5.イシュタールとアスマ
―イシュタールの視点―
イシュタールは戸惑っていた。アスマの出奔にだ。同時期に魔王に仕えるようになって50年は経っていたが、そんな気配を1度も感じたことは無かった。戦闘訓練や任務の多くを共にし、お互いの過去や今後を語り合った夜もある。筋骨隆々とした大柄なアスマと、細身だが火と水の二系統の魔法が得意なイシュタール。2人は似たり寄ったりの実力で、お互いを補完し合って任務に当たることも多かった。1番近くに居た存在だからこそ、イシュタールは気づかなかった自分を恥じ、何故こうなったのかを考え続けた。しかし、答えは出るはずもなく、ぐるぐると頭の中を疑問符が回るだけであった。
(私が追手に指名されれば…)
言葉にはしないもののもどかしさを噛み締めてじっと沙汰を待った。
昨夜、魔王の城・セーレ=ノクシスでは2つの事件が起きた。1つは城の庭にゲートが発生したことだ。ゲートとは、異世界とこの世界を繋ぐ裂け目である。突然発生し、人やモノが運ばれてきたりする。大規模なゲートは珍しく、過去の記録では、大きな島が突然現れたり、強力な力を持った者がゲートを通じて現れたこともあった。
ゲートの規模とは、物理的な大きさを表すだけではなく、魔素量など存在値の高い者が通れるかどうか示す。城に出現したゲートの物理的規模は数十メートルはあるものの、魔素量の面では小さく、一般的に小ゲートと呼ばれるものだった。よって、ゲートが発生したこと自体は大した問題ではなかった。城内であるが、ゲートの規模から、異世界より強力な力を持つ何者かが現れる可能性は無いと判断された。 一般的に数日でゲートは閉じる。ただそれだけのものと当初は考えられたのだ。
異変に気がついたのは魔王であった。魔王の眷属、ネザリスの影とも呼ばれる山猫のバルナ。彼女が先月産み落とした子猫の姿が消えたからである。そして、アスマの姿も消えていた。バルナは魔王の寝所で子を産み、子猫は警戒心が強くバルナのいない時でも魔王の寝所から殆ど動かなかった。活発に行動し始めるには、もう少し時間がかかる。ただ、侍女が寝所に近づくアスマの姿見を見たこと、アスマと子猫の魔力残滓がゲートで途切れていたことが決定打となり、アスマが子猫を連れて異世界に消えたと判断された。魔王は追跡を命じ、適任者としてイシュタールが指名された。名誉な事である。もっとも、ゲートを潜り異世界に渡る小さな魔力の持主で、戦闘もできる者が他にいなかっただけでもある。
本来ならイシュタールにとって心躍る重要任務である。しかし、任務内容は子猫の奪還であり、アスマについては特に言及がなかった。生死も問わず捨ておけということであった。討伐対象ですらなく、理由の聴取すら必要ない。ただ、イシュタールはアスマの行動理由を問い正してみたかった。任務決定から約1時間後、イシュタールには、追跡犬と魔道具エル=クリジアの輪が与えられた。魔道具の使い方を確認し、ゲートの前に立つ。モヤモヤとした気持ちを抱きながらイシュタールはゲートへと踏み出した。
◇
ゲートを潜ると、空の上だった。強風により追跡犬は飛ばされて落下していった。(この高さでは助かるまい…。)イシュタールは、背中から蝙蝠のような羽を広げてかろうじてゲートに留まっている。エル=クリジアの輪に魔力を込めるとゲートと同化して形はきえてしまった。輪は2つあり、一つ目に魔力を込める事でゲートの座標が記憶される。もう一つの輪に魔力を込めれば輪は広がりその中にある物体を記憶した座標…つまり、ゲートへと飛ばす。魔力を込めるのは同じ者でなければならず、同一魔力に対して魔道具は反応するらしい。輪に込める魔力の調整により運べる物の重さや範囲が決まってくる。元々は運搬魔法の応用であり、人族が単独で大きな荷物を運ぶために作ったのだ。人族はこうした細かい生活魔法を生み出すのが得意な種族である。エル=クリジアの輪があれば、ゲートと離れた場所で子猫を確保しても運搬は容易になる。イシュタールは地上へ降下するため、羽根をゆっくりと羽を閉じた。
ゲートから真下に落ちたのであれば海の中である。飛行能力が殆どないアスマだが、死にはしないだろう。イシュタールは近くの海岸を調べた。マナが薄い世界だったのが幸いし、アスマの魔力残滓はほどなく見つかった。子猫の魔力残滓が一緒に残っているかと思ったが、アスマのものだけである。アスマを追跡することが子猫の発見に繋がるかもしれない…イシュタールは心の中に小さな炎が灯った気がした。
◇
――12月31日 12時30分――
テレビの中で昼の地方ニュースが流れている。M市で昨夜不審者が出たとレポーターが叫んでた。身長2メートル以上もある筋肉質な大男が道の真ん中を歩いており、温泉帰りの客が通報した。駆けつけた警官に職務質問されると男は外国語で何かを言って立ち去ろうとしたらしい。止める警官2人を川へ投げ飛ばしパトカーをひっくり返して逃亡したとのことだった。
昼御飯を食べてた士郎さんが、
「熊の間違いじゃないのか?素人がクマの体長を間違えることはある……」
と言ってニヤニヤしていたが、T市方面に向かったとの情報が出ると、険しい顔して何処かに行ってしまった。子猫は瑠璃子さんに撫でられながら、だらしなく身体を預けている。
いよいよ物語が動いてきます。お付き合いいただき、ありがとうございます。




