第72話 プライドの主導権①
どうやら和花は、このままラブホへ直行するつもりらしい。
心愛さんが突然現れ、出鼻をくじかれたらしく、内心かなり苛立っていたのだろう。
「でも、その……用意したもの、家に置いてきちゃって。一度戻らないと」
「それなら心配ないわ、蓮くん」
愛理はそう言うと、手にしていたバッグを和花へ差し出した。
「私が持ってきたから。この中に全部入ってるわ」
「……」
俺宛ての宅配便を勝手に開けたことを、もう隠す気もないんだな。
もしかすると愛理は、俺の部屋にあるものを、もうひと通りチェック済みなのかもしれない。
たぶん愛理は、好きな人のことなら何でも知りたがるタイプなんだろう。
「先輩はどうするんですか? い、一緒に行っても、私は構わないですけど……」
「あら、私も本当に一緒に行っていいの? 和花さんの初めてのディープキス、三人でしちゃうことになるけど?」
「え? そ、それは……」
いや、なんで三人でディープキスする流れになってるんだ。
……まあ、女の子二人連れでラブホに行くこと自体おかしいんだけど。
「最初は蓮くんと二人きりでもいいわよ。その代わり、後で三人でするってことで」
「あ、は、はい」
あまりにもあっさりと、二人の間で話がまとまってしまった。
俺も当事者のはずなのに、意見はまったく反映されない。
ライオンの群れで主導権を握るのは、一頭のボスオスではなく、複数のメスだ――そんな話を思い出した。
「蓮くん、じゃあ私は先に家に戻ってるね。もちろん、後でちゃんと私のことも求めてよね?」
「お、おう……」
「和花さん、それじゃ前に話した通り、お願いね。ここは和花さんの役目が一番肝心なんだから」
「うぅ……なんか、責任重大ですね……」
前に話した通りって、また裏で何を話してたんだ。
ラブホで何を企んでるんだ。
俺は一体、何をされるんだろう。
獣に食われる気分とは、こういうものなのかもしれない。
◇◇
腕を組んでラブホへ向かう蓮と和花を見送ると、愛理は蓮の家へ足を向けた。
(和花さんが要よ)
愛理は、自分に最後の一押しが足りないことを自覚していた。
キスにしてもそうだ。
これまで愛理は蓮を誘惑してばかりで、自分から踏み込もうとはしなかった。
単に蓮の意思を尊重していた、というわけではない。
ただ、蓮に嫌われるのが怖くて。見捨てられたくなくて。拒絶されるのが、恐ろしくて――。
(……結局言い訳ね)
一方、和花は違った。
もちろん、愛理が焚き付けた影響も少なくない。
それでも彼女は勇気を振り絞り、自分からキスをしようとした。
それに、随分と素直になった。
良い意味で変わったのだ。
(本当に正妻としては、和花さんが蓮くんに合ってるのかも)
明るく家庭的で、蓮しか見ていない。
蓮に向ける思いやりと献身も、相当なものだ。
何より、蓮と出会って惹かれていった過程からして、愛理とは違っていた。
今はもうそうではないとしても、愛理が蓮と関わり始めたきっかけは、結局のところ彼のお金だった。
けれど和花は、最初から純粋に、蓮の人柄だけを見ていた。
(まあ、別に正妻にこだわってるわけじゃないけど)
肝心なのは、蓮が自分と和花の二人を受け入れてくれること。
愛理は以前と違い、幸せな未来を夢見ていた。
蓮の家では和花が家事を担う。蓮は投資の専門家として活動し、愛理はその隣で彼の仕事を支える秘書になる。
できれば蓮には、会社勤めではなく、フリーランスか――いっそ自分の会社を立ち上げてほしかった。
時間に縛られず、一緒に子育てをしてみたかったから。
(それでも少しずつ、蓮くんも私たちを受け入れてくれてるみたいだし)
二学期が始まる前には、形はどうあれ、晴れて蓮くんの女になっているんじゃないか。
うまくいけば、夏休みのうちに彼と最後まで進めるかもしれない。
無意識に笑みを浮かべながら、愛理は蓮の家の前まで来ていた。
その時だった。
「菅原先輩」
横合いから声がした。
愛理はすぐに、声のした方へ顔を向けた。
「あら、蓮くんの元カノさんね。何の用?」
「……私には北山結月って名前があるんですけど」
「ああ、そうだったわね。ごめんなさい、北山さん。蓮くんを傷つけただけの人の名前なんて、とっくに忘れてしまっていたわ」
「うっ……」
愛理は注意深く結月の反応を窺った。
