第68話 特典会当日②
俺たちはみんなで心愛さんの家を大掃除することになった。
化粧品のサンプルをはじめ、段ボール箱、紙袋、食べ残し、季節外れの服、片方だけの靴下、各種郵便物……。
とはいえ、大半のゴミはすでに袋にまとめられていた。
外へ運び出すだけで、部屋は見違えるほど綺麗になった。
「おおー、部屋がすっごく広くなりました!」
少し片付いただけで、心愛さんは目を丸くした。
俺たちはすっかりヘトヘトになって、リビングの床にへたり込んでいる。
もっとも、このあと仕事を控えている心愛さんに無理はさせられず、結局、片付けのほとんどは俺たち三人がやる羽目になったのだが。
和花が心愛さんを睨みつけた。
「広くなったんじゃなくて、元々広かった部屋をあんな風に使ってたから狭くなってただけでしょ!!」
「は、はい……。ごめんなさい……」
初対面の現役アイドルを前に緊張していた和花の姿は、もうどこにもない。
代わりに、心愛さんの母親にでもなったかのように、小言を言うのがすっかり板についていた。
杏奈ちゃんを叱る時はこんな感じなのだろうか?
「そ、それより心愛さん……。一つ気になってることがあるんですけど……」
ところが次の瞬間、和花は陰キャモードへと切り替わった。
和花の中には、ギャルモード、主婦モード、陰キャモードが、それぞれ別アプリみたいにインストールされているのかもしれない。
「カラーケアって、普段どうしてるんですか? ゴミの中にカラーシャンプーとか、それっぽいものが一つもなかったので」
「ん? あたし、そういうの使ってませんけど? ていうか、あたし染めてないし」
「「え?」」
俺と愛理もその答えに目を見開き、思わず声を上げた。
この鮮やかな赤髪が、地毛だというのか?
俺の胸中を読んだかのように、心愛さんが口を開いた。
「この髪色のせいでよく誤解されるんですけど、生まれつきなんです! うちのパパ、アイルランド人なんですよ」
「あ、ハーフなんですか?」
「いえ、母方のおじいちゃんも、国籍はよく分からないけど白人だったらしくて。そういう言い方をするなら、正確にはスリークォーターですね」
つまり、日本人の血はたったの25%ということか。
それにしては顔立ちはかなり日本人寄りだ。
嘘をついているようにも見えないし、こんなことで話を盛る必要もない。
ただ、遺伝子の神秘に感心するばかりだった。
(こういうところも、天性のアイドル素質なのかもしれないな)
地雷系ファッションで身を飾らなくても、天然の赤髪というだけで十分に目を引くのだから。
愛理が小さく笑いながら尋ねた。
「それじゃあ美代子さん、そっちの毛も赤いの?」
「そっちの毛? ……ち、違いますから!? そ、そこまで赤くないですよ!!」
「へえ、じゃあ少しは——」
「うわ、うわあああ! 男の人もいるのに、この話題はもうやめてください!!」
「後で一緒にお風呂入ろっか、美代子さん」
「絶対に秘書さんとは入りませんから!! それに美代子じゃないです!!」
この会話は、聞かなかったことにしておいた。
◇
俺たちは再びハイヤーに乗り込み、ほどなくして現場に到着した。
幸い、和花の読み通り、遅刻は免れた。
マネージャーは心愛さんを見るなり、目を丸くした。
「なんか今日、普段よりずっとメイクも髪も自然じゃない?」
「実は、のどさんが手伝ってくれたんですよ! のどさん、すっごく器用なんです!」
「のどさん?」
心愛さんはにっこり笑うと、和花の肩をつかんでマネージャーの前へ押し出した。
和花は案の定、どうしていいか分からず慌てふためいていた。
「あ、えっと、そ、その……。こ、小森和花です」
「あ、深川さんの婚約者だとおっしゃっていた?」
「あ、は、はいっ! そ、そう——。痛っ!」
……今度はついに、舌まで噛んでしまった。
愛理はそんな和花を見て、背後でくすくすと笑っていた。
マネージャーは俺と愛理、そして和花を順に見やると、なぜか、わざとらしく咳払いなんかしてみせた。
まさか、妙な誤解でもされているんじゃないだろうな。
「深川さんたちはこちらへどうぞ」
「あ、俺たちも何か手伝えることがあれば手伝いますよ」
「え? でも、スポンサー様なのに……」
「ただじっと座っているだけなのは性に合わなくて」
心愛さんが誇らしげに胸を張った。
「そうなんですよ! スポンサー様たち、すっごく人がいいんです! あたしの家の掃除も、ほとんど全部やってくれたんですから!」
「美代子!! 深川さんたちに一体何をやらせたの!?」
「あ、いや、あたしがやらせたんじゃないのに!」
「後で覚えてなさいよ!!」
「ひーん……」
こういうところを見ると、本当に中学生なんだなと思う。
マネージャーが再び俺たちの方を見て、おずおずと口を開いた。
「それなら、ぜひお手伝いいただけると本当に助かります。ご覧のとおり、こちらもかなり人手が足りていなくて……」
「ええ、もちろん。どれだけお役に立てるか分かりませんが、できる限りお手伝いします」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
その後、俺たちは案の定、簡単な雑用を言い渡された。
……もっとも、思ったより運ぶ荷物は多く、しかも重い。
