第42話 今年の顔
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第42話では、レイナが一気に駆け上がっていく様子を描いています。
楽曲のヒット。
アルバムの成功。
そして、あらゆる場面での存在感。
数字だけではなく、日常の中にまで入り込んでいくことで、
“誰もが知る存在”へと変わっていきます。
まさに、今年の顔と呼ばれるにふさわしい流れです。
神代レンとは、あれ以来少しだけ空気が変わった。
表向きは、何も変わっていない。
仕事では普通に話す。
曲の打ち合わせもする。
レコーディングでも、レンはいつも通り軽い調子だった。
「そこ、もうちょい抜いて」
「はい」
「うん、いいね」
そんなやり取りが続く。
周りから見れば、何の問題もない。
だが——
レイナの中では違った。
あの夜のことは、忘れていない。
ホテルのラウンジ。
あの流れ。
恒一が来なければ、どうなっていたかはわからない。
考えたくもない。
だから、レンと話す時も無意識に一歩引いてしまう。
レンも、それには気づいているはずだった。
なのに——
「今日、ちょっと固いね」
打ち合わせの帰り、レンが軽く言う。
「……そう?」
「うん。前より少し距離ある」
レイナは足を止めないまま答える。
「気のせいじゃない?」
やんわりと。
線を引くように。
レンは少しだけ笑う。
「まあ、そういうことにしとくか」
軽い口調。
でも、その目はどこか探るようだった。
レイナはそれ以上何も言わなかった。
言葉を重ねると、逆に余計な隙を見せる気がしたからだ。
ただ、仕事は仕事。
それだけを自分に言い聞かせる。
実際——
結果は、圧倒的だった。
新曲は配信直後から勢いが止まらなかった。
再生数は一気に跳ね上がり、ランキングはあっという間に1位。
翌週には、各音楽番組で特集が組まれた。
街を歩けば、どこかで曲が流れている。
コンビニ。
ドラッグストア。
駅前の大型ビジョン。
カフェの店内。
どこにいても耳に入ってくる。
「……すご」
思わず、レイナ自身がつぶやいた。
ある日、移動中の車内。
信号待ちで窓の外を見ていると、小学生くらいの女の子二人が歩いていた。
その口元が、自然と動いている。
聞き取れるほど大きな声じゃない。
でも、メロディはわかった。
自分の曲だった。
「……え」
レイナが小さく漏らす。
「どうしたの?」
隣でスケジュールを確認していた佐倉が顔を上げる。
「いや……今、歌ってた」
「ん?」
「外の子たち」
佐倉も窓の外を見る。
ちょうどその子たちは曲のサビを口ずさみながら、楽しそうに笑っていた。
佐倉がふっと笑う。
「……来てるね」
短い一言。
でも、その言葉の重みは大きかった。
レイナは何も言えない。
ただ、じっと外を見る。
自分の歌が、知らない誰かの日常に入り込んでいる。
それは数字よりもずっと強く、現実だった。
さらに追い打ちをかけるように、アルバムもリリースされた。
こちらも初週1位。
しかも、配信だけでなくCDも強かった。
特典目当ての買い方ではなく、純粋に曲が広がっている感じがあった。
「シングル1位、アルバム1位、配信1位」
佐倉が資料を見ながら言う。
「あと、好感度ランキングも1位」
「……好感度?」
レイナが少し驚いた顔をする。
「そう」
佐倉が笑う。
「今年の女性タレントランキング、1位」
「いや、意味わかんない」
「私も意味わかんないけど、出てる」
スマホの画面を見せる。
そこには、たしかに自分の名前があった。
1位。
レイナ。
その下に並ぶ、何人もの有名人。
「……やば」
「やばいよ」
佐倉も素直に言う。
「今年、本当にレイナの年になってる」
その言葉通りだった。
テレビをつければレイナがいる。
CMでも流れる。
バラエティに出れば空気を持っていく。
音楽番組では圧倒的な存在感を見せる。
しかも、不思議と嫌味がない。
作られた人気じゃなく、“気づいたら好きになってる”タイプの広がり方だった。
その中心にいるレンは、どこか満足そうだった。
「だから言ったでしょ」
スタジオで、レンが軽く言う。
「売れるって」
「……ここまでとは思ってなかった」
レイナが答える。
「俺も」
レンが笑う。
「いや、嘘だな」
「結構いくと思ってた」
「どっちなの」
「半分くらい本音」
相変わらず掴めない。
でも、音楽に関してだけは絶対に外さない。
それが余計に厄介だった。
「次、バラエティ3本追加で決まったよ」
佐倉が入ってくる。
「あとCMも一本、正式決定」
「……また?」
「また」
レイナは少し笑う。
でも、笑ったあとにほんの少しだけ疲れがにじんだ。
それを、佐倉は見逃さなかった。
「休み、どこかで一日入れたいけど……」
「いや、大丈夫」
レイナはすぐに言う。
「今は止まりたくない」
