第9話 元カノの友達③
小森さんが俺の部屋に入ってきた。
そういえば、結月以外の女の子が俺の部屋に来るのは初めてだ。
まあ、別に変なことをするわけでもないし。緊張する理由なんてなかった。
「お茶でも出そうか?」
「あ、いや、いい!」
小森さんはガチガチに緊張した様子で、床にちょこんと正座した。
視線だけがせわしなく泳いでいた。
「もしかして、男の部屋って初めて?」
「と、当然でしょ!」
「彼氏、いないの?」
「い、いないわよ! いたことないし」
「意外だな」
彼女は不審げに眉をひそめた。
「……深川、もしかして私のことビッチだと思ってたわけ?」
「いや、ビッチとは言わないけど、小森さんレベルで彼氏いない方がおかしいだろ」
「え? なんで?」
わざと知らないふりをしているのか――と思ったが、顔を見ると本当に分かっていない様子だった。
一見派手な見た目とは裏腹に、こういうところは意外と純粋なんだな。
「可愛いから。モテそうだし」
「え? そ、そう? ふーん……。私、可愛いんだ」
小森さんが視線を横に逸らしながら、サイドの髪を指でいじった。
顔も、心なしか赤らんでいた。
こういう褒め言葉は今まで散々言われてきたはずなのに、どうしてだろう。
「学校行かなきゃいけないし、早く本題に入るよ」
彼女がコクンと頷いた。
俺は引き出しにしまっておいた茶封筒を一通取り出し、彼女に渡した。
「読んでみて」
小森さんが封筒を開け、中に入っていた書類の束を取り出した。
彼女が首を傾げた。
「中間報告書?」
「探偵に頼んで調べてもらったやつ。まあ、途中で打ち切ったけどな」
捨てようとも思ったが、払った金が惜しくて、いつか役に立つかもしれないと思って取っておいた。
「長澤琥太郎?」
「うちの学校の3年の先輩。……それから、写真部所属」
「これが結月と何の関係があるの?」
「全部読んでみて」
小森さんはまだ首を傾げていたが、報告書を読み進めるにつれ、その顔がみるみる強張っていった。
「な、何よ、この最低な先輩!わざと彼氏持ちの女の子ばかり狙うってこと?そういえば最近、そういう先輩がいるっていう噂……聞いたことある」
高木を通じて俺がさらに触れ回った噂が、彼女の耳にも届いていたのだろう。
だが、この反応を見るかぎり、あまり効いていないようだ。
「ちょ、ちょっと待って。さっき言ったわよね? この人が写真部所属だって」
「ああ」
「結月の部活の先輩……!? こんな人が!?」
小森さんがポカンと口を開けた。
「なんで俺が別れたか、分かっただろ?」
「そ、そうなんだ。なんだかやっと輪郭が見えたっていうか。あんたの立場なら心配になるのも無理ないわね。このこと、結月に話したの?」
「何度もな。でも聞く耳を持たないんだよ」
「え? なんで?」
「自分は噂だけで人を判断したくないんだと。噂より自分の目を信じるって」
「あ……」
結月のその姿勢自体は悪いとは言えない。
普通なら、むしろ長所と呼べるはずだ。
だが、よりによって長澤先輩がその例外だったのだ。
「おまけに写真部の部長もあの先輩の女なんだ。恋人っていうより、先輩の言いなりになっているだけの関係だ」
「え? ま、マジで?」
「まあ、信じるか信じないかは自由だ。だから部長も先輩に協力して、写真部の女子部員たちを先輩の女にしてるんだ」
「ありえない……。それじゃあ、結月も……」
小森さんが項垂れた。
かなりショックを受けたようだ。
なぜかは分からないが、彼女にとって結月はかなり特別な存在らしい。
「とにかく、これで分かっただろ? なんで俺が別れようって言ったか」
「い、いや! むしろこういう状況なら結月を助けなきゃ!! 諦めてどうするのよ!!」
その言葉に、俺はカッと血が上った。
「俺が何もしてないように見えるのか? この報告書だってタダじゃない。業界で一番有名な探偵を選んで雇ったんだぞ」
「うっ……」
「俺は部長と先輩がそんな関係だとも知らずに、部長に土下座までしたんだ。結月にも膝をついて頭を下げた。護身用のスタンガンまで渡した。これ以上、俺に何をどうしろって言うんだ? 言ってみろ、あぁ!?」
俺の怒鳴り声に、小森さんがビクッと肩を震わせた。
しまった……感情的になりすぎた。
「ご、ごめんね……。確かに私より深川の方が、ずっと辛い思いをしてきたわよね……」
俺が謝ろうとした矢先に、逆に彼女が謝ってきた。
別に悪意があったわけじゃないのは分かっている。
ただ結月を想う気持ちが強くて、ああ言ってしまったのだろう。
「わ、私がちゃんと結月を説得してみる!」
「具体的にどうやって?」
「写真部を辞めさせればいいんでしょ?」
「だから、どうやって?」
「深川の言葉なんて、ただの焼き餅だと思って右から左へ流しちゃったのよ。だから同じ女の私が言えば、きっと真剣に聞いてくれるはず」
果たしてそうだろうか。
結月がフォトグラファーを志すかぎり、写真部での活動は続けると思うが。
「だから深川、私が結月を説得して写真部から連れ出したら、また結月とやり直してくれるのよね?」
「まあ、そのへんは成功してからまた話そう」
「分かった。何にせよ、このまま写真部に置いておくのが危険なのは、私から見ても明らかだから」
正直、俺は少し驚いていた。
意外と話が通じるな、と。
結月のように、まともに取り合おうともしないと思っていたのに。
「とりあえず、頼んだ」
もしかすると、思いがけない突破口になるかもしれない。