決して楽な仕事ではなかった。
ふと、愛理が声を落として言った。
「なんだか、蓮くんと出会う前みたいね。まだそんなに経ってないのに、すごく昔のことのように感じるわ」
「そうか?」
「あ、もちろん今の仕事のほうがずっといいわ。蓮くんと一緒にいるのが好きだから」
彼女は思いがけないタイミングで、真顔のままさらりと直球を投げてくる。
だからこそ、聞かされているこっちが恥ずかしくなる。
「蓮くん、これはこうやったほうが楽よ」
「あ、そう? 確かにそうだね。サンキュー」
やっぱりバイト経験が豊富なだけあって、愛理は仕事のコツをすぐに掴んでしまう。
もしかすると、仕事のセンスは俺より上かもしれない。
こういう現場に立てば、俺なんて所詮は高校生に過ぎない。
スタッフの一人が俺に箱を一つ渡してきた。
「これ、控室のほうまでお願いします」
「あ、はい」
何気なく受け取ったが、ふと気づく。
控室といえば、心愛さんたち地雷ちゃんシンドロームのメンバーが待機している場所ではないか。
……まさか、変な状況に出くわしたりしないよな。
まあ、漫画やアニメじゃあるまいし、そんな可能性が少しでもあるなら、スタッフが俺に頼んだりはしないだろうが。
それでも念のため、控室のドアを丁寧にノックしてから中に入った。
「これ、ここに置いてくるように言われたんですけど、どこに置けばいいですか?」
中には、この前のゲリラライブで見かけたアイドルたちが集まっていた。
心愛さんは席を外しているのか、残る四人だけが控室にいた。
誰一人口を開かず、ただ黙々とスマホを見つめている。
やけに静かで、重苦しい。気のせいか。それとも、元々こういう雰囲気なのか。
黒髪ボブの女の子が答えた。
「適当にそっちに置いといてください」
「……」
俺には目もくれず、野良犬でも追い払うかのように、あからさまに面倒くさそうに手でしっしっと払った。
初めて会った時の心愛さんとも、どこか違っていた。
心愛さんは、やる気があったからこそ、俺の無理な要求に腹を立てていたのだ。
だが、この四人からは——やる気そのものが、感じられなかった。
「あ、スポンサー様、ここで何してるんですか? まさか、あたしたちの着替えを覗きに?」
その時、背後から心愛さんの声が聞こえた。
「そんなわけないでしょ。これを置きに来ただけです」
「本当に、心愛たちのために手伝ってくれてるんですか?」
「もちろんです」
「うわぁ、嬉しい! スポンサー様、最高!」
箱を抱えた俺の手の甲に、心愛さんがそっと手を重ねてきた。
……なんだか心愛さんは、和花や愛理の目がないと、こういう風にボディタッチしてくる気がする。
本当に何を考えているのやら。
「あ、そうだ! スポンサー様、ちゃんと紹介しますね」
「え? いや、わざわざそんなことしなくても……」
「ダメです! あたしたちの大切なスポンサー様なんですから!」
俺が箱を置くなり、心愛さんは俺の手を引き、控室の真ん中へと連れていった。
そして、四人に向かって元気よく声を張った。
「みんな! こちらが、この前のビーチライブからスポンサーになってくださっている、深川蓮様だよ!」
しかし、四人の反応は素っ気なかった。
いや、それを通り越して無関心そのものだった。
誰一人、心愛さんに返事をしようとしない。
「もう、みんな! スポンサー様がこうして直接来てくれたんだよ? 挨拶くらいしようよ!」
見かねた心愛さんが四人に近づき、無理やり立ち上がらせた。
さっきの黒髪ボブが、明らかに面倒くさそうにため息をついた。
「どうも」
「あ、はい、どうも」
「ちゃんとアイドルらしく可愛く挨拶しなきゃ、何それ!」
その言葉に、黒髪ボブが心愛さんを睨みつけた。
「あんたのスポンサー様でしょ? 私たちのスポンサー様じゃなくて」
「え? ち、違うよ! あたしだけじゃなくて、地雷ちゃんシンドロームを支援してくださってるんだよ?」
「そう? じゃあ、今日心愛ちゃんが乗ってきたあの車は何? 心愛ちゃんしか乗れないやつでしょ?」
「い、いや、それは……」
しまった、俺が心愛さんだけを特別扱いしていると思われているのか。
俺は小さく咳払いをして、気まずい空気の中に割って入った。
「一か月間の専属ハイヤーについては、心愛さんだけでなく、ご希望であれば他の皆さんにも提供するつもりです」
「へえ、そうなんですか。そりゃどうも」
黒髪ボブが鼻で笑った。
「心愛ちゃんはいいね。ファンも事務所もスポンサーも、みんな心愛ちゃんを優先してくれるんだもん。まあ、それもそうか。歌もダンスも一番上手いし、私たちの中で一番可愛いし」
「み、みんなも上手いじゃん? 可愛いし!」
「私たちもよく分かってるよ。私たちが何一つ、心愛ちゃんには勝てないってこと」
他の三人も、ただ黙って立ち尽くしているだけだった。
誰も黒髪ボブの言葉に反論しなかった。
「今日も心愛ちゃんを引き立たせるための装置として頑張るから、よろしくね?」
どうして俺は、こんな気まずい空間に居合わせてしまったのだろう。
ふと、愛理の言葉が脳裏をよぎる。
アイドル特有のキラキラした雰囲気があまり好きじゃない、と言っていたことを。
……一体ここのどこにキラキラ感があるというのか、愛理を小一時間問い詰めたくなった。




