第69話 打ち上げ①
「「お、終わった……」」
長かったようで、あっという間でもあった特典会が、ようやく幕を閉じた。
俺と和花、愛理の三人は、パイプ椅子に深く腰掛け、ぐったりと背もたれに体を預けた。
和花が愛理に尋ねた。
「先輩、これって今までやってきたバイトの中でどれくらいのレベルですか?」
「……かなり上位ね。そうね、だいたい引っ越しのバイトくらいかしら」
「それって、キツいことで有名なバイトじゃないですか?」
「そうね。私もこんなに疲れたのは久しぶりだわ」
俺も今日、改めて痛感した。
……体を動かす仕事は、やっぱり俺の性に合わない。
「スポンサー様、ここにいたんですか?」
着替えを終えた心愛さんが、俺たちに飲み物を差し出しながら近づいてきた。
「本当は俺たちが差し入れする立場なのに、すみません」
「いえいえ! こうして手伝っていただいて、本当に大助かりです! ありがとうございました」
心愛さんがぺこりと頭を下げた。
こういう場面では、本当に礼儀正しい人だ。
キツかったけど、手伝った甲斐があった。
「このまま家に帰るんですか?」
俺がそう問いかけた矢先——
「あ、ちょっと待ってください!」
心愛さんはそう言うなりスマホを取り出し、パシャリと自撮りを一枚。
何かと思えば、感謝のメッセージを添えてツイッターに上げるための写真らしい。
「さあ、それじゃあ次のスケジュールに行きましょう!」
「……え?今日はこれで終わりじゃないんですか?」
「お仕事は終わりです!でも、これから練習するんですよ」
「練習ですか?こんな時間にレッスンでも入ってるんですか?」
「いえ、自主練ですよ」
あれだけのファンを相手にして疲れ果てているはずなのに、まだ体力が余っているのだろうか。
舌を巻くしかなかった。
再びハイヤーに乗り込み、心愛さんのマンションの近くにあるレンタルスタジオへ向かった。
「もしかして、今日みたいに仕事が終わった後も、普段から電車に乗って自主練に行かれるんですか?」
「はい、そうですね! だから正直、こうして車で送ってもらえるの、すっごく楽です! スポンサー様最高〜!」
「はは……」
ふと、嫌な考えが脳裏をよぎった。
心愛さんとあまり折り合いが良くないらしい、残りの四人のメンバー。
彼女たちは、心愛さんが普段どの路線を利用し、どの駅で降りるのかを知っているはずだ。
(確かに、あの人気格差はエグかったからな)
心愛さんのレーンだけが長蛇の列を作っていた。
対して、残り四人のレーンは閑古鳥が鳴く有様だった。
見ているこっちまで、いたたまれなくなるほどに。
彼女たちが心愛さんに嫉妬し、逆恨みしたとしても、なんら不思議じゃない。
(……俺の考えすぎならいいんだけど)
心愛さんは慣れた手つきでレンタルスタジオのドアを開けた。
おそらく定期的に借りているのだろう。
防音設備も整った、少し値の張りそうなスタジオだった。
俺と和花、愛理はここではすることもなく、床に腰を下ろして心愛さんの練習を見守ることにした。
「現役アイドルの美代子さんの練習風景、とても楽しみですね。きっと凡人には想像もつかないレベルなんでしょうね?」
「無駄にプレッシャーかけないでください!それに美代子じゃなくて心愛です、秘書さん!!」
準備運動を終えた心愛さんは音楽を流すと、本格的なステップを踏み始めた。
特典会でファンに笑顔を振りまいていた時とは打って変わって、真剣な眼差し。
俺より一つ年下の女の子が、こうもひたむきに汗を流している。
なんだか、純粋に応援したくなってしまう。
「私と別れるつもりなんて捨てちゃって!君の家の前に地雷を埋めちゃう前に♪」
……相変わらず、歌詞には全然慣れないけど。
◇
心愛さんを無事マンションまで送り届けた翌朝。
俺は緊張で強張った指先で、朝のニュース番組にチャンネルを合わせた。
俺だけでなく、愛理と和花も、リビングのテレビを食い入るように見つめていた。
「昨夜21時頃、JR——」
電車の人身事故を知らせるニュースが流れた瞬間、俺の心臓は凍りついた。
まさか……?
一気に、口の中がカラカラに乾いた。
「——消防によると、30代の男性は、その場で死亡が確認されました。この事故の影響で上下線の運転が一時見合わせ——」
不謹慎とは知りながら、俺は胸を撫で下ろした。
亡くなったのは心愛さんではなかったからだ。
けれど俺には、30代の男性を救うことはできなかった。
俺にできるのは結局、自分と身近な人間を、少しでも不幸から遠ざけることくらいだ。
念のため、そのまま朝のニュースを見続けた。
「——今日のラッキーカラーは黄色!」
俺たちは揃って安堵の溜め息をついた。
最後まで心愛さんに関する電車事故のニュースは報じられなかった。
触れられたのは、ゲリラライブでの落雷事故だけだった。
「愛理、念のため事務所側にも連絡して、心愛さんが無事か確認してくれる?」
「分かったわ」
愛理はスマホを手にいったん部屋へ入り、すぐに戻ってきた。
「無事だって。今、みんなでレッスン受けてるみたい」
「そうか」
心愛さんを妬んだ他のメンバーの犯行ではないか、と疑ってもいたが、どうやら違うようだった。
もし彼女を狙った事件なら、心愛さんの代わりに三十代の男性が命を落とすことはなかったはずだ。
(まあ、さすがにそこまでドロドロじゃないか)
嫉妬でいじめるのと、殺そうとするのは次元が違う話だろう。
それに、心愛さんの才能や人気に圧倒されて少し心が折れていたとしても、基本的には自分たちの夢に向かって日々努力している人間のはずだ。
人を突き落とすような真似をすれば、その瞬間にアイドルとしての人生も終わる。
今までの努力を水の泡にするような馬鹿な真似はしないだろう。
「でも、少し落ち込んでるみたい」
「ん?どうして?」
メンバーとの不和のせいか?
