第92話 夏祭り①
心愛さんに、いい物件を紹介してもらった。
だから、何かしら礼はしないとな、と思っていた。
けれど、まさか夏祭りに誘われるとは夢にも思わなかった。
「いや、それより足、まだ痛いんじゃないですか?」
軽い捻挫でもすぐ治るわけがない。
経験上、捻挫は直後より翌日のほうが痛む。
「それはそうですけど、せっかくのお休みなのに、家にこもりきりなんてすっごく辛いじゃないですか!」
家で大人しくゴロゴロしていればいいのに……。
じっとしていられないタイプなのかもしれない。
そういえば、病院をこっそり抜け出してきたこともあったし、いきなり俺の家に押しかけてきたこともある。
「でも今、まともに歩くのもきついんじゃないですか? そもそも、行ける状態なんですか?」
「そ、それは……」
やっぱり、そこまでは考えていなかったらしい。
「あっ!蓮様があたしをおんぶすればいいんです!」
「……はい?」
「ほら、少女漫画とかによくあるじゃないですか! 夏祭りで足を怪我した女の子を、男の子がおんぶして歩くシーン!」
「……」
次々とツッコミどころが頭に浮かんだ。
そもそも、ああいうのは元気に歩き回っていた女の子が途中で足を痛め、仕方なくおんぶされるのが定番だろ。
最初からおんぶしてもらう前提で出かけるわけがない。
いきなり俺の口を塞いで路地裏に引っ張り込もうとした件といい、心愛さんは漫画やドラマの影響を受けすぎている。
「おんぶは無理ですけど、車椅子なら押せますよ」
「心愛に車椅子に乗れって言うんですか!?」
「少なくともおんぶよりは遥かに安全ですよ」
「ええ~? あたし、羽みたいに軽いですよ?」
「俺は羽より重いものは持てないんで」
「どんだけ心愛をおんぶするのが嫌なんですか!?」
いや、少しならともかく、おんぶしたまま人混みを歩き回るのは体力的に無理だ。
万が一転んだら危ないし。
「そもそも心愛さん、今かなり知名度が上がってるじゃないですか」
「そうですよ! 心愛、もう超スーパーアイドルになりましたからね!」
いつの間に進化したんだ。
「そんな超スーパーアイドルと俺が一緒に夏祭りを歩き回ってたら、変なスキャンダルになりますよ?」
「ええ~? そんなことないですよ! そもそも心愛、そこまで有名じゃないですし」
超スーパーアイドルじゃなかったのかよ。
どっちだよ。
「それに蓮様、そんなの自意識過剰ですよ!」
「え? どうしてですか?」
「考えてみてください。のどさん、秘書さん、ゆずさんで女の子が三人。そこに、あたしと蓮様が加わるわけです」
「まあ、そうですね」
「女の子四人に男の子一人の学生グループがいたとします。どう見えますか?」
「……ただの友達同士で遊びに行ってるように見えなくはないですね」
「でしょ?」
仮に恋愛絡みだと思われても、せいぜい女の子グループの誰かの彼氏が付き合わされているように見えるはずだ。
おまけに心愛さんは中学生だ。
誰かに気づかれても、友達同士で夏祭りに来ただけだと言えば、まず問題にはならない。
「じゃあ決まり!」
「え? ち、ちょっと——」
これ以上の反論は受け付けないと言わんばかりに、通話はぷつりと切れた。
俺は切れた通話画面を呆然と見つめるしかなかった。
いや、何も決まってないんだけど?
愛理がふっと笑った。
「美代子さんの押しには蓮くんもタジタジね」
「……全くだ」
結局、足はどうするつもりなのだろうか。
下手に歩き回って悪化させるんじゃないかと、心配が先に立つ。
スマホを愛理に返す。
気を紛らわせるように、俺は膝の上にいる和花の頭を撫でた。
「のどちゃん、もう少し猫っぽくやってみて」
「も、もう……。にゃ、にゃあん……!」
「いいぞ、いいぞ。撫でられるの好きか?」
「す、好き……」
本物の猫がどう反応するのかは分からない。
ただ、動画で見た仕草を真似て、顎の下を撫でてやる。
すると和花は、気持ちよさそうに目を細めた。
「にゃあん……」
低く甘い声が漏れる。
和花に猫耳カチューシャを付けさせたい——そんな衝動に駆られた、まさにその時だった。
「お姉ちゃん、おじさん、お昼はみんなで宅配ピザにしないかって——」
いつの間にか二階へ上がってきていた杏奈ちゃんが、俺たちを見るなり、ぽかんと固まった。
愛理は愛理で、いつの間にかスマホを構え、俺たちの様子をちゃっかり撮っていた。
瞬く間に、和花の顔が耳まで真っ赤に染まった。
「い、いや、これは!」
「ご、ごめんなさい……」
「ちょっと!!」
こちらに弁解の余地すら与えないまま、杏奈ちゃんはそそくさと一階へ逃げ去ってしまった。
俺の頬にも、一気に熱がのぼった。
◇
昼食は母さんの提案どおり宅配ピザにして、みんなで食卓を囲むことになった。
かつてはあれほど広く感じたテーブルも、今ではすっかり手狭に思える。
