【ノクターンと語りべ男】
「和花?」
「なに?」
翔くんの泣き虫男が落ち着くまで、晩酌の手を止め、向き合う2人は、抱きしめあっていた。
和花の腰に手を回す翔平は、少し手のひらがグッと動く。
「和花を不安にさせないように。傷つけないようにって。どうしたらいいか、俺なりにずっと考えてきてたんだけど。」
和花の背中を右手で抱いたまま、左手で和花の頭をそっと撫でる翔平に、
「ありがと。」
和花は翔平の首に手を回したまま、素直な声に不安を混じえて言うと、
翔平の肩にもたれながら、その首元にチュウとする。
「俺、怖いから逃げてたんだよね、考えること。ごめんね?」
“ううん”と首を振ることもできない。
だけど、翔平の肩に手をかけて顔をあげると、まっすぐと和花は翔平に向き合う。
「和花は、こんな話聞きたくないかもしれないけど。俺からすると【和花と千歌】って、なんか似てて。和花が色んな話してくれてる時とか、千歌のこと想い出すんだよね。」
「うん、そっか…。」
理解したとかではない。
これから翔くんが何を話すのか。2人の関係が終わってしまう話なのではないか。
頭に不安がよぎり、小さく返事をするしかできなかった。
「だから、比べてるつもりじゃなかったんだけど。こういうこともあるんだな~って、不思議におもってるだけなんだよ。」
「うん、そうなんだね…。」
―大丈夫、大丈夫だよ。―
「千歌は死んじゃったって、話したけど。…自殺だったんだ。」
和花に、明後日の方角から隕石がぶつかってくる衝撃が内心に走る。
【彼女】のことを聞いてはいけない気がしていたのは、翔くんから初めて「死んじゃったんです」と聞いたあの時から、なんとなく“何かの病気で”と勝手に思ってたから。
おもってもみない話に顔の皮膚が後ろに引っ張られるように驚きを隠せずに黙ってしまった。
「“俺がいなければ”って、俺に出会わなければ千歌はいなくなったりしなかったんだな…って、ずっと後悔してきてさ。」
「…え、なんで翔くん…?」
―浮気?…は、ないか。いじめ?―
和花は、思っていたこととまったく相反する話が飛び込んできて、"なぜ?”の理由を少しの単語でしか考えることができなかった。
「千歌のことも、和花とも、俺がちゃんと向きあわなきゃいけなかったのに、見ないふりして、逃げてた。ごめん。」
「なんか、私こそビックリしちゃって…ごめん。」
「ううん。そりゃビックリしちゃうよね。俺こそいきなりで、ごめん。」
柔らかく微笑む翔平に、なぜだか申し訳ない気がしてしまう。
「俺が受け入れなきゃいけなかったんだよね。だから、長くなるけど、【千歌】の話をしてもいいかな?」
「うん。私も教えてほしいとおもってた。聞かせてくれるの?」
「うん。」
翔平は微笑んで頷いた。
翔平のあぐらから、「大丈夫?」手を支えられゆっくり降りると、
2人は後ろのソファに“ちゃんと話そう”と、並んで座る。
「結構ヤバイ話もあるから、聞きたくないって時は、ヤダって言ってね。」
「…わかった。」
お互いに、“うん”と覚悟の頷きをする。
承知のすけです。←邪魔です
「千歌ってさ、出会った高1の時、都市伝説がいっぱいの女の子でさぁ。」
「は?」
翔平は、千歌と出会った頃の経緯から、
「最初は【田中幸子さん】って名前だったし。」
「は?」
想い出バナシをかいつまんで語り始めた。
こうだったんだーそうだったんだーと、
翔平が【彼女】と過ごした高校時代を振り返る間、
和花は素直な言葉で少し、少しと小さなキャッチボールを投げ返す。
「んで、お昼食べ終わったあとに、千歌はショパンを1曲弾くんだよ。初めて会った時に弾いてたのが『ノクターン2番』だったんだよね。『ノクターン』って種類があるのね?1つじゃないのも知らなかったけどさ。」
「“夢の中へ“の『夜想曲』…だもんね。私も詳しくは知らないんだけどさ。」
「俺より全然詳しいじゃん!」
ふざけてつっこむ翔くんの顔には、“高校生”のような幼さをイメージできる笑顔が貼りついているように見える。
「その千歌の『ノクターン2番』に震えるほど感動して、俺。それから、どんどん千歌のことが気になって、好きになって…て、完全に片想いだったけど。」
「震えるほどの感動って、凄いね。てか、翔くんが片想いだったんだね。」