それは本音だった。
ここまで来た流れを、自分から切りたくなかった。
だが、その言葉を聞いたレンが少しだけ目を細める。
「止まらないのは大事だけど」
珍しく、少しだけ真面目な声だった。
「壊れたら意味ないよ」
レイナは一瞬だけ黙る。
その通りだと思ったからだ。
でも。
「……まだ大丈夫」
そう答えるしかなかった。
その一方で。
恒一は、テレビの前にいた。
静かな部屋。
一人きり。
画面の中では、レイナが笑っている。
バラエティ番組のひな壇で、自然に会話を回している。
数年前なら考えられなかった姿だ。
「……すげぇな」
ぽつりとつぶやく。
歌だけじゃない。
CMでも、トークでも、立っているだけでも目を引く。
もう完全に“売れてる人間”だった。
いや、それ以上だ。
老若男女が知っている。
名前を出せば通じる。
顔を見ればわかる。
そういう場所まで、一気に登ってしまった。
テレビのワイプには、今年の活躍を振り返る特集テロップが流れていた。
『今年の顔・レイナ』
恒一は少しだけ笑う。
「……ほんとに、なったな」
その声には、誇らしさがあった。
少しの寂しさも。
でも、それ以上に、ちゃんと嬉しかった。
スマホが震える。
ニュース通知。
『レイナ、紅白初出場決定』
「……は?」
思わず声が出る。
すぐにテレビのチャンネルを変える。
どの局でも同じ話題だった。
『今年を代表する顔として——』
『満を持しての初出場——』
『今年はレイナの年だった——』
どこを見ても同じ言葉が並ぶ。
もう疑いようがない。
国民的、という言葉がようやく現実味を持ち始めていた。
恒一はしばらく画面を見つめる。
レイナがインタビューを受けている。
少し照れたように笑いながらも、ちゃんと前を向いている。
あの表情を見ていると、遠くなった気がした。
「……遠くなったな」
ぽつりと漏れる。
でも、それでいい。
そう思った。
その夜。
レイナは仕事を終えて、控室で一人になっていた。
ようやく少しだけ静かな時間。
スマホには、紅白決定を祝うメッセージが山ほど届いている。
スタッフ。
共演者。
昔の知り合い。
見切れないほどの数。
その中に、一つだけ見慣れた名前があった。
恒一。
短い文だった。
『紅白おめでとう』
それだけ。
絵文字もない。
余計な言葉もない。
でも——
レイナは、その文を見た瞬間、今日一番ほっとした。
『ありがと』
打つ。
少し迷う。
それから、もう一文足す。
『今年ほんとやばい』
送信する。
すぐには返ってこない。
少しだけ待つ。
それだけで、妙に落ち着かなかった。
数分後。
『だな』
短い返信。
それだけなのに、レイナは少しだけ笑った。
「……短いんだよなあ」
小さくつぶやく。
でも、その短さが逆にいつも通りで安心する。
画面を閉じる。
鏡に映る自分を見る。
派手な衣装。
整ったメイク。
誰が見ても“スター”だと思うだろう。
でも、中身はそんなに変わっていない気もする。
ただ、少しだけ強くなっただけだ。
そのとき、控室のドアが軽くノックされる。
「入るよ」
レンだった。
「……まだいたんだ」
「そっちこそ」
レイナが言う。
レンは笑って、壁にもたれる。
「紅白、おめでとう」
「……ありがと」
「いい顔してるね」
「またそれ?」
「だって本当だし」
軽い。
相変わらず。
でも今は、前より少し距離がある。
レイナもそれを崩さない。
レンはそれを察しつつも、まるで気にしていないふうに続ける。
「まあ、ここからだよ」
「紅白出たら、たぶんもう一段上がる」
「上がりたくないわけじゃないけど」
「でも、ちょっと怖い」
レイナが正直に言うと、レンは少しだけ黙ってから笑った。
「怖いくらいがちょうどいいよ」
「そういう時の方が、人はちゃんと光る」
その言葉は、悔しいけど嫌いじゃなかった。
やっぱり、この人は危うい。
でも、才能だけは本物だ。
その現実がまた、少しだけ厄介だった。
控室を出たあと。
レイナは廊下を歩きながら、小さく息を吐く。
「……今年の顔、か」
自分で言うと、まだ少し変な感じがした。
でも——
ここまで来たのなら。
ちゃんと、その先まで行きたい。
そう思った。
第42話を読んでいただきありがとうございました。
今回のテーマは「頂点と距離」です。
レイナは確実に、これまでとは違う場所に立ちました。
それは多くの人に届くという意味での成功であり、
同時に、簡単には触れられない存在になったということでもあります。
その一方で——
恒一とのやり取りは、変わらずどこか静かで、
しかし確かに繋がっているものとして描いています。
そして、神代レン。
彼の存在は、成功を支える力でありながら、
同時に不安定な要素でもあります。
すべてが順調に進んでいるように見える今。
だからこそ、わずかな違和感が際立ち始めています。




