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『異世界に転移したら、俺だけ世界設定に存在しなかった』  作者: 一ノ瀬 律
一章

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第8話 神殿の内部は、存在しない者を映さない

 神殿の門をくぐった瞬間、空気が変わった。

重い。冷たい。

それでいて、どこか“透明な圧力”のようなものが肌にまとわりつく。


 いや、肌に、ではない。


 俺の“輪郭”に、だ。


 世界が俺を拒むときに感じるあの圧力とは違う。

もっと静かで、もっと深い。

まるで“世界の中心”が、俺という異物を観察しているような感覚だった。


 神殿の使者は振り返りもせず、白い回廊を進んでいく。

壁は石造りだが、どこにも継ぎ目がない。

天井には光源がないのに、淡い光が満ちている。


 その光は、俺の身体を通り抜けていく。

触れられない。

温度もない。

ただ、俺を“無視している”。


(……ここでも、俺は存在してないのか)


 胸が冷たくなる。


 回廊を進むたびに、壁に刻まれた文字が視界に入る。

見たことのない文字。

だが、どこかで見たような気がする。


(……ステータス画面の、あの枠……)


 あの空白のステータス。

そこに表示されなかった“名前・種族・職業”。

その枠の形と、壁の文字の形が似ている。


 まるで、ステータス画面そのものが“世界設定書の断片”であるかのように。


「止まれ」


 使者が言った。


 回廊の先に、巨大な扉があった。

外門よりもさらに大きく、重厚で、白い石に無数の文字が刻まれている。


 扉の前には、黒い衣をまとった人物が立っていた。

フードを深くかぶり、顔は見えない。

だが、その存在感は使者たちとは比べものにならなかった。


 空気が、わずかに震えている。


「……神官長」


 使者が頭を下げる。


 神官長。神殿の最高位の人物。


 その人物が、ゆっくりと顔を上げた。


 フードの奥から覗く瞳は、光を宿していなかった。

黒でも白でもない。

“色が存在しない”瞳。


 その瞳が、俺を見た。


 瞬間、胸が締めつけられた。


(……見られている)


 世界に拒まれるときの感覚とは違う。

もっと深い。

もっと根源的な“観測”だった。


「空白の者よ」


 神官長の声は、低く、響くようでいて、どこか遠かった。


「神殿へようこそ。お前の存在は、すでに世界設定書に記録されていないことが確認されている」


 その言葉は、淡々としているのに、重かった。


「だが──」


 神官長は俺に一歩近づいた。


「完全な空白ではない」


 胸が跳ねた。


「……どういうことだ?」


「空白は通常、門に触れられない。だが、お前は門に“反応”した。それは、空白の中に“何か”がある証拠だ」


「何かって……?」


「それをこれから調べる」


 神官長は扉に手をかざした。

扉の文字が淡く光り、ゆっくりと開いていく。


中から、冷たい風が吹き出した。


 風ではない。

“世界の深層”の気配だった。


「入れ」


 神官長が言う。


 俺は一歩踏み出した。


 扉の向こうは、広い円形の部屋だった。

天井は高く、壁には無数の文字が刻まれている。

中央には、巨大な石碑が立っていた。


 石碑の表面には、びっしりと文字が刻まれている。

だが、その一部が“白く抜けて”いた。


 空白。


 まるで、そこに何かが書かれていたのに、消されたような。


「これが……世界設定書の一部だ」


 神官長が言った。


「世界のすべての存在は、この石碑に記されている。だが──」


 神官長は石碑の空白部分に触れた。


「ここに、本来“お前の情報”が記されるはずだった」


 胸が跳ねた。


「……俺の?」


「そうだ。だが、お前の情報は“消えている”。最初から書かれていなかったのではない。“消された”のだ」


 息が止まった。


「誰が……?」


「それを知るために、お前をここへ連れてきた」


 神官長は俺の胸に手をかざした。


 その瞬間、石碑が震えた。


 文字が光り、空白部分が淡く揺れる。


 俺の胸の奥が熱くなる。


(……何だ……これ……)


 胸の奥に、何かがある。

ずっと気づかなかった“何か”。


 それが、石碑の空白と共鳴している。


「やはり……」


 神官長が低く呟いた。


「お前の中には、“設定の欠片”がある」


「設定の……欠片?」


「世界設定書から切り離された断片。本来なら世界のどこかに記されるはずだった“設定”が、何らかの理由でお前の中に宿っている」


 胸が熱くなる。

石碑の光が強くなる。


「だが──」


 神官長の声が低くなる。


「その欠片は“不完全”だ。欠片だけでは、世界はお前を認識できない。だからお前は空白となり、世界に拒まれている」


 胸の奥の熱が、痛みに変わる。


(……俺は、欠片……?

 世界の設定の……欠片……?)


 神官長は続けた。


「お前がここに来たのは偶然ではない。お前をこの世界に送り込んだ“何者か”がいる」


 息が止まる。


「送り込んだ……?」


「そうだ。お前は転移者だ。だが、通常の転移ではない。“設定を持たないまま”転移してきた異常な存在だ」


 胸が締めつけられる。


「……じゃあ、俺は……」


「存在してはならない。だが──」


 神官長は俺を見た。


 その瞳は、色がないのに、深かった。


「お前は“完全な排除対象ではない”。欠片がある限り、世界はお前を完全には拒めない」


 胸の奥で、何かが脈打つ。


「これから、お前の存在を“再定義”する。欠片の正体を探り、世界設定書に再び記すことができれば──」


 神官長は静かに言った。


「お前は、この世界に“存在できる”」


 その言葉は、胸の奥に灯りをともした。


 だが同時に、神官長は続けた。


「だが、失敗すれば──」


 石碑の空白が黒く濁る。


「お前は“完全に消える”。世界からも、記憶からも、存在そのものからも」


 息が詰まる。


 そのとき、頭の奥で、あの声がした。


──観測保留、解除。


 観測者の声。


──設定外の転移者。

 次の段階へ進む。


 石碑が強く光った。


 世界が揺れた。


 そして、俺の意識は、光に飲み込まれた。

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