第71話 打ち上げ③
心愛さんの言葉に、俺は思わず目を丸くした。
落雷事故の時と違って、今回はまったく気づかれていないと思っていたのに。
意外と、勘の鋭い子なのかもしれない。
「まあ、偶然でしょうけどね!」
「「……」」
和花と愛理が、何か言いたげな顔をした。
俺は二人に目配せして、黙るよう促した。
やがて心愛さんが、静かに口を開いた。
「昨夜の電車事故のニュース、見ましたか?」
「ええ、まあ。朝のニュースでやってましたね」
「実はその駅、あたしがよく使う駅なんです。ニュースで亡くなったって言っていた三十代の男性も、すごく親しかったわけじゃないんですけど……たまに話す仲でして」
話を聞く限り、アイドルの仕事で壁にぶつかるたび、その人は大人として的確なアドバイスをくれ、彼女をずいぶん救っていたらしい。
連日の残業で自分も疲れ切っていたはずなのに、心愛さんの愚痴に真剣に耳を傾けてくれていたという。
「……なんだか、そんな気がしてしまうんです。あのおじさんが、あたしの身代わりになったんじゃないかって……。何の根拠もないですけどね」
俺には、肯定も否定もできなかった。
おそらく、心愛さんの直感は当たっている。
結果論とはいえ、俺はあの男性ではなく、彼女の命を選んでしまったのだから。
「あ、なんだかすっごく暗くなっちゃいましたね! こんなの、あたしらしくないです!」
「暗い一面があるからこそ、地雷系らしいんじゃないですか?」
「そう言われてみれば、確かにそうですね!」
きっとアイドルとして、抱えきれない悩みも少なくないのだろう。
いま直面しているメンバーたちとの不和だけでも、彼女にとっては相当なストレスになっているはずだ。
「心愛さん。俺があのおじさんの代わりになるのは難しいかもしれませんが……俺でよければ、つらい時に話を聞くくらいならできますよ」
「え? スポンサー様にそんなことお願いしてもいいんですか?」
「他のスポンサーは知りませんが、構いませんよ。俺は心愛さんの力になりたいと思っていますから」
自分より年下だからか。あるいは、ひたむきに努力する姿を見たからか。
以前よりずっと、彼女のことを身近に感じている。
正直、地雷系というコンセプトはいまいちピンとこないが、それでも、彼女の努力だけはちゃんと報われてほしいと思う。
俺の言葉に、心愛さんは一瞬だけ目を丸くした。
しばらく静かに微笑んでいたかと思うと――ふいに、悪戯っぽい視線をこちらに向けた。
「もう、蓮様ったら。こんな風に女の子を口説いてるんですね? のどさんや秘書さんみたいなすっごく可愛い女の子ばっかり、どうやって落としたのか不思議だったんですけど、これで全部、謎が解けましたよ!」
「……」
地味に失礼だった。
◇
心愛さんをいつまでも部屋に引き留めておくのは不自然だ。
かといって、無下にするわけにもいかない。
結局、みんなで外に出ることになった。
本来なら、昼は和花とラブホ、夜は焼肉という予定だった。
だが急遽、昼からやっている店を探し、先に腹ごしらえすることになった。
……当然といえば当然だが、和花はあからさまに口を尖らせていた。
心愛さんに聞こえないよう、和花の耳元に顔を寄せて小声で囁く。
「ラブホは今日中に絶対行くから、そんなに拗ねるなよ」
「す、拗ねてなんかないわよ! それに、絶対にラブホじゃなきゃダメってわけじゃないし……」
和花は顔を真っ赤にして、上目遣いでちらちらと俺を窺ってくる。
どうやら、妙に俺の唇のあたりを意識しているらしい。
つまり、重要なのはベロチューってことか。
「もう、あんまり二人だけの世界に入らないでくださいよ! イチャイチャするのはいいですけど、心愛とも遊んでくださいってば〜」
心愛さんは隣に擦り寄ると、さりげなく俺の袖口をつまんだ。
それを見た愛理が、彼女の腕を軽く払いのけるようにして、ぐいっと俺たちの間に割り込んできた。
そして、これ見よがしに俺の腕に抱きつく。
「美代子さん、女の子が気安く男の人の体に触れちゃダメよ」
「いや、秘書さんはいいんですか!? がっつり腕まで絡ませてますけど!?」
「だって私と蓮くんは、同じ屋根の下で苦楽を共にする仲だもの」
「婚約者がいるんですよね!? のどさん、なんかおかしくないですか!?」
あっ。ここで婚約者設定にボロが出たか。
これをどう誤魔化したものか……。
いっそ心愛さんには、ある程度事実を打ち明けるべきか。
そう思案していた時だった。
和花がビシッと腰に両手を当てた。
「ま、まあ! 蓮くらいハイスペックな男が、女一人で満足するわけないしね! むしろ正妻の私が、目の届くところに置いておくっていうか……浮気くらいは目をつぶってあげるってことよ!」
「へえ、正妻の余裕ってやつですか?」
「ま、まあ、そうね!」
目の届くところに置いておいて、目をつぶる、か。
