第95話 夏祭り④
射的を終え、屋台をあちこち見て回った。
金魚すくいも輪投げも一通りやったが、やっぱり和花の興味は食べ物に一直線だった。
いつの間にか和花は片手にぬいぐるみ、もう片手には屋台の袋をいくつもぶら下げていた。
「和花、ソースついてるぞ」
「え? どこ?」
「じっとしてて」
ハンカチを取り出し、和花の頬の汚れを拭ってやった。
どれだけ夢中で食べてたら、こんなところにまで付くんだよ。
俺たちの様子を見て、愛理がくすっと笑った。
「和花さんって、本当に飼い主に甘やかされてるペットみたいね」
「確かにのどさん、ペットっていうか、猫みたいですね!」
「そ、そう? どの辺が?」
「普段はツンツンして、あれこれ小言を並べるくせに、いざご主人様がそばにいないとしゅんとしちゃうところとか?」
「ほかはともかく、私、そんなに小言ばっかり言ってませんけど!?」
ツンツンしてるのは認めるんだな。
「え〜、あたしには言ったじゃないですか」
「それは心愛さんがちゃんと掃除しないからじゃないですか!! あれを見て黙っていられる人なんていませんよ!!」
「少なくとも、パパはそんなふうに小言は言いませんけど?」
突然話を振られたバーンさんは、ビクッと肩をすくめた。
俺たち全員の視線を浴びて、気まずそうに頭を掻いた。
「い、いやそれは……実は私も、片付けが得意な方ではなくてですね……」
「「……」」
そういうのも遺伝なのか。
精神的な問題ではないとわかっただけでも、よしとすべきか。
和花とゆいは、揃って呆れ顔を浮かべていた。
バーンさんがぎこちなく話題を変えた。
「み、皆さん、そろそろ花火の場所取りをしたほうがいいんじゃないですか?」
「あ、大丈夫ですよ」
俺はポケットからチケットを取り出した。
「あらかじめ取っておいたんです。指定席なので、急がなくても大丈夫ですよ」
「わあ、蓮様最高!!」
和花が目を丸くした。
「え? 私たちも知らなかったんだけど?」
「私は知ってたわよ」
「先輩!? なんで私には内緒にしてたんですか!?」
「だって、こういう反応が見たかったから」
「最悪!!」
いや、わざわざ言うことでもないと思って、黙ってたんだけど……。
「じゃ、じゃあ蓮! もう少し屋台の食べ物、買ってきてもいいのよね!?」
「和花さん、そんなに食べたら太るわよ。後で蓮くんにぽっこりお腹を見せるつもり?」
「うっ……妊娠したってことにすればいいんじゃないですか?」
「……たまに思うけど、和花さんって私より一枚上手かもしれないわね」
その矢先だった。
「先輩先輩、あれ心愛ちゃんじゃないですか!?」
横合いから、知らない女の子の声がした。
やはり、心愛さんだと気づく人もいるんだな。
そう思い、妙な誤解を招かないようにそっと一歩引こうとした――その時だった。
「ん? 心愛ちゃん? なんだ、そりゃ?」
聞き覚えのある、血が凍るような男の声が耳に突き刺さった。
「先輩、そんなのも知らないんですか? 最近すっごく流行ってるアイドルですよ!」
「へえ、そうなのか? じゃあサインでも頼んでみるか?」
「いいんですかね? 今、プライベートで楽しんでるみたいですけど」
恐る恐る声のした方へ顔を向けた。
――男の正体はやはり、長澤先輩だった。
和花も気づいたらしく、「ひいっ!」と声を上げ、素早く俺の背中に隠れた。
愛理はため息をつき、不快げに眉をひそめた。
「ん? どこかで見たような……」
長澤先輩と話していた女の子が、ゆいの顔をまじまじと見つめた。
おそらく写真部の部員だ。
ゆいの雰囲気がすっかり変わっていたせいで、一目では気づけなかったのだろう。
ゆいも答える気になれなかったのか、口を固く結んでいたが……
「あ! 結月でしょ!? え、何、イメチェン? 一瞬誰かと思ったじゃん!」
「あ、う、うん……。ちょっと、ね」
仕方なくゆいが答えると、長澤先輩の後ろにいた別の女の子たちも「ん? 結月?」と言いながら近づいてきた。
写真部の部長と、以前協力を頼んだ二年の男子の彼女だった。
「本当に結月だ! へえ、何? 彼氏とヨリ戻したの?」
「わあ! 前のスタイルもよかったけど、今の方がずっと似合ってる!」
あっという間に、ゆいの周りを三人の写真部の女の子たちが取り囲んだ。
どうやら長澤先輩たちも夏祭りに遊びに来ていたようだ。
他の男子部員が一人もいないところを見るに、長澤先輩は寝取った女子部員たちだけを連れてきたのだろう。
(ということは、あの子が結月の代わりに……)
ゆいが気安くタメ口で話しているところを見ると、同じ一年らしい。
本来なら、あの一年生の立ち位置にいたのは結月だったはずだ。
そう思った瞬間、その一年生の顔に、イメチェン前の結月の面影が重なった。
