第98話 挨拶
この日、俺は和花と愛理と最後までいった。
自分でも驚くほど記録を更新したのはおまけだ。
だが、俺たちはここで油断してしまった。
俺たち四人は疲れ果て、泥のように眠り込んだ。
「それで、その……君は、うちの和花と……交際している、ということでいいのかな?」
運の悪いことに、いつもより早く帰宅した和花の両親と、よりによって鉢合わせてしまった。
とりあえず食卓を挟んで向かい合ってはいる。
だが、背中に冷や汗が滝のように伝っていた。
「はい、そうです……」
いくらなんでも、「娘さんは俺のペットです」なんて口が裂けても言えない。
まあ、実質彼女みたいなものだしな。
和花の父親が俺を睨みつけた。
「和花とあんな真似をしたことは、百歩……っ、百歩譲っても許せん!!」
「あなた、今なんてこと言うの!」
すると、和花の母親が夫の背中をピシャリと叩いた。
「えっと……蓮くんって言ったかしら」
「はい」
「和花も同意していたなら、そういうこと自体は仕方ない。起きたことを今さらなかったことにできないし」
「の、和花、本当なのか!? 和花も同意したのか!?」
和花の父親が、隣に座る娘へ唾が飛びそうな勢いで身を乗り出した。
すると和花は、少し苛立ちのにじんだ声で答えた。
「当然でしょ!? むしろ私のほうからねだったんだから!!」
「う、嘘だ……こんなの嘘だ!! うちの和花が、あんなに純粋だった和花が!!」
「あなたは少し黙っていて!!」
母親が再び、夫の背中を強く叩いた。
……和花の父親の目元が微かに潤んでいるのは、あえて見なかったことにしておく。
仕切り直して、和花の母親が俺へと向き直った。
「万が一ってこともあるでしょう? 蓮くんが遊びだとは思わないけど、まだ責任を取れる歳じゃないでしょ。それで、その……避妊とか……」
「お母さん、何言ってんのよ。蓮がどれだけ避妊に気を遣ってるか知ってるの?」
「そうなの?」
「私が妊娠してもいいからそのまましてって言ったのに、せめてピルだけでも飲んでくれって言ったのは蓮なんだから!」
「それはどういう――」と和花の父親が口を挟みかけたが、母親が手で口を塞いだ。
「じゃあ、最低限の避妊はしてるってことね……」
「そうだって言ってるでしょ! それに蓮には、ちゃんと責任を取れるだけの能力があるの! だから私も、蓮となら妊娠してもいいって思ったんだし!」
「そ、そうなの……?」
和花の母親が、穴が開くほど俺の顔を見つめてきた。
……どうやら、全くそうは見えないらしい。
まあ、見た目はただの平凡な学生だろうしな。
「とりあえず、和花が言いたいことは分かった。でも、その……一緒にいた他の女の子たちは一体……?」
そう。
俺と和花のことより、むしろこっちこそが本題だった。
果たして、二股なんて理解してもらえるのだろうか……。
ちなみに愛理とゆいは今、和花の部屋にいる。
「ゆいは、えっと……言ってみれば蓮のメイドっていうか?」
「メ、メイド?」
「愛理先輩は、私が人生で二人目にできた友達で……蓮を共有してる仲」
「……え? きょ、共有?」
和花は淡々と言い切ったが、母親はあからさまに困惑していた。
無理もない。
……自分で考えても、非常識な話だ。
和花の父親が「ほう……」と唸りながら拳をボキボキと鳴らした。
「うちの大切な娘がいながら、他の女を……」
「お父さん、さっきからどうして蓮に突っかかるの! 蓮が私の命の恩人でもあること、忘れてないよね!?」
「あ、そ、そうだったな……。ひとまず、うちの娘を救ってくれたこと、本当に感謝する」
小森夫婦が同時に俺へ向かって頭を下げた。
「いえ、僕はすべきことをしただけですから」
「本来ならもっと早くお礼を伝えるべきだったんだが、俺たち二人とも、どうしても外せない用事があってな……」
「それに、蓮くんのお母さんにはいつも杏奈のことでお世話になっているし」
杏奈ちゃんのことなら、うちの母さんが望んでやっていることだし、別に気を遣う必要はないと思うんだが。
とにかく今は、和花との交際――ひいては同棲の許可を、なんとしてももらわなければならない。
……本当に最悪のタイミングでの挨拶となってしまったが。
「僕は和花のことを、心から大切に思っています。単なる付き合いの枠を超えて、生涯を共にする相手だと確信しています」
「あらあら……」
俺の言葉に、和花の耳が真っ赤になった。
間を置かず、俺は続けた。
「お二人にとっては、本当に厚かましい話かもしれません。ですが、和花を蔑ろにするつもりは絶対にありません。必ず幸せにします」
