いや、もっと前なら、コンビニでたまたま会うだけの存在だった。
それが今は。
全国の人間が見る舞台の上に立とうとしている。
司会の声。
会場のざわめき。
カメラが切り替わる。
そして。
「……来た」
画面の中に、レイナが現れる。
ライトを受けて立つ姿は、もう知っているレイナとは少し違って見えた。
衣装。
表情。
立ち方。
どれも完璧だった。
だが、それ以上に。
「……すげぇな」
思わず声が漏れる。
オーラがあった。
ただ有名なだけじゃない。
この場に立つべくして立っている人間の空気。
スターの空気。
歌が始まる。
会場の空気を一瞬で持っていく。
緊張なんて見えない。
いや、あるのかもしれない。
でも、それすら飲み込んで前に出ている。
サビ。
一気に広がる。
恒一は、ただ見ていた。
誇らしいとか、寂しいとか、そういう言葉じゃ足りない。
ただ、圧倒される。
その時だった。
「……っ」
画面越しに。
レイナの周囲に、何かが浮いた。
一瞬だけ。
数字と、単語。
「1……露?」
思わず前のめりになる。
次の瞬間には、もう消えていた。
「……なんだよ、それ」
胸の奥がざわつく。
“露”。
露出。
露見。
頭の中に嫌な言葉ばかりが浮かぶ。
だが、今はどうにもできない。
画面の中のレイナは、最後まで歌い切る。
拍手。
歓声。
司会の絶賛。
間違いなく、この日の主役の一人だった。
恒一はしばらく動けなかった。
画面の中の光景と、さっき見えた文字が頭の中で重なる。
「……嫌な感じしかしねぇな」
小さくつぶやく。
だが、その日はそれ以上何も起きなかった。
⸻
年が明けた。
元日の朝から、スマホの通知がうるさい。
恒一は寝起きの頭のまま画面を見る。
そして。
「……は?」
目が一気に覚める。
ニュースサイト。
SNS。
動画の切り抜き。
どこを見ても、同じ話題。
『レイナ、神代レンと熱愛か』
『紅白直後の密会報道』
『人気絶頂の歌姫にスキャンダル』
「……マジかよ」
すぐに記事を開く。
ホテル前での写真。
角度が悪い。
いや、良すぎる。
誤解されるように撮られている。
レンとレイナが並んでいるだけなのに、妙に近く見える。
「……露、これか」
昨日見た文字が頭をよぎる。
嫌な予感は、やはり当たっていた。
スマホが鳴る。
レイナからだった。
「もしもし」
『……ごめん』
出た瞬間、それだった。
「いや、なんでお前が謝るんだよ」
『なんか、すごいことになってる』
「見た」
少し沈黙。
向こうの息が浅い。
「どこだ、今」
『マンション』
「一人か?」
『……うん』
「記者は」
『下にいる』
短い返事の中に、張り詰めたものが混じっている。
恒一はすぐに立ち上がる。
「そこ動くな」
『え?』
「今から行く」
『でも——』
「いいから」
少し強めに言う。
レイナはそれ以上何も言わなかった。
⸻
マンションの周辺は、予想以上だった。
車。
記者。
スマホを構える連中。
年明け早々とは思えない騒がしさだ。
「……うわ」
恒一は思わず顔をしかめる。
どう考えても、普通じゃない。
これではまともに外にも出られない。
少し離れた場所から状況を見て、すぐにレイナへ連絡する。
「裏、使えるか?」
『たぶん……管理用の通路がある』
「よし」
短く作戦を決める。
二十分後。
なんとか人目を避けながら、レイナを外へ出す。
フードを深くかぶったレイナは、明らかに疲れていた。
顔色が悪い。
「……大丈夫か」
「大丈夫じゃない」
即答だった。
でも、その声に少しだけ安心する。
まだ、ちゃんとレイナだ。
「どうするの?」
「……お前の家、もう危ねぇな」
「うん」
レイナもすぐに頷く。
否定できない。
「……うち来るか」
その言葉に、レイナが顔を上げる。
「え?」
「実家」
「しばらくならいける」
少し間。
レイナは迷った。
