13.カッツ、名前をつけてもらう
島に春がやってきた。俺はほぼ専業農家みたいになっているし、時間はあるんだけど、想像以上に忙しかった。果樹の剪定、肥料、植替えなど盛りだくさんだった。他にも簡易的に作った田んぼで種籾を増やすための苗づくり。毎日が充実しつつも目が回る忙しさだった。季節は待ってくれないのだ。
魔人となってからも元の世界と同じように3食食べてゆっくり寝る生活をしてたけど、他の魔族はそうでもないらしい。食べなくても眠らなくても生きていけるのが魔族なんだそうだ。もちろん、きちんと食べて眠った方が身体にいい=強くなるからほとんどの魔族は食べて眠る。人族よりも食べる回数が少ないだけだ。ある魔族は何百年も冬眠のように眠り続けたりもするんだそう。
◇
「カッツ様、水路についてなんですが。」
ここ数日はアルゴは新しい村と田んぼを作るため、毎日会いに来てくれる。魔王は当初、村を作る話をすると、俺が城を出るのに難色をしめした。ネクロスさんが、村に魔王の瞳を配置することを提案したら一転、承諾してくれた。ネクロスさんに聞いたら、魔王の瞳があれば、村の映像を魔王は自由に見れるらしい。実物を見せてもらったけど、手のひらに乗るくらいの小さな魔物だった。大きな目玉を持ち監視カメラみたいな形をしていた。岩や木やなどあちこちにくっついて機能するらしい。魔王の趣味が俺の観察になっている。
アルゴと話して山の中腹から水路を引いて棚田に水を入れる予定だったが、水量が不足した時のため、井戸を作り渇水時、魔法を使って汲み上げ入れる工夫をすることを確認した。
「アルゴ、俺、城に戻るよ。今夜は、魔王に呼ばれてるんだ。」
「あ、ご存知ないんですか。今日、姫様達が帰って来られるんですよ。」
「何も聞いてないけど、姫様って?」
「てっきりネクロス様あたりから聞いてらっしゃるかと。姫様達ってのは、魔王の娘のミレディア様と姪のルナヴェル様です。魔王配下の黒旗軍の皆様とご帰還なさると聞いて街は大忙しですよ!」
魔王に娘がいたのも初耳だけど、軍を率いてたってことは、戦争してたってことなのだろうか。この世界にも戦争があるのか。なんだかきな臭くなってきた。
◇
――魔王城 セーレ=ノクシス 謁見の間――
いつものように玉座に座る魔王の正面に3人の魔族が並んで跪いている。娘のミレディア、姪のルナヴェル、黒旗軍の将ラグナー。戦っていたのは北方にいる氷の巨人族らしい。巨人族なんてのもいるのか。いつか見てみたいものだ、遠目で。その後、晩餐会の会場に俺は移動した。
魔王城での晩餐会は盛大なものだった。魔王は、バルナの子猫のこと、俺の事を交えて挨拶した。魔王の挨拶が終わるとひとりぼっちでいた俺の前に少女がツカツカと歩いてきた。赤い長髪をツインテールに結んでいる。謁見の間ではマントのようなものを羽織っていたが、今は脱いでいる。鎧を着ているものの、色々はだけていて正直、目のやり場に困る。背は俺と同じ位でバレーボール選手のようにスラっとした人だ。彼女は俺の前まで来ると、
「貴様、分かっておるのか!」
彼女は目に涙を溢れさせながら、真っ直ぐに俺の目を見て断じた。答えに困っていると、左フックが飛んできた。俺は迫り来る左フックを見ながら、俺?殴られるの?俺ぇ⁈……と考えていた。そして、俺の意識は彼女の左フックに刈り取られた。
◇
ベッドに横たわっていた。側の椅子に黒髪の女性が腰を掛けている。東洋風の顔立ちで切れ長の目に長いまつ毛、白く陶磁器のようなつるんとした肌をしている。
「……あなたは?」
俺の目が覚めたと気づいた子猫が顔を舐めてきた。彼女は子猫を膝に乗せると、
「私はルナヴェル、魔王アモンの姪よ。ミレディアがごめんなさいね。」
静かで落ち着いた声だった。そして、
「ミディ!居るなら入ってきなさい。」
少しきつめに声をかけた。ミレディアは廊下からそろそろと入ってきて、俺に詫びた。俺に見事なフックを見舞った時とは別人のようにおどおどしていた。
彼女は辿々しいながらも懸命に説明をしてくれた。バルナの次の子は、自分の猫にすると楽しみにしていたこと。俺と子猫が『血盟』まで交わしていることを聞いて、子猫が奪われたと思ったこと。自分の留守中に事件が起こり遠征からの帰り道を急いだこと。俺が巻き込まれる形でこの世界に来たのを知らなかったことなど、引っかかりながらも誠意は充分伝わった。そして、最後に『血盟』まで交わした俺たちを引き離すことはできないので、子猫を大切にして欲しいと頼んできた。彼女も辛かったのだ。きれいな目に涙を溜めている。
俺はこの時に大事なことに気づいた。俺はミレディアに向かって言った。
「分かりました。お詫びは受け入れます……1つ俺からも頼みがあります」
ミレディアは俺の目を見て、
「できることなら何でもします」
と答えた。
「名前をつけて貰いたいんです」
「えっ、えっ?」
ミレディアはよく分かっていない。子猫の名前だ。この世界に来る前も後も色々と忙しく、まだ子猫に名前をつけていなかった。ミレディアに子猫の性別が分かったら名前をつける予定だったことを告げた。子猫は雌だというのは先程の晩餐会で魔王が発表していた。
「……私がつけていいの?」
「アナタに名付けて欲しいんだ。」
ミレディアは子猫をルナヴェルから受け取り子猫を抱き上げた。子猫の目を見つめながら、彼女はまるで世界に宣言するような声をあげた。
「…エル。この子の名前はエル!」
「じゃあ。お前は今からエルだ。いい名前だ!」
子猫をミレディアから受け取り、抱き上げてそう言うと、子猫ははっきり、ニャァと答えた。
◇
離れには1人で帰ってきた。乳離れすれば、エルと一緒に住むことになるだろう。それまでは母親に甘えるのがいいのだ。明日も早い。俺はベッドに飛び乗った。子猫はいつものように俺の服の中に入りたがった。近頃は爪もしっかりしてきたから爪をたてられると痛い。加減を覚えてくれるといいと思いながらいつの間にか眠りに落ちた。
◇
「良かったわね、ミディ。」
ルナヴェルはすっきりとした顔のミレディアに声をかけた。ミレディアは名付け親になった喜びを思い返し、うれしそうな顔をしていたが、ふと気がついたように言った。
「あのワタリ、私の拳が見えてた……」
「……どういうこと?」
「アイツ、躱せてたかもしれないのに、何故殴られたのかな?」
「……よっぽどのお人好しなんじゃない。」
ミレディアは、そうか、そうだよね。と呟いた。涙はとっくに乾いていた。




