第81話 メイド②
いや、なんでメイド服?
こっちはまだ、全然状況に追いつけていないのに——
「メイド服!? み、見たいです!!」
心愛さんのテンションが、誰よりも上がっていた。
しまいには、勝手にドンキの袋から引っ張り出してみせた。
結月は顔をほんのり赤らめ、俺をチラリと見た。
「メイドだから一応買ってきたんだけど……」
そういえば、結月はとりあえず形から入るタイプだった。
それより、あのメイドの提案は、比喩でもなんでもなく言葉通りの意味だったのか。
愛理が鼻で笑った。
「メイド服、着たことないの?」
「ええ、まあ、そりゃ……。普通は着る機会なんてないじゃないですか」
「へえ、そうなんだ。大好きなオタクの彼氏のために着てあげたこともないのね」
「うっ……」
オタクの彼氏って、俺のことだよな?
愛理、あからさまに牽制してるな。
そもそもここに結月を呼ぼうと言い出したのは愛理なのに、何を考えているんだろう。
「私たちは超ミニスカも、マイクロビキニも、ケモミミコスも着たのに。ね、和花さん?」
「え? そ、そうですね。蓮、なんだかんだ言ってコスプレ好きみたいだし」
結月の両手は小刻みに震えていた。
だが反論の言葉が見つからないのか、口を真一文字に結んだままだった。
そんな結月の両手を、心愛さんがぱっと取った。
「早く着てください! ゆずさん、絶対すごく似合うと思います!」
「う、うん……」
心愛さんに背中を押され、結月はメイド服を持って部屋へ着替えに向かった。
どうやら心愛さんは、今回も険悪な空気を察して、あえて割って入ってくれたらしい。
「もう、お二人とも! いくら蓮様の元カノが気に入らないからって、そんなにピリピリしてたら心愛メンヘラになっちゃいそうです!」
「ごめんなさい、美代子さん。確かにちょっと過敏になってたわね」
心愛さんが地雷ちゃんシンドロームのリーダーかどうかは分からない。
ただ、この前の特典会を見る限り、実質的にグループを引っ張っているように見えた。
そのせいか、こういう場を取り持つのが妙にうまい。
……肝心の本人は、グループ内でハブられているというのに。
「ところで蓮様、どうしてあんなに可愛い人を振ったんですか? 付き合ってた頃にメイド服を着てくれなかったから?」
「いや、まさか。ちょっと事情があるんですけど……」
「あ、すみません! 超プライベートなことですよね」
心愛さんが深く頭を下げた。
「いやいや、気になるのは当然ですよ。ただ……たぶん聞いたら、心愛さんは俺の頭がおかしいと思うはずです」
「そうですか? 正直すっごく気になりますけど、後でもっと蓮様と仲良くなったら聞くことにしますね!」
「俺ともっと仲良くなる計画なんですか?」
「もちろんです!」
彼女はさりげなく俺の二の腕を掴み、小声で続けた。
「心愛をもっと好きになって、心愛をもっとたくさん推してもらわなきゃいけませんから!」
「あ、はは……」
この子、本気でドームを狙っているのかもしれない。
◇
白いフリルのカチューシャ。
襟とカフスの白が映える、黒のパフスリーブワンピース。
そして、細かなフリルをあしらった純白のエプロン。
きゅっと絞られたウエスト。
その上では、豊かな胸がエプロンを押し上げ、否応なく視線をさらっていく。
「お、おお! か、可愛いです! でもすごい!!」
結月が部屋から出てくると、心愛さんが叫んだ。
結月は恥ずかしいのか、頬を上気させていた。
「す、すごいって?」
「ここですよ!」
心愛さんが人差し指で、ぐいっと結月の胸元を示した。
「羨ましいなあ、あたしもこれくらい大きかったら、今よりもっと人気出たはずなのに」
「いいことばかりじゃないんですよ……?」