ここで反発するようなら、彼女はまったく反省していない。
結月はうつむいたまま、しばらく無言だった。
やがて、小さな声で口を開いた。
「……確かに私、最低な元カノだから仕方ないですよね」
「ふーん……。で、何の用? 蓮くんに会いに来たの?」
「いえ、実は……。先輩に話があって……」
「私に?」
愛理は、結月が何を狙っているのか計りかねた。
これまで愛理が見てきた結月とは、ずいぶん印象が違った。
以前の結月なら、愛理や和花のことを蓮を奪った泥棒猫だと決めつけて、敵意を剥き出しにしていたはずだ。
「まあ、別に構わないけど。スタバにでも行く?」
「……はい」
愛理は再び駅の方へと歩き出した。
結月は一歩後ろで、うつむいたままついていった。
まるで看守に連行される囚人のようだった。
駅前のスタバに着くと、二人は列に並んだ。
結月が財布を取り出した。
「急に訪ねてきたのは私ですから、ここは私が奢ります」
「別にその必要はないわ。蓮くんが言ってたの。お金は貯めるのも大事だけど、ある程度は使い方も知らなきゃいけないって」
愛理はニヤリと笑って、言葉を続けた。
「蓮くんの言葉なら、私は絶対に従うわ。それにこれは、蓮くんが私のためにくれたお小遣いだしね」
「うっ……」
ドリンクを注文し、二人は席に着いた。
しばらく、二人の間に沈黙が訪れた。
やがて、愛理が先に口を開いた。
「北山さん、どうして私が今一人でいるか分かる?」
「……分かりません」
「蓮くんと和花さん、今どこに行ってるか当ててみる?」
結月は唇を少し噛み締めながら答えた。
「デート……ですか?」
「デートといえばデートかしら? 正解はラブホよ」
「うっ……!」
結月の体がびくりと震えた。
やはりまだ、本気で蓮を諦めきれてはいないらしい。
それに、蓮を独占したい気持ちも、まだ消えていないのだと愛理は察した。
「あの二人、もうそこまで……。じゃあ、蓮は和花と付き合うことにしたんですか?」
「形としては、まだよ」
「付き合ってもいないのにラブホだなんて……。というか、どうして先輩はそんなに平然としていられるんです? 先輩だって、蓮のこと好きなんじゃないんですか?」
「もちろん好きよ。大好き。いや――愛してる」
飾り気のない、愛理の本音だった。
「私の人生は文字通り、蓮くんに出会う前と後でまったく変わったの。蓮くんが、私にはもったいないくらい素敵な男の子だってことも分かってるわ。ずっと一緒にいたせいで、その価値に気づけなかった北山さんとは違ってね」
「いちいちそういう言い方しないと気が済まないんですか? 本当に、私と先輩は全然合わないですね」
「同感よ」
だからこそ愛理には、結月がなぜこのタイミングで自分に近づいてきたのか、分からなかった。
恋敵を相手にうまく立ち回れるほど、演技やポーカーフェイスが得意そうにも見えないのに。
「さっきの質問に答えると、私と和花さんは手を組んだの」
「手を組む……?」
「私たち、二人とも蓮くんの女になるって決めたの」
「……!」
結月が目を丸くした。
「それってつまり、蓮のハーレムってことですか……?」
「理解が早いわね。私か和花さん、どちらか一人しか選ばれない形なら、蓮くんに振られる可能性が残るじゃない。それを、限りなくゼロに近づけるためよ」
「……和花に嫉妬したりはしないんですか?」
「蓮くん、私たちを公平に扱おうと努めてくれてるから。それに、嫉妬なんかより、蓮くんに見捨てられる方がずっと怖いから」
終始淡々としている愛理とは対照的に、結月の指先は小さく震えていた。
結月が声をかけてきた理由も、愛理にはようやくある程度見当がついた。
おそらく、今の蓮の状況を聞き出し、自分にも入り込める隙がないかを探るためだろう。
「わ、私だって、蓮に捨てられたくはありません」
「ふーん……。自分から蓮くんを捨てるくせに?」
「うっ……! そ、それは私ですけど、私じゃありません!」
「未来の北山さんね」
「違います!!」
結月が強く首を横に振った。
「もう私は、あんな最低な男には引っかかりません! 蓮の予知は、もう回避できたんです……!」
「ふーん……。それで? それを私に言って、どうするつもり?」
「そ、それは……」
結月は愛理に向かい、深く頭を下げた。
「お願いします。私も、蓮のハーレムに入れてください」




