第6話 揺らぐ道、揺らぐ存在
馬車の中は、外の光を完全に遮断していた。
窓は黒い布で覆われ、外の景色は一切見えない。
ただ、車輪が土を踏む振動だけが、かすかに伝わってくる。
その振動さえ、どこか曖昧だった。
俺の身体は座席に触れているはずなのに、重さが乗っていない。
座っているというより、“そこに浮いている”ような感覚だった。
(……また、世界に拒まれてる)
そう思った瞬間、胸の奥が冷たくなる。
向かいの席には、神殿の使者が二人座っていた。
白い外套に包まれた彼らは、まるで彫像のように微動だにしない。
その瞳は、暗闇の中でも俺を正確に捉えていた。
村人たちとは違う。
俺の輪郭が揺れない。
存在しないはずの俺を、当然のように“見ている”。
その事実が、逆に恐ろしかった。
「……質問があるなら、許可する」
沈黙を破ったのは、右側の使者だった。
声は低く、感情がない。
「質問……?」
「神殿へ向かう者には、説明を行う義務がある。ただし、答えるかどうかは我々の判断だ」
義務なのに、答えるかどうかは自由。
その矛盾が、彼らの立場の異質さを物語っていた。
「……俺は、どうなるんだ?」
「判定される」
「判定……?」
「お前が“存在していいかどうか”だ」
その言葉は、刃物のように胸に刺さった。
「存在していいかどうかって……俺はただ、気づいたらここにいて……」
「それが問題だ」
左側の使者が静かに言った。
「この世界は“設定”によって成り立っている。設定外の存在は、世界にとってノイズだ。ノイズは排除される」
「排除って……削除、か?」
「そうだ」
あまりにも淡々とした返答に、背筋が冷たくなる。
「……俺は、何もしてない」
「していない。
だが、存在しているだけで危険だ」
その言葉は、村長の言葉と同じだった。
世界は常に正しい。
間違っているのは“存在しない者”。
胸が締めつけられる。
「……リーナは、俺を見えてる」
思わず口にした。
使者たちの瞳が、わずかに揺れた。
「治癒師の少女か」
「ああ。彼女だけは……俺をちゃんと見てる。触れようとしてくれる。触れられないけど……それでも、見ようとしてくれてる」
沈黙が落ちた。
やがて、右側の使者が言った。
「……珍しい」
「珍しい?」
「空白は、通常誰にも認識されない。輪郭が揺れ、視線が合わず、声も届きにくい。だが──」
使者はわずかに目を細めた。
「その少女は、お前を“見ようとしている”。それは、世界の設定に干渉する力を持つ者の特徴だ」
「設定に……干渉?」
「治癒師の中には、ごく稀に“設定のほころび”を感じ取る者がいる。世界の歪み、ノイズ、空白……そういった異常を、直感的に察知する」
リーナの言葉が蘇る。
──体が“世界に馴染んでない”みたいで……
あれは、ただの勘ではなかったのか。
「……リーナは、特別なのか?」
「特別かどうかは神殿が判断する。だが、お前を見えるという時点で、異質ではある」
異質。
その言葉が胸に引っかかった。
俺だけじゃない。
リーナもまた、この世界の“外側”に触れているのかもしれない。
馬車が大きく揺れた。
外から、低い唸り声のような音が聞こえる。
「……何だ?」
「世界の拒絶反応だ」
使者は淡々と言った。
「空白が移動すると、世界はその軌跡を修正しようとする。空間が揺れ、ノイズが発生する」
馬車の外で、木々がざわめく音がした。
風ではない。
何かが“擦れている”ような、不気味な音。
馬車の壁が、わずかに波打った。
「……揺れてる?」
「空間が歪んでいる。お前の存在が、世界の整合性を乱している」
胸が冷たくなる。
(……俺のせいで、世界が……)
そんなはずはない。
俺はただ、気づいたらここにいた。
何もしていない。
だが、世界は俺を拒んでいる。
観測者の声が蘇る。
──お前は、この世界に存在してはならない。
その言葉が、暗闇の中で重く響いた。
馬車が急に止まった。
使者が立ち上がる。
「着いた」
「……もう?」
「神殿の外縁だ。ここから先は、徒歩で向かう」
扉が開く。
外の光が差し込み、目が眩む。
馬車を降りると、そこは森の中だった。
だが、村の森とは違う。
空気が重く、色が薄い。
まるで世界の“裏側”に入り込んだような感覚があった。
「ここは……?」
「神殿へ続く“境界の森”だ。世界設定書の影響が強い場所。空白の存在は、特に強く反応を引き起こす」
その言葉を証明するように、森の木々が微かに揺れた。
風は吹いていない。
木々が“自分で震えている”ようだった。
足元の草が、俺の足を避けるように倒れる。
(……まただ)
世界が、俺を拒んでいる。
「歩け」
使者が前を指す。
森の奥へ続く細い道。
その先に、白い光が揺れている。
まるで、俺を待っているかのように。
歩き出すと、背後から声がした。
「カイ」
振り返ると、リーナが立っていた。
息を切らし、目を潤ませながら。
「……来ちゃダメだ」
「来ます。だって……カイさんは一人じゃない」
リーナは震える手を伸ばした。
その手は、俺の頬に触れようとして、すり抜けた。
「……っ」
リーナの瞳が揺れる。
「触れられなくても……私は、あなたを見てますから」
その言葉は、世界の揺れよりも強く胸に響いた。
使者が冷たく言う。
「少女。これ以上の同行は許可されない」
「嫌です。カイさんは……カイさんは、私が──」
「リーナ」
俺は言った。
「大丈夫だ。必ず戻る」
その言葉が嘘にならないように、強く言った。
リーナは唇を噛み、涙をこらえながら頷いた。
「……絶対ですよ」
「ああ」
俺は森の奥へ向き直った。
世界に拒まれた俺が、
世界の中心へ向かう。
その道は、存在の判定という名の裁きへ続いていた。
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