「巨乳の子って絶対みんなそう言うんですけど、じゃあ貧乳になるかって聞かれたら、絶対ならないじゃないですか!」
胸のことでよほど鬱憤が溜まっていたのだろう。
心愛さんは日頃の恨みつらみを晴らすかのように、貧乳にまつわるエピソードを次々とまくし立てた。
芸能界では外見の比較が一般社会より露骨なぶん、コンプレックスも刺激されやすいのかもしれない。
心愛さんが、珍しくがっくりと肩を落とした。
「はぁ……高校生になったら、もうちょっと成長しますかね。ちなみに、ゆずさんと秘書さんって、いつ頃からそんなに大きくなったんですか?」
「ちょっと、私もそんなに小さくないんだけど!?」
和花が反発すると、心愛さんが和花の胸のあたりをじっと見つめた。
「服の上からだとちょっとよく分からないんですよね。一回触ってみてもいいですか?」
「だ、ダメ! は、恥ずかしいし……。それに、私の胸は蓮しか触れないんだから」
「ここでノロケですか! くっ、蓮様は本当に女運がいいですね!」
「あ、はは……」
俺はぎこちなく笑うしかなかった。
和花と愛理のことを思えば、確かに女運が悪い方ではないだろう。
だが予知能力がなければ、俺は結月と付き合い続け、取り返しのつかない結末を迎えていたかもしれない。
そういう意味では、予知能力が俺の女運の悪さを、かろうじて帳消しにしてくれたとも言える。
「それでそれで、お二人はいつそのサイズになったんですか?」
「うーん……。中学生の時だったと思うけど」
「私もよ」
「じゃああたし見込みなし!? このまま貧乳人生!?」
結月と愛理の答えに、心愛さんががっくりとうなだれた。
まあ、女の子はたいてい、男より成長が早いっていうし。
それでも俺は、慎重に言葉を選んで心愛さんに言った。
「心配しないでください。高校に入って大きくなる可能性はゼロじゃないですから」
「そ、そうですよね? まだワンチャンあるんですよね?」
「もちろんですよ。それに、まあ……。貧乳が好きな人も多いですし」
「それ、全然慰めにならないんですけど!? 貧乳でもOKならまだしも、巨乳より貧乳が好きって男、そんなに多くないじゃないですか!? しかもなんかちょっと引くし!!」
「世の中にはいろんな好みがありますからね」
「だから全然慰めになってないんですけど!! ちなみに蓮様は貧乳と巨乳どっちですか?」
「そりゃ巨乳——。あ、胸だけで女の子を判断したりしませんよ」
「遅すぎます!!」
心愛さんが怒ったように眉間を寄せ、俺の胸板を両手でぽかぽか叩いた。
一方で、結月はうつむいて自分の胸元に視線を落とし、ぽつりとつぶやき、かすかに微笑んだ。
「やっぱり蓮は巨乳が……」
その様子を見た愛理が「ふーん……」と声を漏らした。
「蓮くんが巨乳好きなの知ってたのに、一回もそれで喜ばせてあげなかったのね」
「うっ……。どうしてそれを……」
「和花さんの時はすごく喜んだって、蓮くんが自分で言ってたから。ね、和花さん?」
「え? う、うん……。ちょっと恥ずかしかったけど、すごく喜んでくれて……」
その瞬間、結月の顔が引きつった。
腹を立てながらも、必死にこらえている顔だった。
本当に、愛理と結月は水と油だ。
「ひえええっ……! なんだか大人の会話が聞こえたような気がします……!!」
心愛さんが顔を真っ赤に染めて、両頬に手を当てた。
ああ、確かに中学生の前でする話ではまったくない。
とはいえ、歳は一つしか違わないのだが。
「ほらほら、雑談はここまでにして、宿題に戻ろう」
「はーい」
「あの、蓮……」
結月が恐る恐る尋ねた。
「私は何をすればいい……?」
「とりあえず、今日は和花と心愛さんの宿題を手伝ってくれないか。中3の範囲ならまだ覚えてるだろ?」
