第77話 急死
ここはどこだ?
俺は思わず、周囲を見回した。
香炉から細い煙が一筋、静かに立ち上っていた。
白い供花の隙間から、贈り主の名を記した長い木札がのぞいていた。
(ここは、まさか……)
祭壇の真正面には、一枚の遺影が飾られていた。
そこに映る顔を目にした瞬間、俺の手がわなわなと震え出した。
写真の中で、あどけない笑みを浮かべる少女。
――鮮やかな赤髪の、彼女だった。
(心愛さんの葬儀……?)
どうしてだ?
落雷からも、電車からも救い出したはずなのに。
足から力が抜けた。
よろめいた俺の身体を、隣にいた誰かが咄嗟に支えた。
「大丈夫ですか、深川さん……?」
心愛さんのマネージャーだった。
黒い喪服に身を包み、目元を赤く腫らしていた。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
それでも、確かめずにはいられなかった。
「一体どうして、心愛さんが……」
口にしてから気づいた。
葬儀の場で口にするには、あまりにも無神経な問いだった。
ところが、マネージャーは明らかに狼狽した。
「そ、それが……。わ、私にも分かりません。私とは無関係です。本当です、信じてください」
俺の無礼を咎めるでもなく、たしなめるでもなかった。
むしろ、どこか後ろ暗い事情を隠しているような口ぶりだった。
病死や事故死なら、こんな反応はしないはずだ。
そう思った瞬間――
「お前ら、ここがどこだと思って来やがった!!」
拳をきつく握りしめ、俺たちに怒鳴りつけてきたのは、喪主の男だった。
茶色い髪、緑がかった瞳。すらりとした長身に、蒼白なほど白い肌。
片言の日本語を話す、白人の男だった。
「お前らさえいなけりゃ、美代子は死ななかった!!」
男の怒声に、その場の視線が一斉に集まった。
マネージャーは周囲の視線を気にしながら、慌てて小声でなだめた。
「バ、バーンさん。どうか落ち着いてください」
「落ち着いていられるか!? お前らが美代子を殺したのも同然だ!! だから俺が、アイドルなんてやるなってあれほど言ったのに!!」
「この度の件につきましては、本当に、その……遺憾に存じます」
「遺憾!? その一言でお茶を濁す魂胆だろ!?」
俺たちを睨みつける緑色の瞳には、涙が滲んでいた。
「違います。弊社といたしましても、現在、最大限の補償を検討しておりまして、様々な形で――」
「はあ!? 誰が金の話をしろって言った!?」
「あ、いえ、失言でした。申し訳ありません」
「いいから、早く説明しろ!! なんでうちの美代子が、覚醒剤なんかで死ななきゃならなかったのか!!」
その言葉に、俺は息をのんだ。
今、覚醒剤って言ったか?
覚醒剤って――あの違法薬物のことか?
「ご、誤解があるようですが、弊社は一切関わっておりません」
「そんなわけないだろ! ああ、お前らの主張通り、美代子が勝手に覚醒剤を手に入れて自分で打ち、量を見誤って死んだとしよう。じゃあ、美代子はどこでそんなもの手に入れたんだ? そのルート、全然出てこないじゃないか!」
ようやく話の輪郭が、少しだけ見えてきた気がした。
「誰かが美代子に無理やり覚醒剤を打ったんだ! しかも、致死量を超えるほどの量を!!」
「お、恐れながら、警察では事件性なしと判断され、すでに捜査も打ち切られて……」
「だから、お前らが揉み消したんじゃないかって、今問いただしてるんだろ!!」
「弊社は、そのような力を持てる規模の事務所では決してなく……」
心愛さんの父親が、とうとうマネージャーの胸ぐらを掴んだ。
「俺が知らないとでも思ってんのか!? お前らの裏に妙な勢力がついてることくらい!」
「弊社はただの小さな芸能事務所で――」
「違うだろ!! 全部正直に吐け!!」
二人の口論が激しさを増していく中――
不意に視界がぐにゃりと歪んだ。
次の瞬間、俺はいつもの自室の天井を見上げていた。
「蓮くん、どうしたの?」「蓮、大丈夫?」
愛理と和花が、心配そうに俺を見つめていた。
ああ、そうだった。昨夜は三人でそのまま、俺の部屋で眠りについたのだ。
「……もしかして蓮くん、悪い夢でも見たの?」
「え? 悪い夢って、蓮のあの能力?」
「落雷のときも、こんなふうにひどくうなされてたの」
俺は無言で頷いた。
そしてベッドから起き上がり、机の前に座った。
忘れないうちに、今見た夢を書き留めておかなければ。
二人も俺の隣に寄り添い、ペンを走らせる手元を静かに見守っていた。
「……とりあえず、夢で見たのはこれくらいだ」
あまりにも唐突に葬儀の場へ放り込まれたせいで、『悪夢』の中で探りを入れる余裕など、まるでなかった。
ノートを見た和花が目を丸くした。
「か、覚醒剤? なんか、とんでもなくヤバい単語が出てきたわね」
「こういうのも地雷系ってことなのかしら」
「愛理、なんでもかんでも地雷系のせいにしないでよ……」
これではっきりした。
