第96話 夏祭り⑤
「やっぱりこっくんだ! すごく変わってたから半信半疑だったけど……この顔、間違いない!」
心愛さんの突然の乱入に、俺たちは一斉に目を丸くした。
どうやら今回は、険悪な空気を断ち切るために割って入ったわけではなさそうだった。
その視線は、明らかに長澤先輩だけに向けられていた。
当の長澤先輩は戸惑ったように、自分の顔を指差した。
「俺のことか?」
「うん! 他に誰がいるのよ。こっくん、あたしのこと覚えてない?」
「ええと……。どこで会ったっけ……?」
「もう! あたしはこっくんみたいに髪染めたわけじゃないし、変わったのなんて格好くらいなのに!」
心愛さんがスマホを取り出し、アルバムアプリを開いた。
そこには、幼い頃の心愛さんが写っていた。
もちろん今のような地雷系ファッションではない。
ごく普通の小学生の姿で、しかも眼鏡までかけていた。
写真を覗き込んだ長澤先輩が、ようやく目を見開いた。
「も、もしかしてミヨ……?」
「そう! もう、ひどい!」
「いや、雰囲気変わりすぎだろ……」
確かに、その点については長澤先輩に同感だった。
髪色くらいしか、昔の面影は残っていなかった。
それより……。
「へえ、美代子さんのこっくんがまさかこの人だったとはね」
愛理が小声で、しかし俺にははっきり届く声で囁いた。
すると、俺の背後で震えていた和花まで、大きく声を上げた。
「え、ええ――!? 嘘!!」
正直、全く想像がつかなかった。
あの長澤先輩が、いじめられていた心愛さんを助けたことがあるなんて?
俺の中では、むしろいじめる側にいそうなタイプなのに。
(……あの交通事故のせいで人が変わった、ってことか)
おそらく両親を亡くし、長澤先輩は急に引っ越さざるを得なかったのだろう。
事故のショックもあって、心愛さんに別れを告げる余裕などなかったはずだ。
心愛さんは、変わってしまった後の長澤先輩を知らない。
彼女の知るこっくんは、もうどこにもいない。
その真実を、今ここで告げるべきだろうか。
それとも、いい思い出のままにしておくため、黙っているべきだろうか。
「蓮くん」
愛理が俺の手をぎゅっと握り、そっと呼びかけてきた。
ああ、そうだ。
心愛さんの初恋が長澤先輩だとしても、俺たちのやることは変わらない。
今はまずこの場を離れ、ゆいを落ち着かせることだ。
「ゆい、和花の隣に来て」
「え? う、うん……」
「心愛さん、ずっと会いたかった相手なんですよね。積もる話もあるでしょう。ゆっくり話していてください。俺たちはこれで失礼します」
「え? れ、蓮様?」
もし長澤先輩が心愛さんに何か悪いことをするなら、事前に『悪夢』を見ていたはずだ。
だが、俺は何も見ていない。
なら、少なくとも最悪の事態にはならないはずだ。
そもそもいくら長澤先輩でも、人目のある場所で中学生相手に何かするわけがない。
「で、でも今日は蓮様と……」
心愛さんが俺と長澤先輩を交互に見比べた。
混乱するのも無理はない。
よりにもよってこんな場所で、初恋の相手に出くわしたのだから。
俺は小さく笑って答えた。
「俺のことは気にしないでください。ある意味、アイドルとして頑張ってきたのは、この瞬間のためだったのかもしれませんよ」
「それはそうだけど……」
「俺たちとは、またすぐ会えますから。今は、会いたかった人と一緒にいてください」
どうせ、同じマンションに住むことになったのだから。
俺はバーンさんに頭を下げた。
「それでは、これで失礼します」
さて、ようやく俺たちの席へ向かおう。
そう思って足を踏み出した、その瞬間だった。
「おい、待て」
ガシッと、いきなり肩を掴まれた。
振り返ると、長澤先輩だった。
「……何ですか」
「お前、ミヨとどういう関係だ」
「はい……?」
「なんでミヨがお前みたいな奴のことを、様付けで呼ぶんだよ!」
え、何だ。
本当に訳が分からないんだけど。
長澤先輩は、今まで見たこともないほど真剣な表情を浮かべていた。
そう感じたのは俺だけではないらしく、写真部員たちも息を呑んでいた。
「なるほど、そういうことね」
すると愛理がくすくす笑った。
「クズにはクズなりの純情がある、ってわけね」
「え? 何のこと?」
「蓮くん、一回聞いてみて。美代子さんのことが好きなのかって」
「……は?」
ここでようやく、愛理の言いたいことが腑に落ちた。
心愛さんにとって、長澤先輩は初恋の相手だ。
そして長澤先輩にとってもまた――
「は、はあ!? ち、違うからな!?」
