第88話 折れた靴②
「な、何ですかその言い方は! 私がわざと心愛ちゃんの靴を壊したって言うんですか!?」
俺の問いに、地雷ちゃんシンドロームの黒髪ボブ――彩乃さんが声を荒げた。
まあ、当然否定するだろう。
「わざと壊したのかと聞いたわけじゃありません。心当たりがないか、聞いただけです」
「そ、それがそういう意味じゃないですか! 今、私を疑ってるんでしょ?」
「持ってくる途中で落としてしまった、ということだってあり得ますよね。なのに、どうして真っ先にわざと壊したなんて話になるんですか?」
「うっ……」
愛理が鼻で笑った。
「決まってるでしょ、社長。彩乃さんに後ろめたいところがあるのよ」
「な、なんて言いがかり! 証拠でもあるんですか? 何の証拠もないのに、人を犯人扱いするなんて!」
確かに彩乃さんの言う通り、証拠はない。
結局、折れた断面が不自然に見えるというのは、素人の俺と愛理の推測にすぎない。
だが、本当に無実なら「証拠は?」と噛みつく前に、まず「運んだだけだ」と事実を言うはずだ。
もっとも、これも俺の勘でしかない。
(でも、もう少しプレッシャーをかけてみるか)
今回の件が本当に故意で、このままうやむやに済ませれば、嫌がらせは間違いなくエスカレートする。
そうなれば、心愛さんが追い詰められ、覚醒剤にまで手を出す未来につながるかもしれない。
たとえ故意でなくても、俺たちにそう疑わせたのは彩乃さんたちの日頃の行いだ。
「愛理、言いすぎだ。謝れ」
「はい、社長。すみませんでした、彩乃さん」
「私からも謝ります。すみませんでした」
俺と愛理は、そろって彩乃さんに頭を下げた。
彩乃さんは腕を組み、皮肉っぽく言った。
「そちらが心愛ちゃんを溺愛してるのは知ってますから、血相変えるのも分かります。けど、濡れ衣はやめてください」
「承知しました。では、今回の靴は最初からの不良品だった、というご認識でよろしいですね?」
「はい、そうですね。それ以外にないじゃないですか」
やはり、そう来るか。
俺は口の端を上げた。
「愛理、靴の写真、隅々まで撮っておいて」
「はい」
「彩乃さん、一つお願いがあります。法廷に立っていただけますか?」
「え……? ほ、法廷?」
彩乃さんの表情が、さっとこわばった。
「ええ。今回の件では、心愛さんだけでなく、地雷ちゃんシンドローム全体にも大きな損害が出ています。マネージャーさん、もし今回のライブが中止になった場合、損害額はどのくらいになりますか?」
「え? あ……。少々お待ちを、およそ……」
マネージャーが急いでスマホを取り出し、数回タップした。
やがて、電卓アプリの画面をこちらへ向けた。
「このくらいになります」
「……!」
彩乃さんは目を丸くした。
想像していたより、ずっと桁が大きかったのだろう。
マネージャーが慌てふためいて俺たちを呼び出したのも、無理はない。
「な、なんでこんな金額になるんですか?」
ついに、彩乃さんはマネージャーへ問いかけた。
「ほら、もうすぐ美代子も新学期でしょ。その前に人気を確かなものにしておきたくて……プロモーションにも、かなりお金をかけたのよ……」
新学期――つまり二学期が始まれば、心愛さんはいよいよ高校受験に本腰を入れなければならない。
事務所としては、この勢いをなんとしてでも逃したくなかったのだろう。
俺は彩乃さんを見つめながら言葉を続けた。
「ですから、今回の損害については、靴メーカーへの賠償請求を提案します。費用は全額、こちらで負担します」
もし本当に靴の欠陥が原因なら、メーカーの賠償責任は明らかだ。
もちろん、どこまで賠償額として認められるかは分からないが。
だが、俺は本気で訴訟を起こすつもりで言ったわけではなかった。
「メーカー側も黙ってはいないでしょう。製品に欠陥はない、そちらの過失だ、と主張してくるはずです。もちろん、徹底的な調査も入ります」
「うっ……」
「こちらとしても、無過失を立証するには彩乃さんの証言がどうしても必要なんです。グループのため、ひいては仲間のために。ご協力いただけますよね?」
彩乃さんは即答できなかった。
メーカーの徹底調査と、法廷という言葉の重みが効いたのだろう。
本人も分かっているのだ。
これは、公にはできない陰湿な嫌がらせだと。
「ま、マネージャー、さすがに訴訟はやりすぎですよ。死人が出たわけでもない、ただ足を捻ったくらいで!」
彩乃さんはとうとう、マネージャーにすがるような目を向けた。
たかが捻挫、と言い放ったが、そのせいで事務所はこれだけの損害を被るかもしれないのだ。
何より、心愛さん本人があんなに落ち込んでいるというのに。
「普段ならそうかもしれないけど、今回は事情が違うの。今回のライブには、特にお金がかかってる。うちの社長、今すごく怒ってるのよ。費用まで深川さんが持ってくれるなら、会社としてはやらない理由がない」
「うっ……」
心愛さんを痛い目に遭わせたい――ただそれだけの、身勝手な動機かもしれない。
だが、その結果がここまでの大事になるとは、予想していなかったのだろう。
もっとも、あえて大事にしているのは俺なのだが。
(グループの成功より嫉妬か……)
彩乃さんの気持ちが、まったく分からないわけではない。
正直、俺自身、長澤先輩への怒りの裏で、男としての引け目と嫉妬を抱えていた。
その引け目と嫉妬が、結月と別れる直前のあのデートで、俺を暴走させたのかもしれない。
マネージャーは彩乃さんの両手を取った。
「彩乃、色々と大変かもしれないけど、どうかお願い。それに彩乃はグループの最年長でしょ。年長者として、少しだけ力を貸してちょうだい」
……いや、彩乃さんが一番年上だったのか?