心愛さんには、死へ向かう因果律が異常なほど強く絡みついている。
落雷事故と電車事故に続き、今度は覚醒剤だなんて。
「ただ、こうも思うんだ。非科学的な話だけど、アイドルという仕事そのものが、心愛さんを死へ追いやっているんじゃないかって」
覚醒剤の件はまだ不透明だが、前の二件は、確実にアイドルの仕事と密接に関わっていた。
もちろん、ただの偶然かもしれない。
なんにせよ、心愛さんは自分の時間の大半をアイドルの仕事に費やしているのだから。
「ある程度、理にはかなってるわね。ただ、アイドルという仕事そのものより、今の美代子さんが置かれている状況が、決して良いとは言えないんじゃない? 人気は出てる。でも、事務所はまともに対応できないほど小規模だし、他のメンバーからの嫉妬も一身に浴びてる」
「それに蓮の夢で、心愛さんのお父さんが言ってたんでしょ? 事務所の裏に、妙な勢力がついてるかもしれないって。蓋を開けてみたら、相当ヤバい事務所なんじゃないの?」
考えてみれば、心愛さんの命を救うことばかりに気を取られて、彼女の所属する事務所については詳しく調べていなかった。
彼女がまだ中三だということすら知らなかったのだから。
「でもそれは、あくまで父親側の主張だからな。確認された事実じゃない。その辺は一度、探偵に調査を依頼してみた方がよさそうだな」
「私のお父さんの件で、証拠を見つけてくれた探偵に?」
「ああ。あの探偵の腕は確かだからな」
闇カジノが暴力団とつながっていたことを考えれば、反社会的勢力絡みの調査も、ある程度は可能なのだろう。
……あんな場所に潜入するなんて、今思い返しても、本当に無謀な真似だった。
和花が尋ねた。
「でも、それは本当なのかな? 心愛さんが無理やり覚醒剤を打たれたっていうの」
「それも結局、心愛さんの父親の主張に過ぎないからな」
夢の中のマネージャーの口ぶりからすると、警察は心愛さんが自ら覚醒剤を摂取し、急性中毒で死亡したと見ているらしい。
もしかすると心愛さんの父親は、娘のあまりにも救いのない最期を、ただ受け入れられないだけなのかもしれない。
「ただ、あれだけ明るくてテンションの高い心愛さんが、自分から覚醒剤に手を出したなんて、にわかには信じがたいな」
「あら、蓮くん。明るく見えることと、覚醒剤に手を出すかどうかは、そこまで関係ないんじゃない? 表面では明るく振る舞っているだけかもしれないし」
「それはそうだな……」
この前、心愛さんの家を訪ねたときの、あの散らかりよう。
単に忙しいからではなく、精神的な問題によるものだとすれば、話は変わってくる。
「蓮くん、今回の『悪夢』は時期とか分からないのよね?」
「ああ。なにしろ全員喪服だから、季節感もはっきりしないし」
「冷房とかは?」
「うーん……確実じゃないけど、冷房が効いている感じはなかったな。少なくとも夏ではない気がする」
「じゃあ、少なくとも今年の夏休みではない可能性が高いわね」
今回はある程度の猶予があるということか。
だとしても、回避するためのヒントがほとんどない。
愛理のときのように、無計画に突撃するわけにもいかない。
俺と心愛さんは、あくまでアイドルとスポンサーという関係だ。
愛理のときには、同じ学校という大きな接点があった。
けれど、心愛さんとは違う。
「蓮、とりあえず当面は、心愛さんともっと親しくなることを目標にした方がよくない?」
「え? なんで?」
「もし自分から打っているんだとしたら、親しくなれば、その理由も見えてくるでしょ。そうすれば、私たちで止められるかもしれない。逆に、無理やり打たれているんだとしても、犯人は心愛さんの身近にいる可能性が高いじゃない? なら、心愛さんと距離を縮めながら、怪しい人物を探ることもできるし」
確かに和花の言う通りだ。
愛理の件だって、親しくなったからこそ、彼女が自殺を選ぼうとした理由に辿り着けた。
だが……。
「どうやって親しくなるんだ?」
相手はアイドルだ。
特別扱いされているとはいえ、所詮はスポンサーにすぎない。
友達ではない。
「え? それを私に聞くの? 私に分かるわけないじゃない。何よ、新種のいじめ?」
「……」
そうだった。
和花は元々、陰キャのぼっちだった。
愛理が鼻で笑い、自信満々に言った。
「和花さん、そんなの決まってるじゃない」
「先輩もぼっちじゃないですか」
「私は自発的なぼっちよ」
「とにかくぼっちじゃないですか」
「細かいことは置いておいて」
俺を含め、この場には陽キャが一人もいない。
その事実が、今さらながら少し不思議だった。
だからこそ俺たち三人は、恋人……みたいな関係になれたのかもしれない。
考えてみれば、心愛さんも交友関係は広くなさそうだし、変わっているところが多い。
むしろ好都合か?
「男女が距離を縮める定番の方法といえば、あれしかないじゃない」
「あれ?」
愛理はにやりと笑って、答えた。
「デート」