案の定、愛理の言葉を聞いていた長澤先輩が、耳まで赤くして声を上げた。
……男のツンデレなんて需要ないんだけど。
彼らしくない初々しい反応に、部長たちはすかさず心愛さんを睨みつけた。
「何よ、あんた。先輩の何なの?」
「そうそう。知り合いみたいだけど、勝手に割り込まないでくれる?」
「アイドルか何か知らないけど、先輩にちょっかい出さないでください!」
強敵の出現と見て、一斉に牽制に回ったわけか。
ゆいと争っていた熱気はいつの間にか消え失せていた。
愛理が鼻で笑った。
「本当に、クズ男にクズ女ね」
俺も静かに頷いた。
しかもあの一年は、ついさっきまで心愛さんにサインをねだるかどうか悩んでいたはずなのに。
すると長澤先輩が、部長たちを見て眉をひそめた。
「お前ら、黙ってろっての! 何様のつもりでミヨにそんな口きいてんだよ!?」
「せ、先輩……?」
「ど、どうしたの、長澤」
「この子がお前らに何をしたって言うんだ、あぁ!? 人として恥ずかしくないのか!?」
……長澤先輩の口から正論が飛び出すとは、夢でも見ているのかと疑いたくなった。
心愛さんがぎこちなく笑いながら尋ねた。
「こ、こっくんの彼女たちなの? モテるね、こっくん。昔からモテるとは思ってたけど、ここまでとは思わなかった!」
「こいつら、別に彼女とかじゃねぇよ」
「そうなの〜? じゃあ、どういう関係なの?」
「そ、それは……」
長澤先輩が視線を逸らした。
まあ、そりゃあまともに説明できないだろう。
彼氏持ちの女を寝取っている、なんて。
「先輩、何ですかそれ!? この前は私のこと、先輩の女だって言ってくれたじゃないですか!!」
「そうよ!! 私にもそう言ったくせに!!」
当然だが、部長たちが長澤先輩に抗議し始めた。
他人の彼女を奪うために囁いてきた甘い言葉が、今になって毒となり、自分を縛り始めたらしい。
長澤先輩がギリッと歯を食いしばり、とうとう声を荒らげた。
「お前ら、いい加減にしろよ! こっちはお前らに本気じゃねえんだよ! 分かってて、なんでそんなこと言うんだ!?」
「本気じゃなくても、せめて嘘くらいついてよ! いつもはちゃんとしてくれるのに、どうして今日に限ってそんな態度なの!?」
「部長、やっぱりあのミヨとかいう子のせいで、先輩はああなってるんですよ!!」
「そんなにその子がいいの!? じゃあその子も好きなように食っちゃえばいいじゃない!?」
うわ、これガチで修羅場じゃないか……。
誰かひとりがナイフを抜いても、おかしくない。
そんな雰囲気だった。
心愛さんの顔に、戸惑いが浮かんだ。
「こ、こっくん……? 食うって、それいったい……?」
「ち、違う! これはあの……」
「そのくらいにしておこうか」
その時、バーンさんが長澤先輩と心愛さんの間に割って入った。
長澤先輩も体格はいい方だが、バーンさんが隣に立つと、途端に小さく見えた。
「最初は分からなかったが……思い出したよ。随分大きくなったな、琥太郎くん」
「あ、は、はい……。お久しぶりです」
「すまないが、娘と花火を見たくてね。先に行ってもいいかな」
「も、もちろんです」
「琥太郎くんも、連れの子たちと一緒に楽しんでくれるといいんだがな」
バーンさんは心愛さんを、米俵のようにひょいと担ぎ上げた。
……力、半端ないな。
呆然とする長澤先輩を後にして、バーンさんが心愛さんを担いだまま俺の方へ近づいてきた。
「深川さん。どうか、これからも娘をよろしくお願いします」
「あ、はい……」
何をよろしく、なのだろうか。
当然、スポンサーとしての話だよな?
そう思って、俺たちはようやく指定席へ向かって歩き始めた。
すると隣で愛理が再びくすくす笑った。
「見たでしょ、蓮くん。似ているようで、同じじゃないってこと」
「……何が?」
「さあ?」
愛理が背伸びをして囁いた。
「大好きだってことよ」
チュッ――
不意に頬へキスされた。
◇
嵐のような一日だった。
けれど最後の花火が夜空に咲くと、夏祭りは無事に幕を閉じた。
心愛さんはバーンさんの車に乗り込むなり、
「今日楽しかったです、蓮様!」
と叫んで両手を大きく振った。
このまま和花を家まで送れば、あとは俺たちも帰るだけだろう。
俺にもさすがに疲れが出てきて、早く休みたかった。
そう思って、和花の家へ向かおうとした。
ところが当の和花が、俺の手をガシッと掴んだ。
「どこ行くのよ!」
「ん?」
「よ、夜はこれからでしょ!」
和花が俺の腕に抱きついた。
「今日、絶対に約束守ってよね!」