「うっ……」
胃の底から吐き気がこみ上げて、思わず手で口を押さえた。
すぐさま愛理が、心配そうに囁いた。
「蓮くん、大丈夫? なんていうか……運が悪かったわね。こんな広い会場で鉢合わせるなんて」
「……そうだな。少し早いけど、指定席に行こっか」
「ええ、そうしたほうがいいわ」
和花もまた、以前のようにパニックに陥り、震える手で俺の背中にしがみついていた。
ゆいも居心地が悪そうにしている。
これ以上、こいつらと言葉を交わす理由はない。
そう思って踵を返そうとした、その瞬間。
「ええと、深川くんだったか? 北山の彼氏」
長澤先輩が声をかけてきた。
「なんか顔色が悪そうだけど、どうした? 大丈夫か?」
……あんたのせいだけどな。
そう言ってやりたかったが、ここで無駄に喧嘩を売っても、いいことはひとつもない。
「少し人混みに酔っただけです。ご心配ありがとうございます」
「あ、そうか? 確かに、今年はなんだかやけに人が多い気はするな。北山、彼氏の面倒ちゃんと見てやらなきゃな?」
長澤先輩に名前を呼ばれたゆいは、ビクッと肩を震わせた。
だがすぐに両拳をきつく握りしめ、表情を引き締めた。
そのままずかずかと歩み寄り、彼の前に立ちはだかった。
「あなたにそんなこと言われたくありません!! あなたと関わったせいで別れることになったのに!!」
「いや、俺が何をしたってんだよ。まったく深川くん、ちょっと心が狭すぎないか。男がいる部活だからって、彼女に部活を辞めさせるなんてさ」
「やめてください!! これ以上蓮を侮辱するなら、私、本当に容赦しませんから」
「おや、怖いねぇ。ちなみに容赦しないって、一体何をするつもりなんだ?」
「殺します」
その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
それは、決してただの脅しではなかった。
幼馴染として過ごしてきた記憶をどれだけ探っても、聞いたことのない、底冷えのする声だった。
「アパートに住んでるあなたの病気の妹さんも一緒に」
「今、なんて……?」
「私の大切なものを壊したんだから、あなたの大切なものも壊します」
長澤先輩の顔が一瞬で歪んだ。
俺も思わず目を見開いた。
ゆいはいつの間に、長澤先輩の家族の事情なんて知ったんだ?
すると、愛理が小さく囁いた。
「実は私、この前ゆいさんに例の探偵の報告書を見せたのよ」
「……愛理、後でお仕置きだからな」
探偵の報告書には、長澤先輩の家庭の事情も大まかに記されていた。
『悪夢』の解決には関係ないだろうと、俺が軽く読み流していた部分だ。
彼は幼い頃、家族旅行の途中で大きな交通事故に遭い、その場で両親を亡くしたという。
同乗していた妹は一命を取り留めたものの、日常生活に支障をきたすほどの重い後遺症を負ったらしい。
「それとも、あなたみたいな金髪の男たちに少し金を握らせて、妹さんのいるアパートに押しかけさせましょうか。たっぷり可愛がってやれ、とでも」
「このアマ……!」
「何ですか、その顔。いつもみたいにヘラヘラ笑って、流せばいいじゃないですか」
長澤先輩は目を血走らせ、奥歯をギリッと噛み締めた。
「言ってもいいことと悪いことがあるだろ!!」
「あなたこそ、やってもいいことと悪いことがあると思わないんですか?」
ゆいは視線を横に滑らせ、言葉を継いだ。
「部長たちも恥ずかしくないんですか? 自分の彼氏を裏切って、こんな場所で、こんなクズとへらへらデートしてるなんて!」
「ゆ、結月? どうしたの。落ち着いて、ね?」
「蓮は部長に土下座までしたんでしょ。それなのに、私をこのクズに売り渡そうとしたんですよね?」
「べ、別に、わざとそうしたわけじゃ……」
写真部の部長が目を逸らした。
ゆいは部長に詰め寄ると、顎を掴み無理やり上を向かせた。
「そういうのを卑怯って言うんです」
「うっ……」
「私、部長の言葉を信じたこと、本当に後悔してます。尊敬できる先輩だと思ってたのに、ただのクズ男の性欲処理の道具だったなんて!!」
ゆいの気迫に押されたのか、ついに部長はしゃくりあげ涙を浮かべた。
「え? 何何? 痴情のもつれ?」
「なんかすごくドロドロしてるみたい」
しまった、ここは夏祭りのど真ん中だ。
いつの間にか、俺たちの周りには野次馬が集まり始めていた。
ゆいを止めなければ――そう思った時だった。
「パ、パパ、ちょっと降ろして!」
「え? ど、どうしたんだい?」
「早く!!」
ずっと大人しくしていた心愛さんが、突然バーンさんの背中から降りた。
足を引きずりながら、こちらへ歩み寄ってきた。
やがて長澤先輩の前まで来ると、彼女は叫んだ。
「や、やっぱり! こっくん、こっくんでしょ!?」
……え、何?