フフフと、想い出バナシに和の花を添える。
「そ!千歌のピアノが聴きたくて、『ノクターン』を弾いてほしくて。そばにいたくて、一緒にいてほしくて…って、千歌のこと、めちゃくちゃ追いかけちゃったんだよな、俺。…なんか、恥ずかしいね。」
「全然。」
ーうらやましいよ。ー
青春のおもひでポロリポロリ。
「あ!ボイスレコーダーの『ノクターン2番』って…?」
「うん。そう。昼休みに千歌が弾いてるのを録音したんだよね。」
「そうーだったんだぁ。…聴いてもいい?」
「前に聴いたん…うん…いいけど。最後に笑い声とか入ってるから、また気分悪くなるかもよ?」
「もう大丈夫だよ。」
木製の“大事なものを入れてるBOX”から、ボイスレコーダーを取り出す前に1度見つめる。
その中にいる千歌の笑った顔が思い浮かぶと、箱の中が滲んだ。
「どうぞ。」
「ありがと。」
手渡されたボイスレコーダーを和花も見つめる。
そっと、イヤホンを耳にさして、『ノクターン 千歌』と表示された“再生ボタン”を押す。
シーソー…
きゅっと心臓をつかまれるような優しい高音。
ファーソーファーミ…
あの時、1度聴いて後悔してすぐやめた、イヤホンから伝わる『ノクターン第2番』は、
女神様のヒザ枕で、愛をささやかれながら、ふわぁっと眠りに落ちるような鎮静作用が働く。
―透き通った、本当に綺麗な音…。―
千歌さんは、どんなふうに弾いていたんだろう。
翔くんは、どんな様子で気持ちで聴いていたのかな。
それをイメージしながら、半眼の悟りの境地で、身体に響き渡らせる。
人柄が垣間見える。こんな音色を奏でる人に愛され、愛していたんだ…翔平くんは。
そりゃあ忘れられませんよ。
心の奥に届く…どこだろう?心を打つ歌声。技術を越えたずっと先の世界。
謳う喜び。生命の息吹、喜び。優しい情熱。あぁ、そうだ魂を響かせるんだ。
「楽しそ。」
2人の会話が、まだ和花の心をチクッと刺す。
だけど、翔平と千歌の笑い声を聴きながら、ポツリと和花もお姉さんの顔で微笑む。
「ありがと!本当にプロだね!鳥肌ってわかるわ。プロのピアニストに…なれただろうね。」
「そうだね。そういうCD出すみたいな話もあったみたいなんだよね。事情が事情だからお蔵になったって、これも後から百合子さんに聞いた話だけど。千歌からは聞いたことないし、そういう話。」
穏やかに微笑みながら、翔平は、また“大事BOX”に丁寧にボイスレコーダーをしまう。
「これだけ歌心があって、優しくて、あったかくて、だけど力強くて…音楽に詳しくない私でも、もっと聴かせてって引き込まれちゃう。正直、悔しいけど。翔くんは、隣で間近で聴いてたわけでしょ?そりゃあ…敵わねぇーわぁー!」
「歌心…。さすが、表現が俺なんかと全然違うわ。なんか、嬉しいよ。俺のことじゃないけど、そんなふうに言ってくれるの。」
フタを閉じる前に、千歌と口が触れた“ファーストキス”を頭に描く。
―千歌…。良かったね。―
ジワッとしてしまう、湿る瞼をグッと閉じた。
「大丈夫?」
止まったままの翔平の後ろ姿に、和花は心配の声をかける。
「うん。大丈夫だよ。」
“大事BOX”のフタに手をかけたまま、翔平は和花に振り返る。
相変わらずの豆柴スマイルが素敵で、和花もついつい微笑み返す。
「なんか、おもってたイメージと違う。」
「千歌のイメージ?」
「うん。すごく大人びてるというか…高校3年生でしょ?落ちついてる感じだよね。」
「あぁ、うん。そう、そうなんだよね。確かに“キャピキャピ”みたいなのは、まったくなかったねー。わかってんねー?」
翔平は、イタズラな笑いをする。
「おもってたより声も低いし。勝手にブリッコみたいな感じかとおもってたし。『ノクターン2番』聴いたからかな?」
「そういえば、声低いかもね。あんまり考えたことなかったけど。」
人のイメージなんて、適当で勝手なものよね。
ブリッコ。←気にいるな
翔平はソファに戻り、「さて。」と、和花の隣に腰を下ろす。
「こっからの話は…聞きたくないときは言ってね。」
そうだった。“翔くんの想い出バナシを聞く会”みたくなってしまったけど、ちゃんと向き合わなきゃだったんだ。
「うん。わかった。」
また承知のすけで頷いた。