それでいて、グループをまとめるどころか、自分から心愛さんをいじめていたなんて。
いろんな意味で呆れていると、彩乃さんが拳をぎゅっと握り、うつむいた。
「じ、実は……」
お、自白か?
最後まで隠し通すつもりだと思っていたぶん、意外だった。
今からでも全部打ち明けて、きちんと反省してくれるのなら――
「持ってくる途中で、ま、間違って落としてしまって……。その時の衝撃で、ヒビが入ったのかもしれません……」
やっぱりか。
一瞬でも期待した自分が、馬鹿みたいだった。
もっとも、本当にミスだった可能性もゼロではないが……。
マネージャーが長いため息をついた。
「はぁ……。二度とこんなことがないようにしてよね。あんたのミスで、どれだけ多くの人に迷惑がかかるか分かってるの?」
「すみません……」
「ただでさえ、美代子はこのグループの要なのよ? グループの存続までかかってるの。サポートするどころか、足を引っ張ってどうするの?」
「すみません……」
彩乃さんは何度もマネージャーに頭を下げ、謝り続けた。
その姿に、妙な既視感を覚えた。
記憶を手繰る。
(あ、そうだ。心愛さんが和花に怒られた時だ)
主婦モードの和花が、心愛さんの家を掃除しながら、あれこれ小言を言っていた時のことだ。
心愛さんが「すみません、精進します……」とひたすら繰り返していた姿にそっくりだったのだ。
おそらく、こうしてマネージャーに叱られるうち、染みついた癖なのだろう。
考えてみれば、俺が知っているのは、ビジネスパートナーである俺たちに丁重に接するマネージャーの顔だけだった。
実際のところ、普段彼女がアイドルたちをどう扱っているのかは知る由もなかった。
(……もしかすると事務所が心愛さんを特別視しすぎているのが問題なのかもしれないな)
規模の小さな芸能事務所だからこそ、目先の成果にしがみついてしまうのかもしれない。
すぐに数字を出せる心愛さんにばかりスポットライトが当たり、彩乃さんたち他のメンバーは後回しにされる。
そんな扱いが続けば、不満が澱のように溜まるのも無理はない。
(だからといって、心愛さんをターゲットにしていじめるのは言語道断だが)
問題は、事務所がその不和を本気で解消しようとしていないことだ。
どうすればいいのか。
……まったく、頭が痛い。
そう思った、その時だった。
「マ、マネージャー!」
心愛さんが慌てて声を上げた。
「あ、あまり彩乃さんを責めないでください。あたしのために買ってきてくれたんですし……。それに、履く前にちゃんと確認しなかったあたしにも非がありますから」
「でも……」
「今は責任を追及するより、ライブをどうするかを考えるほうが先じゃないですか? ね?」
心愛さんの言う通りだった。
俺も犯人探しに気を取られすぎていたのかもしれない。
マネージャーが長いため息をついた。
「その足じゃいつも通りステージに立つのは無理でしょ」
「そ、それはそうですけど……」
「うちはただでさえダンスの比重が高いのよ。美代子、あんた自身もダンスが売りでしょ。……仕方ないね。せめて椅子に座らせて、ステージに出すしかないか」
楽屋の空気が、また沈む。
何かないかと考えを巡らせた、その時だった。
ふいに、ひとつの案が浮かんだ。
「今の地雷ちゃんシンドロームって、雷に打たれそうになったアイドルとしても話題になっていますよね?」
「あ、はい。そうですが……」
「愛理、紙とペンを貸してくれる?」
俺は頭に浮かんだ演出案を、ざっと紙に描き出した。
「こんなふうに演出してみるのは、どうでしょうか?」