だとしたら不思議ではないけど……。
「その亡くなった30代の男性と知り合いだったみたい」
「あ……」
そういう運命の悪戯か。
こういうのは、俺にはどうしようもない。
突然、和花が両手で俺の頬を挟み、ぐっと顔を近づけてきた。
「ほらほら、あんたはよくやったし、心愛さんも無事!これでいいじゃない!」
「そ、そうだな」
「だからそんな顔してないで、美味しいご飯でも食べに行こ!」
彼女の言う通りだ。
ともかく、俺としてはできる限りの最善を尽くした。
これ以上、俺にできることはない。
どうせ今後、心愛さんと関わることもないだろう。
「……ありがとう。そうだな。昨日は結局、打ち上げできなかったし、俺たちだけでもやるか」
「本人不在の打ち上げって、なんかウケる」
「何食べる?寿司?焼肉?」
「お寿司もいいけど、やっぱりスタミナ補充って感じで焼肉がいいかも」
「愛理は?」
「私もどっちかと言えば焼肉かな」
今回も、二人に助けられた部分は大きかった。
特に、いっそ車を買ってでも移動させようという和花の作戦が一番効いた。
もしかすると、俺たちの中で一番発想が柔軟なのは和花なのかもしれない。
「じゃあ今日の夕飯は、外で焼肉ってことで。和花、また夕方にな」
「え?なんで私を追い出すの?」
「ん?いや、お前もお前の用事とかあるだろ?」
和花が頬を膨らませた。
「私、ずっとあんたの隣にいるから!だから杏奈ちゃんも連れてきたんだし!」
……その杏奈ちゃんは、朝早く起きてきたせいで眠くなったらしく、今は部屋で寝ているけど。
和花のこういうところも、俺のことが好きだからだと思うと、返す言葉がなかった。
愛理がくすくす笑いながら言った。
「蓮くん、和花さんにちゃんとご褒美あげなきゃ。アレ、することになってたでしょ?今日がぴったりじゃない?」
「そ、そ、そうよ!ア、ア、アレしてくれないと!今週中には絶対してくれるって約束したじゃない!」
和花の顔がみるみる茹でダコのように真っ赤になった。
アレというのは、ベロチューの約束のことだろう。
恥ずかしいのは恥ずかしいとして、やりたいことはしっかりやりたいらしい。
「それに、今日は私たちに要求する日でもあるわよね?」
「あ、そうだった……」
「全部まとめてしちゃいましょ。夕飯の時間までに」
一応準備はしたつもりだが、やっぱりまだこういう状況には慣れない。
まあ、少なくとも和花がなぜあの無茶な提案を承諾したのかは、今となっては理解できるけど。
……正直、この二人が俺のことを好きで、あろうことか二股すら許容してくれているという事実が、未だに夢のようで信じられなかった。
「分かった。昼飯を食べてからにしよう。あと今日は、外で」
「和花さん、今日は野外プレイだって」
「や、野外プレイ!?し、しかも真っ昼間に……」
和花はごくりと喉を鳴らした。
けれど、まったく反発しなかった。
普通なら嫌がるはずなのに、やっぱり和花も相当な変態なんだろう。
「誤解してるみたいだけど、そういうのじゃないから。ただ、家でするのはちょっとアレだろ。ホテルでも取ろうかと思って」
いくらなんでも、母さんと杏奈ちゃんがいる家でベロチューを決行するのはリスクが高すぎる。
余計に気まずいことになりかねない。
たぶん母さんは気づいても、あえて気づかないふりをしてくれるだろうが……。
すると、和花が目を見開いた。
「ホ、ホテルって、ラ、ラブホ!?」
「よかったわね和花さん、ラブホ行きたがってたじゃない」
「そ、そんなことないですから!?」
「ご飯が美味しいところ、保存してたんでしょ?」
「うっ……」
あ、そういえばそうだったな。
和花がアニメイトを見せるつもりで間違ってラブホの画面を開いてしまったあの一件が、ずいぶん昔のことに感じられる。
和花がスマホを取り出し、画面を俺に差し出した。
「その……どうせ行くならこ、ここはどう?ここから近いしご、ご飯も美味しいらしいよ。お昼もいっそここで済ませちゃうのはどう……?」
本当は普通のホテルを取るつもりだったんだが……。
まあ、和花が「いつか彼氏ができたら行きたい」とチェックしていた場所だ。
別に俺が困るわけでもないし、構わないか。
「分かった。じゃあ11時くらいに出発するか」
「う、うん」
和花がもじもじと身をくねらせながら、小さく呟いた。
「へへ……彼氏と初めてのラブホ……」
彼女の頭の中では、俺はすでに彼氏認定されているらしい。
あんなに嬉しそうにはしゃいでいるのを見ると、「まだ違う」などという野暮なツッコミを入れる気にもなれなかった。
ところが、その時だった。
ピンポーン——
唐突にインターホンが鳴った。
客が来る予定はないし、俺も何かを頼んだ覚えはない。
母さん宛ての宅配便だろうか?
大して気にも留めず、俺は席を立ち、インターホンのモニターを覗き込んだ。
しかし、その画面に映っていた人物を見て、俺は自分の目を疑った。
「ここ、スポンサー様のお家ですよね〜?あなたのアイドルがやって来ましたよ!」
鮮やかな赤髪に地雷系ファッション——心愛さんが、うちの玄関先に立っていた。




