第16話 第一の試練、存在の証明
光の中を落ちていく感覚は、これまでのどの転移とも違っていた。
重さがないのに、確かに沈んでいく。
音がないのに、耳の奥で何かが軋む。
世界の境界をすり抜けるたび、皮膚の表面が薄く削られていくような感覚があった。
(……ここが……試練領域……?)
足が地面に触れた瞬間、光が霧のように散った。
そこは“場所”と呼べるのかすら怪しい空間だった。
地面はある。
だが、砂でも石でも土でもない。
触れれば形を変え、離れれば元に戻る。
まるで“記憶の残骸”を固めて作ったような質感だった。
空は、空ではなかった。
色がないのに、色がある。
光がないのに、明るい。
遠くも近くも、すべてが曖昧に揺れている。
(……世界の外側に近い……)
観測者界で感じたあの“無音の圧力”が、ここにも漂っていた。
胸の奥の欠片が、静かに脈打つ。
「カイ」
声がした。
振り返ると、観測者が立っていた。
黒い外套は風もないのに揺れ、瞳は星のように光っている。
「ここは“第一の試練領域”。お前の存在を測る場所だ」
「存在を……測る……?」
「そうだ。世界は、お前が“何者であるか”を知りたがっている。名前と枠だけでは不十分だ。お前自身の“核”を示さなければならない」
観測者は手を上げた。
空間が波紋のように揺れ、目の前に“影”が現れた。
人の形をしている。
だが、輪郭が曖昧で、光を吸い込むように黒い。
顔も表情もないのに、どこか“俺に似ている”気がした。
「……これは……?」
「お前の“存在の影”だ。お前がこの世界に来てから抱え続けた不安、恐れ、迷い、それらが形になったものだ」
影がゆっくりと顔を上げた。
目はないのに、確かに俺を見ている。
「第一の試練は“存在の証明”。お前は、この影に“自分が何者か”を示さなければならない」
「どうやって……?」
「言葉でも、行動でも、意志でもいい。だが、影はお前の弱さを映す。曖昧な答えでは、飲み込まれる」
影が一歩、こちらへ踏み出した。
地面が沈み、空気が震える。
影の足元から黒い波紋が広がり、世界の色を奪っていく。
(……これが……俺の影……)
胸の奥の欠片が脈打つ。
影が口を開いた。
声は俺の声だった。
「──お前は、何者でもない」
その言葉は、刃物より鋭く胸に刺さった。
「世界に拒まれ、設定もなく、名前だけ与えられた空白の存在」
影が近づくたび、足元の地面が崩れていく。
「お前は、ただ“落ちてきただけ”。誰にも望まれず、誰にも必要とされず、ただ世界の揺らぎを増やすだけの異物」
胸が締めつけられる。
(……違う……俺は……)
影がさらに言う。
「リーナが見てくれた?それは“偶然”だ。彼女は設定のほころびを感じ取るだけ。お前を選んだわけじゃない」
胸が痛む。
「神殿が助けた?それは“義務”だ。お前を救いたかったわけじゃない」
影の声は淡々としているのに、重かった。
「観測者が興味を持った?それは“異常だから”だ。お前が価値ある存在だからではない」
影が手を伸ばす。
「お前は、“存在していい理由”を持っていない」
その言葉は、世界の揺らぎよりも重かった。
(……俺は……本当に……何者でもないのか……?)
胸の奥の欠片が、弱々しく脈打つ。
そのとき、リーナの声が頭の奥で響いた。
──カイさん……私は……あなたを見ていますから……
胸の奥の欠片が、強く脈打った。
(……俺は……)
影が迫る。
「答えろ。お前は──何者だ?」
世界が揺れる。
影が手を伸ばす。
その瞬間、俺は口を開いた。
「……俺は……」
声は震えていた。
だが、確かに言葉になっていた。
「俺は、“ここにいたい”と思った者だ」
影が動きを止めた。
「世界に拒まれても、存在が曖昧でも、名前しかなくても、俺は、この世界に立ちたいと思った」
胸の奥の欠片が光る。
「リーナが見てくれたからじゃない。神殿が助けたからでもない。観測者が興味を持ったからでもない」
影が揺れる。
「俺自身が、“存在したい”と思ったからだ」
影の輪郭が崩れ始めた。
「それが……俺の“核”だ」
影が震え、ひび割れ、光を漏らし、やがて、砕け散った。
世界の揺れが止まる。
観測者が静かに言った。
「……合格だ」
胸の奥の欠片が、穏やかに脈打つ。
「お前は“存在の証明”を果たした。世界は、お前を“存在する者”として認めた」
観測者は続けた。
「だが、試練はまだ終わらない」
空間が再び揺れた。
「次は“揺らぎとの対峙”。お前は、彼女と向き合うことになる」
白い髪の少女の声が、遠くで響いた。
──返して……
世界が白く染まる。
そして、第二の試練が始まった。
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