……ただ、ヨリを戻すかは分からない。
すでにかなり気持ちが冷めてしまっているから。
「ええ、任せておいて」
◇
「結月と喧嘩しちゃった……」
昼休み。
突然、小森さんが俺を非常階段に呼び出した。
そして愚痴をこぼし始めたのだ。
「『なんで蓮も和花も私の言うこと信じてくれないの!? 長澤先輩はそんな悪い人じゃないってば!』って、もう全然話が通じない……」
「だから言っただろ。伊達に俺が別れたわけじゃないんだぞ」
それにしても、小森さんの下の名前、和花だったのか。
あまり親しくなかったから初めて知った。
「しかも、私に直接その先輩に会ってみないかって。会えば分かるからって……」
「会うのか?」
「嫌よ! あんな女の敵みたいな人! 目が合っただけで妊娠するわよ!!」
妙に辛辣だな。
まあ、あんな報告書を見たら無理もないが。
小森さんがグスグスと鼻をすすりながら弁当を取り出した。
俺はその様子を見て、ふと疑問に思った。
「でもなんで、わざわざここで、しかも俺と昼メシ食うんだよ?」
「……だって、今日はあんたしか一緒に食べられる相手がいなかったから」
「北山さん以外にも友達くらいいるだろ」
「いないわよ」
「え?」
「いないってば! 結月が唯一の友達なんだから!」
思いがけない事実に、俺は目を丸くした。
いや、見た目だけなら友達100人は余裕でいそうなのに。
まさかとは思うが……。
「もしかして、高校デビュー?」
「ブフォッ——!」
彼女が食べていたご飯を吹き出した。
しまった、無神経すぎたか。
俺はポケットからハンカチを一枚取り出した。
「……意外と気が利くのね。やっぱり彼女がいたことがある男子は、ちょっと違うのね?」
「たかがハンカチ一枚で何を。それより顔についてるご飯粒、早く拭けよ。俺が取ってやろうか?」
「い、いらないわよ! 自分でやるから!!」
小森さんが「ふん」と顔を背けた。
いや、本当に古典的なツンデレみたいで、思わず笑いそうになる。
「で、高校デビューで合ってる?」
「そ、そうよ! 何か文句ある!?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど……。元々そんなに友達が多い方じゃなかったんだな」
俺もどちらかといえば、スクールカーストの下層に位置する。
だから小森さんに、少し親近感を覚えた。
「……そうよ。私はどうせ昔も今もぼっちなんだから! せっかく高校でやっとできた友達が一人……こうして喧嘩して失っちゃうなんて……!!」
「いや、どんなに親しい友達でも喧嘩くらいするだろ……」
「そ、そうなの? また元通りになれるの?」
「ああ。北山さんも今頃、小森さんに悪いことしたって思ってるはずだよ」
「そ、そっか!」
小森さんの顔がパッと明るくなる。
……おかしいな、どうして俺が慰める側になってるんだ。
一方で、彼女がなぜあんなに結月に執着するのか分かった気がした。
(初めてできた友達だからか)
おそらく今の少しギャルっぽい姿は、徹底的に努力して練習して作り上げられたものなのだろう。
本来の姿は、むしろ今のこの感じに近いのかもしれない。
結月絡みでいちいち突っかかってくるのは少々面倒だが、こういう姿はどこか微笑ましくもある。
だがその時。
グゥ——ッ。
俺の腹の虫が鳴った。
その音を小森さんも聞いたようで、こちらを見た。
「深川もご飯食べなよ」
「俺、学食派だから弁当ないんだ」
「え? そうなの? 私のせいでわざわざ、弁当もないのに……?」
「まあ、そうなるな」
あんな今にも泣き出しそうな顔で呼び出されて、無視できるわけがなかった。
まあ、後で購買にでも行って、残っているものを適当に買って食べればいい。
そう思っていると、小森さんが突然、自分の弁当をスッとこちらへ押しやった。
「その……。半分あげる。食べなよ」
「え? いいのか?」
「わ、私のせいでご飯抜きになったなんて、人聞きが悪いじゃない!」
「まあ、くれるならありがたく頂くけど」
卵焼きを一つ摘まんで口に入れた。
「ん、美味いな」
「そ、そう?」
小森さんちのお母さんの料理の腕は、なかなかのものらしい。
うちの母さんのご飯は、正直そこまでうまいとは言えないから、ちょっと羨ましかった。
「そ、そっか……。美味しいんだ……。へへ、ちょっと嬉しいかも」
「ん? なんで?」
「あ、いや! なんでもない!」
なぜか小森さんが顔を赤らめ、プイと反対側を向いた。
料理上手なお母さんが誇らしいのだろうか、と俺は思った。
◇
その後の一週間は、特に小森さんと話すことはなかった。
もちろん、結月とも同じだ。
安堵すべきか、小森さんと結月は仲直りしたようで、また楽しそうにおしゃべりしていた。
(マニキュアの色も変わってないし)
もしかしたら、すでに『悪夢』は回避できたのかもしれない。
このまま大人しく過ごしていけばいいだろう。
そう思っていた時だった。
「これ見て、結月! 昨日の夜、結月がくれたやつ、塗ってみたの! どう、綺麗?」
「うんうん! 和花に似合うと思ってたよ!」
二人の会話が耳に飛び込んできた。
……ちょっと待て。
これって、もしかして——
俺はガタッと席を蹴り上げて立ち上がり、二人のもとへ割って入った。
有無を言わさず小森さんの手を掴み、目の前へ引き寄せた。
「深川!?」 「れ、蓮!?」
動揺する二人の声。
——次の瞬間、背筋にぞっと冷たいものが走った。
(夢で見た、あのオレンジ色のマニキュア……!)




