第11話 白い髪の少女は、消された設定
暗闇の中で、誰かの声が響いていた。
──返して。
その声は、冷たく、深く、どこか懐かしい響きを持っていた。
少女の声。
だが、ただの少女ではない。
──それは、私の設定。
その言葉が胸の奥に刺さった瞬間、意識が浮上した。
目を開けると、天井が見えた。
白い石造りの天井。
淡い光が差し込み、空気は冷たい。
(……ここは……)
神殿の一室だった。
儀式の部屋ではない。
もっと奥、もっと静かな場所。
身体を起こすと、胸の奥がまだ熱を帯びているのがわかった。
欠片が暴れた余韻だ。
「目を覚ましたか」
声がした。
振り向くと、神官長が立っていた。
その瞳は相変わらず“色が存在しない”ままだったが、どこか険しさが増していた。
「……儀式は……?」
「中断した。お前の中の欠片が、予想以上に強く反応した」
神官長はゆっくりと近づく。
「そして、“別の設定”に引きずられかけた」
胸が跳ねた。
「……あの少女……」
「見たのか」
「白い髪で……黒い瞳で……石碑に触れて……俺を見て……“返して”って……」
神官長は目を閉じた。
「やはり、彼女か」
「知ってるのか?」
「知っている。だが、語るには重い話だ」
神官長は椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「お前が見た少女は、“消された設定”だ」
息が止まった。
「消された……?」
「そうだ。世界設定書には、かつて“彼女”の設定が記されていた。名前も、役割も、存在理由も。だが──」
神官長は石碑の方角を見た。
「彼女の設定は、ある日突然“白紙化”した」
「白紙化……?」
「設定が消える現象だ。世界設定書から情報が抜け落ち、存在が曖昧になる。最終的には、世界から完全に消える」
胸が冷たくなる。
「……じゃあ、あの少女は……」
「すでに世界には存在しない。記憶にも残らない。ただ、設定の残滓だけが“深層領域”に漂っている」
神官長は俺を見た。
「お前が見たのは、その残滓だ」
胸の奥の欠片が脈打つ。
「……じゃあ、俺の中の欠片は……彼女の……?」
「断定はできない。だが、可能性は高い」
神官長は静かに続けた。
「彼女の設定が白紙化したとき、その一部が“世界の外側”へ流れ出た。そして、お前が転移してきた」
息が詰まる。
「つまり……俺は……彼女の設定の一部を持って、この世界に落ちてきた……?」
「そうだ」
神官長は頷いた。
「だからお前は空白になった。本来の設定がないのに、別の設定の欠片だけを持っている。世界はお前を認識できず、拒絶する」
胸が締めつけられる。
「……じゃあ、俺は……彼女の代わりにここに来たのか?」
「代わり、というより──“流れ着いた”と言うべきだろう」
神官長は立ち上がり、窓の外を見た。
「彼女の設定が消えた理由は、今もわからない。だが、彼女は強い力を持っていた。世界設定書に直接触れられるほどの力を」
「設定に……触れる……?」
「そうだ。世界の根幹に触れられる者は、極めて稀だ。治癒師の少女──リーナのようにな」
胸が跳ねた。
「リーナも……?」
「リーナは“設定のほころび”を感じ取る力を持つ。彼女が空白のお前を見えるのは、その力のせいだ」
神官長は俺を見据えた。
「だが、彼女がその力を使い続ければ、危険だ」
「危険……?」
「空白に触れ続ければ、存在が薄れる。彼女もまた、白紙化する可能性がある」
胸が痛む。
「……そんな……リーナは……俺を助けようとしてくれてるのに……」
「だからこそ危険なのだ」
神官長は静かに言った。
「お前が存在する限り、彼女は揺らぎに巻き込まれる。お前の欠片が暴れれば、彼女の設定も影響を受ける」
胸の奥の欠片が脈打つ。
(……俺のせいで……
リーナまで……)
神官長は続けた。
「だが、方法はある」
「方法……?」
「お前の欠片を“安定させる”ことだ。欠片が暴れなければ、世界の揺らぎも抑えられる。リーナへの影響も減る」
「どうすれば……?」
「再定義儀式を、もう一度行う」
胸が跳ねた。
「でも……さっきは……」
「失敗したのではない。“別の設定”が干渉しただけだ」
神官長は目を細めた。
「お前が見た少女、彼女の残滓が、お前の欠片を“取り戻そうとした”」
「……俺の中の欠片は……彼女のものだから……?」
「そうだ」
神官長は静かに頷いた。
「だが、欠片は今やお前の一部だ。彼女のものでもあり、お前のものでもある。どちらに属するかは、お前が決めることだ」
胸の奥の欠片が、静かに脈打つ。
(……俺は……この欠片を……どうしたい……?)
神官長は言った。
「次の儀式では、必ず“彼女”が干渉してくる。彼女は欠片を取り戻そうとするだろう」
「……俺は……どうすれば……?」
「選べ」
神官長の声が、部屋に響いた。
「欠片を“返す”か。それとも、“自分のものとして抱える”か」
胸が熱くなる。
「返せば、お前は空白のまま消える。だが、彼女は安らぐだろう」
胸が冷たくなる。
「抱えれば、お前は存在できる。だが、彼女は永遠に“白紙化したまま”だ」
胸が痛む。
「どちらを選んでも、代償はある。だが、選ぶのはお前だ」
胸の奥の欠片が、強く脈打った。
そのとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
「カイさん!」
リーナが駆け込んできた。
息を切らし、目を潤ませながら。
「よかった……!生きてて……!」
リーナの姿を見た瞬間、胸の奥の欠片が震えた。
白い髪の少女の声が、頭の奥で響く。
──返して。
そして、リーナの声が重なる。
「カイさん……私は……あなたを見てますから……」
胸が裂けそうだった。
(……俺は……どちらを選べば……)
答えは、まだ出なかった。
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