第34話 崩れ始めるもの
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第34話では、これまで順調に見えていた流れの中に
初めて明確な“異変”が現れます。
急激に広がった環境。
増え続ける仕事。
そして、その裏で無理を重ねていた佐倉。
大きな出来事ではありませんが、
確実に何かがズレ始めている。
そんな違和感を描いた回になっています。
朝。
事務所の空気が、いつもと少し違っていた。
「……あれ?」
レイナがつぶやく。
誰もいない。
いつもなら一番に来ているはずの人物がいない。
「佐倉さん、まだ来てないのか」
恒一が時計を見る。
「珍しいな」
レイナも少し首を傾げる。
「寝坊……とか?」
「いや、あの人に限ってそれはないだろ」
そのとき。
ドアが開く。
「おはようございます」
桐谷が入ってくる。
その後ろに一ノ瀬。
「おはようございます」
「おはよう」
恒一が軽く手を上げる。
「佐倉さん、まだ来てないんだけど」
桐谷が少しだけ考える。
「連絡は?」
「いや、まだ」
その瞬間。
恒一のスマホが震える。
画面を見る。
「……佐倉さんだ」
すぐに出る。
「もしもし?」
少し間。
表情が変わる。
「……え?」
レイナが不安そうに見る。
「どうしたの?」
恒一は電話を耳に当てたまま、ゆっくり言う。
「……大丈夫ですか?」
さらに少し間。
「わかりました、すぐ行きます」
通話が切れる。
沈黙。
「……どうしたの?」
レイナが聞く。
恒一は短く言う。
「倒れたらしい」
「……え?」
「家で」
レイナの顔が固まる。
「今、病院」
その場の空気が一気に重くなる。
「行くぞ」
恒一が言う。
レイナもすぐに頷く。
「うん」
⸻
病院。
白い廊下。
消毒の匂い。
静かな音。
受付を済ませ、案内される。
病室の前で、足が止まる。
「……入るぞ」
恒一が言う。
レイナが小さく頷く。
ドアを開ける。
ベッドの上に、佐倉がいた。
点滴。
少し青白い顔。
でも——
「……あれ、来たんですか」
普通に話す。
その声に、少しだけ安心する。
「大丈夫か?」
恒一が近づく。
「大丈夫です」
すぐに答える。
「ただの……過労ですね」
苦笑い。
「ちょっと無理しすぎただけです」
レイナがベッドの横に立つ。
「……ほんとに?」
「ほんとに」
優しく返す。
「ごめんね、心配かけて」
「いや、それはいいけど……」
恒一が言葉を探す。
「……無理しすぎだろ」
「ちょっとだけです」
「ちょっとじゃねぇだろ」
少しだけ強く言う。
佐倉は少しだけ目を逸らす。
「……大丈夫ですよ」
でも、その声は少し弱い。
レイナが小さく言う。
「……休んで」
佐倉が少し驚いたように見る。
「え?」
「今は、ちゃんと休んで」
レイナの声は静かだった。
でも、はっきりしていた。
佐倉は少しだけ笑う。
「……ありがとうございます」
その顔は、どこか申し訳なさそうだった。
⸻
病室を出る。
ドアが閉まる。
廊下に出た瞬間。
空気が変わる。
「……やばいな」
恒一がつぶやく。
「完全に無理してた」
レイナは黙ったまま。
少し俯く。
「……私のせいかな」
小さく言う。
「違う」
即答だった。
「それは違う」
「でも……」
「違うって」
少しだけ強く言う。
レイナは黙る。
納得はしていない。
でも、それ以上は言わない。
⸻
そのとき。
少し離れた場所で。
桐谷と一ノ瀬が並んで立っていた。
様子を見ている。
「……想定より早かったですね」
桐谷が静かに言う。
一ノ瀬が小さく頷く。
「ええ」
「少し負荷をかけただけで、あれですから」
淡々とした口調。
感情はない。
「どうします?」
「このまま続けましょう」
一ノ瀬が微笑む。
「まだ余裕はあります」
その言葉は軽い。
でも。
意味は重かった。
⸻
その頃。
レイナは窓の外を見ていた。
何も言わない。
ただ、少しだけ考えている。
ここ最近のこと。
急に増えた仕事。
止まらない流れ。
そして——
佐倉。
「……なんか、おかしい」
ぽつりとつぶやく。
恒一が横で聞く。
「何が?」
「わかんない」
正直な答え。
「でも……」
少し間。
「このまま進んでいいのかなって思った」
恒一は少しだけ考える。
「……止まるか?」
「……止まれないでしょ」
レイナは苦笑する。
「だよな」
短く返す。
そのまま、少しだけ沈黙。
⸻
見えない何か。
確実に、少しずつズレていく。
でも。
まだ、誰もそれを止められない。
第34話を読んでいただきありがとうございました。
今回のテーマは「最初の崩れ」です。
佐倉のダウン。
それは単なる過労のようでいて、
物語の流れとしては大きな転換点でもあります。
ここまでは、勢いで乗り切ってきました。
ですが、この出来事をきっかけに
少しずつ歯車が噛み合わなくなっていきます。
そしてもう一つ。
新しく入った人間。
一見すると頼もしい存在ですが、
その裏側にはまだ見えていない意図があります。
次回、第35話。
小さなズレが、確かな形になり始めます。