「千歌には、“アイツ”って呼ぶ義父がいたんだけど。ソイツから…千歌はずっと暴力を受けてたんだよね、小学の2年間くらい。」
「…え。」
和花の身近にないその話は、また、明明後日の方角から小惑星がぶつかってくる衝撃が、顔中に走り歪めさせる。
「ソイツから逃れるために中学でコッチに越してきて。“支援措置”っていうの?虐待とかDVから避難してる人のこと。そんな言葉すら知らなかったんだけどさ。車の名前かとおもったくらいだし。」
「“シエンソチ”…私も初めて聞く。」
「「服をめくられて暴行されてたから、表からでは何も見えない。身体も心の傷も、外見にはわからないから気づいてもらえなかった」って、千歌の叔母さん…って言っても“おばさん”にはとても見えない綺麗な人なんだけどさ。」
あら、ありがとう♡ by百合子 ←今入ってこないで
「千歌のお腹や背中にたくさんあったよ、"アイツ"の正体が。苦痛、激痛…どの言葉も当てはまらないし、そんなんじゃ全然補えない“狂気”…それでも足りないな。その傷を目の当たりにして…すげぇ怒りがこみあげきたよなー、あん時。俺、ソイツのこと《殺す》って本気でおもったよ。」
高温状態を長く放置してしまうと、レンズにはヒビが入り熱でダメになってしまう。
翔平のレンズには、そんな長年の怨念のような淀みが映し出される。
「だから、和花がヤケドの話してくれた時も、千歌のこと考えてた。ヤケド、ミミズ腫れ、タバコの焼け跡…って。」
「そんなこと…最低。」
怖くて、想像できない。そんなことできるのって、ありきたりな言葉は中途半端にしか出てこない。
「最低だよ、最悪。本当に鬼畜。…ごめん、こんな話されるとおもわなかったよね。やめようか?」
気持ちが黒い渦に引きずり込まれそうになるのを、翔平はフッと払うように留まり、豆柴翔くんの顔を取り戻す。
“ううん”と首を横に振る和花もまた、気持ちをしっかり保とうと、薄ら笑いで気丈に振る舞う。
苦々しいものが逆流してくるような不愉快感を抑えつけ、
「「ヤケドのこと気にするな」って言ってくれたあの時、こんなに器の大きい人に愛されてる彼女さんのこと羨ましいな~って、憧れたもん。」
あえて、女の子らしい発言をしてみた。
「ありがとね。」
気をつかってくれたのがわかるから、翔くんも男の子らしく、和花ちゃんの頭を優しく撫でた。
“女の子に優しくしなさい”って子供の頃に習うやつだよね。←そろそろ出てけ
「突然いなくなっちゃったんだよね。」
チラッと和花を見たあと、翔平は、微笑みから冷えた無表情になる顔をゆっくり正面に向ける。
「本当に突然会えなくなっちゃったから、俺がわかってないというか…受け入れられずにきちゃってた…。」
「そう…そうだよね。」
言葉を無理矢理探してみるけど、まったく追いつかない和花の思考は、相づちを打つだけで精一杯だった。
「俺のせいで、千歌は死んじゃったんだ。」
いつか、千歌がお母さんの話をしてくれた時のように。
いつか、和花がお母さんの話をしてくれた時のように。
ふたりをリンクさせるような同じ口調で、翔平は、レンズのスクリーンいっぱいに溜め込んできた“一時停止”や“巻き戻し”のボタンで止まった映像を思い浮かべると、右手でボリボリ頭をかいた。
「何も言葉が見つからなくて…ごめんなさい。」
「いーのいーの。聞いててくれるだけで。」
おじさんかおばさんのような、そんなに呑んでもないのに少し酔っぱらいぎみの翔平は、和花に鼻声でからむ。
なんだか老け込んだね。←まだいたの
「こんな話…アレだけど…。」
「ん?」
「俺…、千歌のこと、本当に大好きで大好きでたまらなかったからさぁ、高校卒業する前にプロポーズしたんだよね。」
ドライアイを知らないレンズからは、ボロボロボロボロと“俺の名場面”が湯水のごとく流れ落ちる。
翔平は、ハハハと泣き照れ笑いをしながらティッシュで顔を覆った。
和花は、売れない悲恋映画を観るような難しい顔で、無力に翔平を見つめていた。
「それで、千歌にOKの返事もらって、ご両親に挨拶しに行こうってなってさぁ。【本田家】の墓参りに行くって日に…その日に千歌は、死んじゃった。突然会えなくなっちゃったんだよ。」
黒い渦の“再生ボタン”を、翔平は初めて自らの手で押した。




