第90話 二回目の打ち上げ②
俺だって得意ってわけじゃないが、一度や二度くらいなら焼いたことはある。
だから俺は愛理と心愛さんからヘラを受け取って、代わりにお好み焼きを焼き始めた。
崩れた生地をどうにか寄せ集めて焼き直した。
……どう見ても、もんじゃ焼きだった。
「すごいわね、蓮くん。美味しい。見た目はちょっとアレだけど」
「本当ですよ! 蓮様って、意外とお料理お上手なんじゃないですか? 見た目はちょっとアレですけど」
「二人とも余計な一言が多い」
そもそも、愛理は和花に料理を習っていたはずだろ。
中火も知らないと言っていたし、案外、愛理の弱点は料理なのかもしれない。
俺も料理はからっきしダメなんだが。
そうこうしているうちに、店のドアが開く音がした。
「あ、自分たちだけで先に食べてる!」
聞き慣れた声が飛び込んできた。
振り返ると、やはり和花だった。
笑って冗談を返しかけた、その瞬間。
俺は和花の後ろに立つ少女に、目を奪われた。
「おお! ゆずさん、マジでイメチェンしたんですね!?」
真っ先に反応したのは心愛さんだった。
立ち上がるなり「ほらほら!」と結月の両肩をつかみ、そのまま俺の前へ押し出した。
結月は驚いたようにびくりと身を震わせ、それから小さな声で尋ねた。
「ど、どうですか……?」
あの灰色がかった黒髪の低いツインテールは、もうどこにもなかった。
髪は明るい茶色に染められ、高いポニーテールにすっきりと結い上げられていた。
服装も、以前とはまるで別人だった。
特にトップスがひときわ目を引いた。
以前は、ボタンを上まで留めた、いかにもおとなしい装いだった。
それが今は、正反対だ。
純白の生地に濃紺の縁取りが映える、タイトなワンショルダーのトップス。
肩から鎖骨にかけてのラインが、涼しげにのぞいていた。
スカートも、以前のようなすとんと落ちる控えめなシルエットとはまるで違う。
ハイウエストに細かなギャザーを寄せた、淡いミント色のバルーンミニスカートがふわりと広がっていた。
足元は、足首までの白ソックスとスニーカーでスポーティにまとめられていた。
「なんていうか……可愛いし、元気な運動部の子って感じがする」
「そ、そうですか……? ちゃんと、変われてますか……?」
「ああ。正直、一瞬誰か分からないくらいだったよ」
結月は照れくさそうに小さく微笑んだ。
和花は席に着きながら、満足げな表情で腕を組んだ。
「私にかかれば、これくらい朝飯前よ!」
「のどさん、さすがです! ところでそのトップス、わざと胸元を強調するデザインを選んだんですか?」
「当然でしょ! ゆいの最大のアピールポイントなんだから」
「大きいですもんね~」
「それに、ゆいって見かけによらず体力あるし、運動も得意でしょ? だから、こういうスタイルは絶対似合うって前から思ってたのよ!」
「あれだけ大きいのに、運動が得意なんて不思議です!」
……確かに、タイトなトップスのせいで、結月の豊かな胸元は以前にも増して際立って見えた。
特に、胸を斜めに横切る紺色のラインのすぐ上には、谷間へと続く柔らかな素肌が覗いていた。
たしか以前は、胸に視線が集まるのが怖くて、こういうスタイルをわざと避けていたはずだ。
「ゆい、念のために聞くけど、今無理してるわけじゃないわよね?」
「ち、違います……! 私もなんだか自分じゃないみたいでちょっと変な感じはしますけど、無理してるわけじゃありませんから」
「そう? ならよかったけど」
呼び名も見た目も変えたせいか、トラウマの症状はたしかにほとんど出ていなかった。
俺自身が一番驚いていた。
……長澤先輩に、あのライカで撮った写真を直接見せられたせいだろうか。
結月が心愛さんの隣、俺の向かい側に座った。
すると愛理がニヤリと笑いながら冗談めかして言った。
「蓮くん、ゆいさんの胸ばっかり見てると、ちょっとヤキモチ焼いちゃうかも。やっぱり蓮くんは胸元が開いた服が好きなのかな」
「い、いや、別にそういうつもりじゃなかったんだけど……」
「だから蓮は水着が好きなのね。太ももも谷間も、全部見えるから」
健全な男子なら、誰だってそうだとは思う。
……そう言い返したいのに、きっぱり否定しきれず、俺は口をつぐんだ。
すると心愛さんが、両腕で自分の胸元を隠すように抱えながら言った。
「ええ〜? じゃあ蓮様、スポンサーになったのも、あの時のビーチライブで水着姿の私を見たかったから?」
「全く違うので安心してください」
「そこまできっぱり言われると、それはそれでなんだかムカつくんですけど!?」
まさか夢で見たから、とは言えないし。
今は冗談で流したが、スポンサーになると決めた理由くらいは、それなりに用意しておいたほうがよさそうだ。
「さあ、それじゃあ和花さん」
ヘラを手に、愛理が言った。
「お好み焼き、よろしくね」
「……まさかとは思うけど、私に焼かせようとして呼んだんじゃないわよね?」
「そのまさかよ」