なんとも辻褄の合わない理屈だったが、心愛さんがツッコまなかったので、あえてスルーすることにした。
心愛さんが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあじゃあ、あたしも立候補していいですか? 蓮様の二人目の愛人に!」
「へえ、美代子さん、枕営業まだ諦めてなかったのね。思ったよりしぶといのね」
「そ、そんなことしたことないですから!? ただの冗談ですよ、冗談! 目が怖いですよ、お二人とも!!」
普通なら和花の説明に呆れるところだが、心愛さんは本当に変わった子だ。
俺のことなど所詮ただのスポンサーで、自分とはあまり関係ない話だと思っているのかもしれない。
やがて、俺たちは駅前の焼肉屋にたどり着いた。
店員に案内されて席に着き、飲み物とサイドメニューを決めた。
ここまでは順調だったが……。
「いや、最初はタン塩が定番ですよね! いきなりタレはおかしいじゃないですか」
「のどさん、焼肉に定番なんてないですよぉ! でも、焼肉といえばやっぱりカルビじゃないですかぁ? だからカルビから始めないと、焼肉を食べに来たって実感が湧かないですよっ」
「美代子さんこそ何も分かってないわね。焼肉は文字通り肉を焼いて食べるんだから、肉が主役でしょう? なのにタレで肉本来の味を隠すなんて、言語道断よ」
「えっ? 焼肉らしい味といえばタレですよ! ご飯がどんどん進むじゃないですか。タレは肉を隠すんじゃなくて、肉をさらに美味しく完成させるものなんですよ!」
「塩でもタレでも、とにかく一旦タンから始めましょうよ、もう」
三人は一歩も引かず、それぞれの主張をぶつけ合っていた。
……本当にこいつら、食べることに関してはガチだな。
ふいに、和花が仕切り始めた。
「じゃあこうしましょう。どうせ蓮の奢りなんだし。ここは、お金を出す蓮に決めてもらいましょうよ」
「名案ね。蓮くん、やっぱり塩よね?」
「蓮様、やっぱり焼肉はカルビですよね?」
「……」
三人の視線が、一斉に俺の顔に集まった。
ものすごいプレッシャーなんですけど……。
「スタートはタンにしよう。それからカルビで」
「蓮くん、タレ派だったの?」
「え〜、蓮様、カルビスタートの魅力を知らないんですか?」
和花は満足げに頷いたが、愛理と心愛さんは不満そうに声を漏らした。
「俺は塩もタレもどっちも美味しく食べるからさ」
「流石ね、蓮くん。二つに一つを選べと言われたら、両方と叫ぶタイプなのね」
「お金持ちは発想が違いますね! あたしも両方と叫べるアイドルになれるよう精進します!」
ただ折衷案を出しただけなのに、なぜここまで言われるのだろう。
そこへ、和花がさらに油を注いだ。
「タンスタートってことは、蓮が心愛さんより私たちを優先してくれたってことよね! つまり、心愛さんは後回しってこと!」
「え〜? 蓮様、ひどい! あたしも蓮様の推しになりたいのに〜 二推しは嫌ですよ〜」
「美代子さん、強いて言うなら二推しじゃなくて三推しでしょ。いや、四推しかしら?」
「なんでどんどん下がるんですか!? 心愛、ガチでメンヘラになっちゃいますよ!?」
このままでは心愛さんが本当に地雷みたいに爆発しそうだったので、俺は急いで注文を済ませた。
◇
すっかり満腹になって店を出た。
焼肉論争で揉めはしたものの、なんだかんだで愛理も心愛さんも満足げだった。
心愛さんがにっこりと笑いかけてくる。
「名残惜しいですけど、あたし、もうレッスンに行かなくちゃいけないので、ここで失礼しますね!」
「はい、今日は楽しかったです。また今度」
「はーい、あたしも楽しかったです!」
冷静に考えてみれば、俺は今まさに人気急上昇中のアイドルと一緒に焼肉をつついていたわけだ。
心愛さんのファンからすれば、喉から手が出るほど羨ましいシチュエーションだっただろう。
「あ、そうだ! これ忘れるところでした!」
心愛さんはふいに財布を取り出し、数枚の札を俺に差し出してきた。
「これは何ですか?」
「借りてたタクシー代です!実はこれを返すのも、今日来た理由のひとつだったんです」
「あ……」
病院からこっそり抜け出したものの、肝心の帰りの交通費がなく、俺が貸していたのだった。
実のところ、俺は返してもらうつもりなどなかったのだが。
こういうところは、本当にしっかりしている。
「じゃあ蓮様、また今度!」
「ええ」
心愛さんはハイヤーに乗り込み、俺たちの前から去っていった。
まるで嵐が過ぎ去ったあとのような気分だった。
さて。俺たちも帰るとするか。
そう息を吐いた時、和花がふいに、俺の手にぎゅっと指を絡ませてきた。
「あ、あのさ。もう邪魔者もいなくなったことだし……」
彼女は顔を火照らせ、もじもじと身をよじる。
途切れ途切れに、言葉を紡いだ。
「は、早く行こう……ラ、ラブホ……」
――なんだか無性に、エロかった。