「聞いたわよ、和花ちゃん」
「え?」
母さんがふいにニヤリと笑い、和花に話を振った。
「蓮に猫扱いされてるんですって?」
「ゲホッ——」
和花が動揺のあまり、むせてしまった。
杏奈ちゃん、母さんに包み隠さず話したのか……。
なんだかんだで、うちの母さんと杏奈ちゃんの距離は着実に縮まっているらしい。
「私も若い頃は猫みたいだってあの人に言われたのよ~」
「……母さんが、猫?」
「うちの息子、何か不満でもあるのかしら?」
「いいえ、ありません」
本当は色々と突っ込みたかったが。
「うちの息子はやっぱりお父さん似みたいね。私は犬派だもの」
「あら、蓮くんはしっかりお母さんの遺伝子も受け継いでますよ。蓮くん、猫も好きだけど犬も好きですからね。ね、蓮くん?」
「……」
愛理が意味深な笑みを俺に向けてきた。
母さんは一瞬首を傾げたが、すぐに愛理の言葉の意味を察したらしく、俺に冷ややかな視線を向けてきた。
「飼い犬や猫に手を噛まれないようにしなさいよ」
歴代最高に冷ややかだった。
今度は母さんの視線が、結月のほうへ移った。
「結月ちゃん、急にイメチェンするからびっくりしたじゃない! すっごく似合ってるわ。前の大人しい雰囲気も良かったけど、やっぱり女の子は健康美よね~」
「あ、はは……。ありがとうございます。あ、あの、でもその……。できれば結月じゃなくて、ゆいって呼んでほしくて……」
「え? ゆい? なんで急に? アイドルデビューでもするの?」
「そ、そういうわけじゃないんですけど……」
結月がちらちらと俺の顔色を窺った。
俺はぎくりとして、身をすくませた。
すると、母さんがスッと目を細めた。
「本当にうちの息子、罪作りね……」
「ち、違います! これは、その……。私がやりたくてやったんです。ご主人様のせいじゃありません」
「へえ……。ご主人様、ねえ」
「い、いや、それは……」
母さんの視線が、さらに二度ほど温度を下げた。
おかしいな。目の前のピザはアツアツのはずなのに、俺だけ冷凍庫に放り込まれた気分だ。
エアコンの設定温度、低すぎないか?
「あ、そうだ母さん、物件見つけたよ」
「そうなの?」
どうにかして話題を変えようとした。
「前にうちに来た心愛さん、覚えてるだろ? あの人が手伝ってくれたんだ」
「どの辺にあるの?」
俺はスマホを開き、地図アプリでマンションの外観とだいたいの位置を見せた。
母さんも物件そのものには文句がないらしく、うんうんと頷いた。
「アイドルが物件探しを手伝ってくれるなんて、なんだか不思議ね」
「実はお母さん、そのマンション、心愛さんも住んでるんですよ」
「……蓮?」
「愛理、なんでそれをわざわざ!?」
「下手に隠して後から変な誤解を招くより、堂々と明かした方がマシでしょ?」
間違ってはいない。が、俺が必死に話題を変えた意味が台無しなんだけど。
「いや、心愛さんが住んでるから選んだわけじゃないからね」
「私、最近たまに思うのよ。うちの息子って、実は女の敵なんじゃないかって」
「……もう少し息子を信じてくれないかな」
まあ、今の二股まがいの関係を知っている母さんからすれば、そう思われても仕方ないのだろうが……。
和花までくすくす笑いながら、「女の敵!」と俺をからかってきた。
「あ、そうだわ。蓮、和花ちゃんのご両親に挨拶して、同棲の許可をもらわなきゃいけないでしょ?」
「うん。ただ、向こうのご両親がすごく忙しくて、俺と会う時間を作るのも難しいみたいなんだ」
「あ、それは無理もないわね。和花ちゃんのお父さんは、スタートアップって言うのかしら? 起業家だって聞いたけど」
和花が「あ、はい。そうです」と答えた。
「それに、お母さんもどこかの会社の役員だって言ってたわよね?」
「そんなに大きな会社じゃありませんけど」
……自分の親ながら、改めてこのコミュ力には感心してしまう。
俺は両親の職業まで根掘り葉掘り聞くのもどうかと思って、尋ねずにいた。
まさか、俺の知らない情報まで引き出していたとは。
母さんが真剣な表情を浮かべ、俺を見つめた。
「蓮、あんたの特技はお金を稼ぐことでしょ?」
「せめて投資って言ってくれないか」
「とにかく、和花ちゃんのご両親にささやかな手土産を渡した方がいいわよ」
「母さんの言い方だと、それ、絶対に普通のものじゃないだろ……」
「当然じゃない。あんたにしかできない贈り物にしなさい。よく考えなさいね。和花ちゃんのお父さんはスタートアップの起業家でしょ?」
「……あ、そういう意味か」
愛理も「なるほど」と納得したように頷いた。
和花は首を傾げた。
「え? 何? 私だけ分かってないの?」
「猫は可愛く『にゃん』って鳴いていればいいの。大丈夫よ」
「先輩、ひどくないですか!?」
もちろん、そのあと和花にもちゃんと説明してやった。