「私の扱い!?」
「蓮くんに、自分が焼いたお好み焼きを食べさせたくない? 他の女の子に焼かれるくらいなら」
「うっ……。それはそうですけど」
和花はヘラを受け取ると、やはり俺たちよりずっと手際よく、生地を鉄板に流し込んで形を整え始めた。
ふと思った。
……今や愛理のほうが、俺よりずっと和花の扱いに慣れているな、と。
◇◇
心愛をマンションまで送ったあと、蓮たち三人は和花を送るため、彼女の家の前まで来ていた。
すでに夜も遅く、これ以上蓮と一緒にいられないのが名残惜しかったが、和花は笑って蓮たちを見送ろうとした。
「和花さん、少し二人きりで話せるかな?」
「え? 私は構いませんけど。うちでですか?」
「ええ。別に構わないでしょ? 友達が友達の家に行くくらいは」
「と、友達……。えへ、えへへ……」
蓮と親しくなってから、和花には多くの変化があった。
その一つが、学年は一つ上でも何でも分かち合える、新しい友達ができたことだ。
「蓮くん、美少女ヒロイン同士で少し話してから帰るね。もちろん心配かけないように、タクシーで帰るから」
「あ、ああ。分かった。俺のことは気にせずゆっくり話してな。……それにしても、なんだよその自称は」
「事実でしょ? それに蓮くんの話をするんだから、全く気にしないってわけにはいかないんじゃない?」
ふふ、と愛理が小さく笑った。
和花は、自分も美少女ヒロインに含まれるのだろうかと考えて、思わず陰キャ特有のにやけ笑いをこぼしそうになった。
やがて蓮と結月が、和花の家の前から並んで遠ざかっていった。
いや、正確には並んでさえいない。
結月がぎこちなく、蓮の背中を追っているだけだった。
「男の三歩後ろを歩く大和撫子ってことかしら」
「見た目は大和撫子から少し遠くなりましたけどね」
「そういえば今日、ゆいさんどうだった?」
「すごくテンション上がってましたよ。蓮に何かを頼まれたこと自体が嬉しいみたいでした」
「やっぱり。ゆいさんは好きな男に振り回されるのが好きなタイプだからね」
和花も愛理と同じように、その点を感じていた。
一学期、まだ蓮に振られる前よりも、今の結月はさらに蓮にのめり込んでいる。
いや、蓮にだけ執着しているように見えた。
それが人として健全かと問われれば首を傾げたくなる。
けれど和花自身、そんなことを言えた立場ではないと思い、黙っていた。
二人は和花の家へ入りながら、なおも会話を続けた。
「でも、どうして急に蓮は、ゆいを積極的にその……受け入れるようになったんですか?」
「受け入れるようになった、という言い方には少し誤解があるわね。正確には、蓮くんはゆいさんを救おうとしている、と言ったほうが近いわ」
「え? どういうことですか、それ?」
「ゆいさんの様子に、気づいていなかったのね。ゆいさん、今かなり危ういのよ。今にも遺書を残して自殺してしまっても、おかしくないくらいにね」
「え、ええええっ!?」
自分の勘が鈍い自覚はあったが、まさか結月がそこまで追い詰められていたとは思いもしなかった。
和花は結月に対して、改めて複雑な感情を抱いた。
「……考えてみれば、ゆいの立場ならそうなるのも無理ないですね。突然蓮に訳の分からない理由で振られて……」
「親しかった友達に奪われたわけだからね」
「うっ……。間違ってはないですけど、もう少し優しく言ってくれてもいいじゃないですか」
だが、愛理は和花の言葉を受け流して話を続けた。
「おまけに美少女の先輩まで合流したじゃない? いっそ自分もハーレムに入れてもらえるならまだしも、ずっと拒絶され続けて。そのうえ、顔を見ただけで吐き気がするとまで言われた」
「……だから先輩も、蓮が突然ゆいをそばに置くと言い出したとき、反対しなかったんですね」
「ご主人様の決定に反対する奴隷なんているわけないでしょ?」
「時々思うんですけど、先輩のその奴隷設定、すごく都合よく使ってる気がします」
「設定じゃなくて本物よ。ペットの和花さん」
誰もいない真っ暗な家の電気をつけ、二人は和花の部屋へと入った。
和花は妙に緊張していた。
この部屋に同性の友達を招き入れるのは初めてだったからだ。
「ひとつ誤解があるわ。正直、私はゆいさんのメンタルなんて、そこまで気にかけてはいないの」
「まあ……先輩にとってはそうでしょうね」
和花と結月は、元々友達だった。
それに和花にとって結月は、初めてできた友達という特別な存在だ。
一方で、愛理にとって結月は、蓮を自分のものにする上で邪魔な存在でしかなかった。
そもそも二人が手を組んだ口実も、結月に対する牽制だったのだから。
「ただね、蓮くんのトラウマを解くには、結局ゆいさんが鍵になる気がするの」
「そうですか……?」
「もちろん、何の根拠もない私の直感に過ぎないけど。今こうして二人で話そうと言ったのも、そのためよ」
愛理がニヤリと笑いながら言葉を続けた。
「私たちの初体験をどうするか、話し合いましょ」




