第19話 調整者、最初の揺らぎ
光が収まったとき、俺は神殿の石床の上に立っていた。
足元の冷たさが、現実へ引き戻すようにじわりと伝わってくる。
胸の奥の欠片は、以前よりも静かで、深いところで脈打っていた。
観測者は俺の前に立ち、静かに言った。
「調整者としての“最初の任務”が発生した」
その声はいつも通り淡々としているのに、どこか急いているようにも聞こえた。
「任務……?」
「世界の揺らぎが、神殿の外で発生している。お前が調整者として認められた瞬間、世界は“次の修正点”を示した」
観測者が手をかざすと、空中に淡い光が集まり、ひとつの“地図”が浮かび上がった。
地図は、村と神殿を含む周辺の地形を示している。
その一角が、黒い染みのように揺れていた。
「……森……?」
「境界の森だ。お前が神殿へ来る前に通った場所。あの森で“揺らぎ”が拡大している」
胸がざわつく。
(……あの森……俺が通ったときも、空間が歪んでいた……)
観測者は続けた。
「揺らぎの中心には“空白の穴”が生まれている。放置すれば、周囲の存在が削られ、森そのものが消える」
「森が……消える……?」
「存在が薄れ、記録が失われ、やがて“なかったこと”になる」
背筋が冷たくなる。
「調整者の役割は、揺らぎを修正し、世界の破綻を防ぐこと。お前は、最初の揺らぎを“閉じる”必要がある」
観測者は俺を見据えた。
「行け。世界は、お前の行動を待っている」
その言葉と同時に。
「カイさん!」
扉が開き、リーナが駆け込んできた。
息を切らし、頬を赤くしている。
「カイさん……!調整者になったって……本当なんですか……?」
俺は頷いた。
「本当だ。世界に……認められた」
リーナの瞳が潤む。
「よかった……本当に……よかった……!」
その声は震えていた。
安堵と喜びと、少しの不安が混じっている。
観測者はリーナに視線を向けた。
「少女。お前の“願い”は、世界に届いた」
「え……?」
「お前がカイを“存在してほしい者”として見たことが、世界の選択に影響を与えた」
リーナは驚いたように目を見開いた。
「わ、私が……?」
「世界は、関わった者の感情を読み取る。お前の願いは、確かに刻まれた」
リーナは胸に手を当て、少し震えながら言った。
「……よかった……本当に……」
観測者は続けた。
「だが、調整者の任務は危険だ。お前は彼のそばにいるべきではない」
リーナは顔を上げた。
「嫌です」
観測者の瞳がわずかに揺れた。
「危険だと言っている」
「危険でも……私はカイさんのそばにいたいんです」
その声は、震えているのに強かった。
「カイさんは……私を見てくれた。触れられなかったときも、存在が揺らいでいたときも……私を見ようとしてくれた」
リーナは俺の手を握った。
「だから……今度は私が、カイさんを見たいんです」
胸が熱くなる。
(……リーナ……)
観測者はしばらく沈黙し、やがて言った。
「……調整者の任務に同行することは許可されない。だが、“見守る”ことは妨げない」
リーナは小さく息を呑んだ。
「見守る……?」
「お前の存在は、カイの欠片を安定させる。だが、近づきすぎれば揺らぎを増幅させる。距離を保てば、彼の力になる」
リーナは俺を見た。
「……行きましょう、カイさん」
俺は頷いた。
「行こう」
観測者が手を上げると、空中の地図が消えた。
「揺らぎは、境界の森の奥にある。お前が通った道の“先”だ」
「先……?」
「お前が通ったとき、森はお前を拒んだ。だが今は違う。調整者としての“道”が開かれる」
観測者は静かに言った。
「行け。世界の揺らぎを、正せ」
俺は深く息を吸い、リーナとともに神殿を出た。
森へ向かう道は、以前よりも静かだった。
風の音も、鳥の声も、木々のざわめきもない。
まるで森全体が息を潜めているようだった。
リーナが不安そうに言った。
「……森の空気が……変です……」
「ああ。揺らぎが広がってる」
森の奥へ進むにつれ、空気が重くなっていく。
足元の土が柔らかくなり、木々の影が揺れ、
視界の端で“何か”が動いた気がした。
やがて、森の奥に“穴”が見えた。
黒い。
深い。
光を吸い込むような穴。
周囲の木々は色を失い、葉は灰のように崩れている。
「……これが……揺らぎ……?」
リーナが息を呑む。
「違う。これは“揺らぎの入口”だ」
胸の奥の欠片が脈打つ。
(……呼ばれてる……)
穴の奥から、声がした。
──返して……
少女の声。
──返して……返して……!
リーナが震える声で言った。
「カイさん……あの声……」
「ああ。彼女だ」
穴の奥から、冷たい風が吹き出す。風は森の色を奪い、空気を震わせ、世界の輪郭を削っていく。
俺は一歩、穴へ踏み出した。
「行くよ、リーナ」
「……はい……!」
リーナは俺の手を握り、強く頷いた。
穴の奥へ進むと、世界が揺れた。
空間が歪み、光がねじれ、
音が遅れて届く。
そして、穴の中心に、少女が立っていた。
白い髪。
黒い瞳。
影のような輪郭。
だが、以前よりも“はっきり”している。
──返して……
少女は俺を見た。
──返して……返して……!
その声は、痛みと怒りと、そして“願い”が混じっていた。
リーナが震える声で言った。
「カイさん……あの子……泣いてます……」
少女の頬を、透明な涙が伝っていた。
俺は一歩、少女へ近づいた。
「……話をしよう」
少女は涙を流しながら、俺を見つめた。
──返して……返して……返して……!
その声は、叫びではなく、“助けて”と同じ響きを持っていた。
胸の奥の欠片が強く脈打つ。
(……彼女を……救わなきゃ……)
俺は少女に手を伸ばした。
「返せない。でも、お前を救う方法を、一緒に探す」
少女の瞳が揺れた。
──……たすけて……?
「助ける。お前を“消えたまま”にはしない」
少女は震える声で言った。
──……こわい……
「大丈夫だ。俺がいる」
少女の影が揺れ、涙が光った。
──……ありがとう……
その瞬間、穴の奥から、黒い“何か”が飛び出した。
影の塊。
揺らぎの化身。
世界の歪みそのもの。
リーナが叫んだ。
「カイさん!!」
俺は少女を庇い、影の前に立った。
(……これが……調整者としての……最初の戦い……!)
胸の奥の欠片が光る。
世界が揺れる。
そして、影が襲いかかってきた。
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