8.遭遇
――12月31日 18時半 T市郊外――
士郎さんは夕方戻ってきた。猟仲間や地元の人達と熊の様な不審者対策をしたそうだ。熊ならともかく、人なら撃つわけにもいかない訳だ。家から1人で出ないこと、情報共有する事など話したらしい。
「今年は最後まで忙しねぃ!」
と声にした後、士郎さんは年越しそばを打つ作業に入った。いつもの士郎さんだった。
静かな夜になった。降り出した雪がもう20センチほど積っている。雪が降る時に周囲の音を吸収してしまうと士郎さんから聞いたことがある。風もなく静かな夜に雪が降ると大雪になることが多い。いつからか俺は積もる雪と積もらない雪の違いも分かるようになっていた。今降ってるのは水分をたっぷり含んだぼた雪だ。
「今夜は積もるなぁ。」
窓を開けて呟くと、子猫がスエットの襟首から顔をのぞかせた。雪が降るのをじいっと見ている。何か胸騒ぎの様なものを俺は感じた。
◇
母屋の西側、道路を越えて隣地の畑の更に奥の方…何かが近づいてくる気配というか、予感というか…雪のために視界は悪いが、まっすぐにこちらに向かってきている気がする。子猫は窓辺に脚を踏ん張るようにして少し毛を逆立てている。子猫の目線の先に意識を集中すると、ザッザッと雪を踏みしめながら誰かが歩いてきているのを感知できた。ここ2日程、耳が良くなったような気がしていたが、耳だけでなく、身体全体の感覚が鋭くなっている。こんな事があるのだろうか。
急ぐ訳でもなく、一歩一歩確実に近づいてくる気配。姿はまだ見えない。俺が昼に話題になっていた不審者のことを思い出した時、それは、窓のすぐ側に立っていた。母屋よりも大分遠くにいた気配がほんの数メートルの距離に現れたのだ。大きな男だ。冬の夜に出歩くには似つかわしくない薄手の服装、古代ギリシャやローマの服装に似ている。少し野生的で西洋人のような顔立ちに黒目がらんらんと光っている。肩にも頭にも雪が積っているが、気にもしていないようだった。明らかに異質なものを男に感じ、俺は窓辺の子猫を抱き懐に入れた。男は無造作に腕を伸ばし、窓ガラスを割り、サッシごと引っこ抜いた。男の腕は外国映画に出てくる大型トレーラーのマフラーのように太かった。
「それを渡せ…。」
男が言った。日本語ではない。ただ、俺は男の言語を理解した。それってのは、子猫である。
「渡せる訳ないでしょう。あなた、誰ですか。何してるか分かってますか。」
俺の答えに男は言葉では答えず、俺に向かって手を伸ばしてきた。瞬間、俺は男の腕をすり抜け、窓から外へ飛び出した。…もう、窓は形をなしていないが。俺は驚いていた。男の力にではない、自分にだ。俺は決して運動神経が良い訳ではなかった。体育の評定は安定の3だったはずだ。男の腕の動きも随分速かったのは見てとれた。それ以上に速く動けた自分に明らかな違和感を感じたのだ。
「こちらの人族にしてはすばしっこいな。…渡せないなら奪うだけだ。」
男が、左腕を振り上げた瞬間、俺は母屋まで殴り飛ばされていた。裏拳だった。俺は反射的に左腕でガードはしていた。しかし、男の力は異常だった。母屋の外壁が大きく破損した。
田上夫妻が物音に気づいて外へ出てきた。
「士郎さん、例の不審者だ!瑠璃子さん、警察!」
俺は叫んだ。士郎さんが一旦家の奥に入り、瑠璃子さんは物陰から携帯で連絡をしたようだ。士郎さんが猟銃を構えて出てきた。
「これ!動くな、」
銃口を向けているにも関わらず、男は無造作に士郎さんに近づき、猟銃の銃身を掴んだ。瞬間、士郎さんの身体が宙を舞い数メートルほど飛んでった。猟銃はぐにゃりと曲ってしまっている。士郎さんが起き上がるのを横目で確認した後、俺は男にショルダータックルを浴びせた。驚いた事に男は母屋の西側道路上を越えて、隣の畑まで飛んでった。十数メートルは飛んだ事になる。
「克さん、やるのぉ!」
士郎さんの声、母屋から携帯片手に瑠璃子さんが顔を出した。
「猟仲間にも応援頼んだよ!」
瑠璃子さんは流石の対応だ。
「油断した。中々、中々だぞ、お主。」
俺に向かって、うれしそうな大男の声がした。
◇
男は何事もなかったように起きあがり、腰に差した棒状の何かを手にした。あれは、鉈か。ただ士郎さんが山で使っている20センチほどの長さの鉈より大分長さがあり、厚みは倍以上ある。大男のせいで武器はやたら小さく見えるが、倍の厚みと長さを持つ鉈である。見ていると何か危険な予感がする武器だった。
デモンストレーションでもするかのように男が振り回すと、鉈はシューシューと不気味な音をたてた。鉈の形は鎌首もたげた蛇のように見えた。男が振り回すのを止めた、その瞬間、俺の目の前に男が迫っており、鉈で思い切り左腕を斬りつけられた。今度は離れまで飛ばされる。斬るではなく、鉈で殴り飛ばされたと言った方が適当か。左腕が折れたと俺は思った。叩かれた時に身体の内部で骨の折れたような音が響いたからだ。
ゆっくりと男が近いて顔きた。今度は倒れた俺の頭部に鉈が振りおろされる…覚悟を決めて思わず目をつぶった…しかし、鉈が振りおろされることはなかった。目の前の男は母屋の屋根の上を見ていた。屋根の上に人の影がある。影はふわりと地面に降り立った。