「ある程度は」
俺ほどじゃないにしても、結月も勉強はそこそこできる方だ。
正直、三人に教えながら自分の分まで片づけるのは、少しキツかった。
これで、だいぶ楽になりそうだ。。
「それから、ちょっと真面目な話があるから後で少しうちに来てくれ」
心愛さんの『悪夢』について知っておく必要があるからな。
すると結月が目を丸くした。
「え? ほ、本当に? 私が蓮の家に行ってもいいの?」
「あ、ああ……」
結月は、本当に嬉しそうに笑った。
前は当たり前のように俺の家を出入りしていたから、こんな反応は見られなかった。
なぜか、付き合っていた頃よりも、今の結月のほうが彼女みたいに見えた。
◇
とりあえず、今日の分の夏休みの宿題は全部終わらせた。
これからは心愛さんのオフに合わせて集まることにして、俺たちは家へ引き上げた。
もちろん、結月も一緒に。
母さんが結月を見て、気遣わしげに声をかけた。
「話は大体あゆみさんから聞いたわ。結月ちゃんも随分苦労したそうね」
「そ、それは……」
「この前、私も詳しい事情を知らなかったとはいえ、冷たくしてごめんなさいね」
「い、いえ……」
「じゃ、ゆっくりしていってね」
そのまま二階に上がろうとした、その時。
カチャッという音とともに、トイレから杏奈ちゃんが出てきた。
「え? だ、誰?」
案の定、杏奈ちゃんが結月を見るなり後ずさりした。
結月も杏奈ちゃんに気づき、「この子は……?」と首を傾げた。
和花が杏奈ちゃんの隣に寄り添いながら答えた。
「私の妹よ」
「あ、そういえば前に言ってたね、妹がいるって」
「うん。杏奈、ちゃんと自己紹介しなきゃ」
結月が腰をかがめて杏奈ちゃんと視線を合わせた。
「私は北山結月。お嬢ちゃんの名前は?」
「こ、小森杏奈です……。その……。もしかして、お姉ちゃんの友達だった人?」
だった、って。
そういえば杏奈ちゃんは、勘が鋭い上に、言葉も容赦なくストレートだ。
結月が戸惑った様子で「あ、はは……」とぎこちなく笑った。
「まだ友達……だと思ってるよ」
その言葉に、和花がはっと目を見開く。
正直、俺も意外だった。
ただ、伊藤さんの時みたいに、また仮面をかぶっているだけなんじゃないか——そんな疑いも、わずかにあった。
「杏奈ちゃーん?」
その時、母さんの呼ぶ声が聞こえた。
途端に杏奈ちゃんが、びくりと肩を跳ねさせた。
「トイレ終わった? 次はなにして遊ぼっか?」
「そ、それぞれ読書……」
「あら、そんなのつまんないじゃない! おばさんにいい考えがあるからついてきて!」
「嫌だ……!!」
杏奈ちゃんはうちの母さんに手を引かれ、部屋へ連れていかれた。
結月だけはこの光景に慣れておらず、「え? 何?」ときょとんとしていた。
一方で、和花と愛理は平然と二階へ上がっていった。
俺の部屋の前に着いたところで、和花が口を開いた。
「ゆ、結月。ちょっと私たち二人だけで話そ」
その表情は、この上なく真剣だった。
和花の性格を考えれば、この一言だけでも、相当な勇気を振り絞ったはずだ。
俺はわざと黙っていた。
ここで目配せでもすれば、結月は応じるだろう。
だが、それでは和花が振り絞った勇気を、俺が台無しにしてしまう。
(とにかく、和花も一度結月と決着をつけなきゃいけないしな)
例の体育の時間の喧嘩以来、この二人がまともに顔を合わせたことはなかったはずだ。
結月が、和花と俺の顔を交互にちらりと見た。
やがてぎゅっと目をつむり、こくりと頷いた。
「分かった」
その返事を聞くなり、愛理がすっと俺の腕に抱きついてきた。
「じゃあ蓮くん。ううん、ご主人様。私たちはエッチなことでもしてようか」
「……」
わざと隣の部屋に声を聞かせるつもりじゃないだろうな?