だが、後ろを振り返る。
まだ遠くに人影が見える。
自分の家なのに、もう安心できる場所じゃない。
「……行く」
小さく言う。
「お願い」
その声は、思っていたよりずっと弱かった。
⸻
恒一の実家。
玄関を開けると、母がすぐに出てきた。
「あら」
一瞬だけ驚いた顔をする。
だが、それもすぐに柔らかくほどけた。
「寒かったでしょ。とにかく入りなさい」
レイナは少し戸惑いながら頭を下げる。
「……突然すみません」
「いいのよ、そんなの」
母はあっさり言う。
「恒一が人連れてくるなんて珍しいんだから、むしろこっちがびっくりしたくらい」
「おい」
恒一が小さく止める。
母は気にせず笑う。
「ほら、上がって。お茶入れるから」
その自然さに、レイナの肩から少しだけ力が抜ける。
リビングに入る。
暖房の効いた空気。
湯気の立つお茶。
テレビの小さな音。
外の騒がしさが嘘みたいだった。
「……すごい」
レイナがぽつりとつぶやく。
「ん?」
「なんか……普通」
恒一は少し笑う。
「普通だろ」
「うん」
レイナも少しだけ笑う。
「こういうの、久しぶりかも」
その言葉に、恒一は何も返せなかった。
母が煮物を持ってくる。
「お腹空いてるでしょ。大したものないけど」
「そんな、ありがとうございます」
「しばらくお邪魔します」
レイナが改めて頭を下げると、母は優しく笑った。
「好きなだけいなさい」
「女の子一人であんなの、怖かったでしょう」
その声は、本当にただの優しさだった。
計算も、駆け引きもない。
レイナの目が少しだけ潤む。
「……はい」
小さく答える。
その夜。
レイナは客間に布団を敷いてもらい、ようやく一息ついていた。
スマホは切ってある。
テレビも見ない。
何も入ってこない静かな時間。
それだけで、少しずつ呼吸が整う。
襖の向こうから、恒一の声がする。
「もう寝るか?」
「……まだ」
少し間を置いてから答える。
恒一が襖を少しだけ開ける。
「なんかいるもんあるか」
「……ううん、大丈夫」
また少し沈黙。
レイナが先に言う。
「……ありがと」
「ん?」
「今日、来てくれて」
恒一は少しだけ視線を逸らす。
「まあ、あれくらいはな」
「……あれくらいじゃないよ」
レイナが小さく言う。
「結構、助かった」
その声は、思っていたより真っ直ぐだった。
恒一は返す言葉に少し迷って、結局いつもの調子で言う。
「そりゃよかった」
「……なにそれ」
レイナが少し笑う。
その笑い声に、ようやく今日初めて安心した気がした。
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
襖が閉まる。
静かな夜。
恒一は廊下に立ったまま、少しだけ天井を見上げた。
「……また守っちまったな」
小さくつぶやく。
そのとき。
客間の方から、ほんの一瞬だけ気配を感じる。
視線を向ける。
そして。
「……3、崩」
小さく漏れる。
また見えた。
レイナの側に、数字と単語。
まだ終わっていない。
守れたと思ったのに。
いや、守ったからこそ、どこかでズレるのか。
頭の奥が、少しだけ痛む。
「……くそ」
恒一は目を閉じる。
静かな家の中で。
安心と、不安が同時に広がっていた。
第43話を読んでいただきありがとうございました。
今回のテーマは「露と崩」です。
紅白という大きな成功の裏で、
すぐに訪れるスキャンダル。
そして、恒一が見た“露”という言葉。
それは偶然ではなく、
確実に何かを示しています。
一方で、恒一の実家で過ごす時間は、
これまでとは違う静けさと安心をもたらしました。
スターであるレイナと、
普通の生活。
そのギャップが、二人の距離を少しだけ近づけています。
ですが——
物語はまだ落ち着きません。
最後に見えた「崩」。
それは何を意味するのか。