小森夫婦に向かって、深く頭を下げた。
なんだか妙に、結婚挨拶に来た婿みたいだなと、自分でも思ってしまったが……。
和花の父親が困ったように、妻と俺を交互に見つめた。
「その……君が悪い人間でないことは分かった。責任感も、本気度も感じられる。だが……やはり二股は、ちょっと……」
「和花、私たちも頭ごなしに反対してるわけじゃないのよ。でも、納得できるように説明してくれなきゃ」
「……分かった。全部話すよ。どうして私が愛理先輩と蓮を共有することにしたのか」
そういえば、どうして和花と愛理が手を組んだのか、俺も聞いたことがなかった。
「実はね、私が蓮を好きだって気づいたのも、愛理先輩のおかげなの」
和花が少しずつ、記憶を辿るように話し始めた。
やっぱり、先に提案したのは愛理だったのか。
そして、核心は――
「私、やっとできた友達と蓮を巡って争いたくなかったの。それに愛理先輩のことも好きだし……。そもそも先輩がいなかったら、蓮とこんな関係になんてなれなかっただろうし」
「どういう気持ちなのかは分かった。でもやっぱり、嫉妬とかそういうのは全くないの?」
「別に……? むしろ私、ますます先輩のことが好きになったというか。先輩、私のこと本当にいろいろ気遣ってくれるのよ。蓮と私がうまくいくように、あれこれアドバイスまでしてくれて」
「なんだか不思議な関係ね……」
和花の本心が伝わったのか、小森夫婦はしばらく考え込むように黙った。
やがて和花の母親が、俺の方を向いた。
「蓮くん、本当にうちの和花だけじゃなくて、もう一人の子のことまで……二人とも責任を持てるの?」
「はい、そのつもりです」
「蓮くんを疑うわけじゃないけれど……」
どうやら、口先だけではないかと疑っているらしい。
まあ、当然といえば当然の反応だった。
俺は財布から、カードを一枚取り出した。
「お金がすべてではありませんが……」
記名式の交通系ICカードだった。
もちろん、ただの交通系ICカードではない。
俺は主に米国株で運用しているが、日本株もいくつか持っている。
その一つが、配当狙いで買った鉄道株だ。
「これは……全線株主優待乗車証?」
「たしか、五千株か一万株か持っていないともらえないんじゃなかったか?」
「それなら、どれだけ安く見積もっても一千万円は下らないってことじゃないの?」
さすが二人とも経営者だけあって、すぐに見抜いた。
「金券ショップなどで購入したものではありません。僕自身の名義で受け取り、登録したものです」
もちろん、スマホの証券アプリを開いてポートフォリオを見せるのが一番早い方法ではある。
だが、それは最後の手段にしておきたかった。
和花が得意げな顔で言った。
「蓮はね、すっごくお金持ちなんだから! 最近流行っているアイドルグループ、地雷ちゃんシンドロームって知ってる? 蓮、そのスポンサーでもあるのよ!」
「ええ、ひとまずお金の心配はほとんどなさらなくても大丈夫です」
他にもいくつか、株主優待カードを取り出して見せた。
正直持っているだけであまり使っていないものばかりだが、こんなところで役に立つとは思ってもみなかった。
「……どうやら蓮くんがお金持ちなのは事実みたいね。これなら、私たちよりずっと資産があるんじゃないの?」
「で、でもやっぱり二股はちょっと……」
「もう和花はすっかり腹を括っているみたいだけど。和花、もし私たちが最後まで反対したらどうするつもり?」
和花が母親の問いに即答した。
「もう二度と会わないけど?」
「の、和花?」
「毎日二人とも帰りが遅くて、私ばっかり一日中杏奈の面倒を見て。なのに、私が自分で選んだ、生涯を共にしたい相手すら認めてくれないなら――どうして私がこの家にいなきゃいけないのよ!」
「うっ……」
和花の父親は反論できなかった。
和花は気にも留めず、言葉を続けた。
「杏奈を連れてでも、私は蓮のそばに行くから」
もはや絶縁状も同然だ。
……その覚悟の強さに、思わず舌を巻いた。
同時に、少し反省した。
「あなた、この子がここまで意地を張ったことなんて、今までなかったでしょう。私たちの負けよ」
「くっ……」
だが、和花の父親はまだどうしても折れきれないようだった。
ここは母さんのアドバイス通り、和花の父に振り上げた拳の下ろしどころを用意してやろう。
「あの、スタートアップを経営されていると伺ったのですが」
「まあ、一応はそうだが……」
「もしかして今、資金調達に奔走していますか?」
「え? ま、まさか君……」
俺は頷きながら答えた。
「僕が、エンジェル投資家になります」




