第66話 年下
その日のうちに、和花の提案どおり愛理を通じて、心愛さんの事務所へ連絡を入れた。
そして翌日、詳しい打ち合わせのためマネージャーと会うことになった。
「……どうしてまた、心愛さんがここに?」
俺と愛理の向かいには、マネージャーだけでなく心愛さんも同席していた。
前回は本人が反対していたから、直接説得する必要があった。
だが今回は、心愛さんがわざわざ同席する理由はないはずだ。
「もー、スポンサー様ったら。あたしたちの仲でそんな水臭いこと言わないでくださいよぉ」
「病院から抜け出して、俺に指を噛まれた仲ではありますけどね」
「まだスポンサー様の歯形、残ってますよ〜」
「……美代子、あの時のこと思い出すとまだ腹立つから黙ってなさい!」
「はい……」
やっぱり、事前に伝えておいたというのは嘘だったか。
なんとなく、心愛さんは自由人だなと思った。
ただ、その気質がアイドルに向いているのかどうか、俺には判断がつかなかった。
「あら、すみません深川さん。私、美代子のことになると少し口が悪くなってしまって……」
「あ、はい、大丈夫です。お察しします」
よく言えば自由人だが、おそらく相当なトラブルメーカーでもあるのだろう。
「それでそれで、スポンサー様があたしに車を買ってくれるって本当ですか!?」
心愛さんは目を輝かせ、こちらがたじろぐほど身を乗り出してきた。
マネージャーはそんな心愛さんの肩を押さえ、椅子へと座り直させた。
「……一応お聞きしたいんですが、もしかして心愛さんは車の運転できるんですか?」
「え? できるわけないじゃないですか! あたし、まだ中学生だから免許取れませんよ!」
「……え? 中学生?」
「え? 知らなかったんですか?」
心愛さんをどう助けるかばかりに気を取られて、肝心の本人についてはろくに調べていなかった。
いや、というか、どう見ても女子大生にしか見えないんだけど。
「……もしかして、アイドルの仕事に専念しすぎて何年かダブってるとか?」
「違いますよ!! あたし、正真正銘の中3です! 来年にはあたしもJKになるんですから!」
なるほど。だから、妙に大人げない言動があったのか。
中学生が地雷系コンセプトで活動している時点で、このアイドル業界のレッドオーシャンぶりがうかがえた。
俺は努めて冷静さを装い、話を続けた。
「そうなんですね。こちらのリサーチ不足でした」
「いえ、本来ならこちらから提供すべき情報なのですが、最近少しバタバタしておりまして……」
「一つ気になっているんですが、心愛さんは普段どうやって移動されているんですか?」
「あ、それは……」
マネージャーは、少し言いにくそうに視線を泳がせた。
「ご覧の通り、うちはそれほど大きな事務所ではありませんので、近場の現場やレッスンは、基本的に現地集合にしているんです」
「つまり、各自で電車なりバスなりを使って向かう、と」
「……そうですね。もちろん、前回のゲリラライブのように遠方の現場であれば、スタッフの自家用車を出したり、新幹線や飛行機で向かった先でレンタカーを借りたりはしますが」
つまり、明後日に心愛さんが電車で移動すること自体は、事務所の運用として不自然ではない。
「もしかして、明後日心愛さんに何か重要なスケジュールでもありますか?」
「あ、はい。特典会があります。二ヶ月前から準備してきた、重要なイベントです。美代子にもくれぐれも遅刻しないように念を押しています」
それほど重要なら、なぜ車で迎えに行かず、電車で行かせるんだろう……。
アイドル業界とは、元々そういうものなのか。それとも、この事務所だけの事情なのか。
「それなら、明後日から移動手段をこちらで手配した方がよさそうですね」
「それはそうですが……。新車がそんなに早く納車されるんですか?」
「いえ、とりあえずは専属ハイヤーを手配するつもりです。もし事務所側で心愛さんの専属マネージャーか運転手を雇うご予定があれば、新車を提供しますが」
とはいえスポンサーである以上、明後日の一日だけ支援して終わり、というのは不自然だ。
俺としては、新車を一台ぽんと渡してしまう方が手っ取り早いのだが……。
「専属マネージャー!? ほとんどトップアイドル扱いじゃないですか!!」
心愛さんが、ぱあっと目を輝かせた。
俺にはピンと来ないが、どうやらそうそうある話ではないらしい。
そのせいか、マネージャーも少し戸惑っている様子だった。
「あ、あの、誠に申し訳ありませんが、新しく人員を雇うのは現段階で確約いたしかねまして……」
「あ、はい、そうですよね。それなら、ひとまず一ヶ月間、専属ハイヤーを提供するということでいかがですか?」
「はい、私から社長に掛け合ってみます。いつもうちの美代子を気にかけていただき、ありがとうございます」
「あたし、美代子じゃなくて心愛だってば!」
事務所側に新しくスタッフを雇うつもりがないのなら、こちらが新車だけ用意しても意味がない。
ともかく、専属ハイヤーさえあれば、明後日の電車事故は十分回避できる。
だからといって、ずっと人件費まで俺が負担し続けるのは気が進まない。
「心愛さん。少し妙なことを言っているように聞こえるかもしれませんが……」
俺はできる限り真剣な表情を作り、言葉を続けた。
「明後日だけは、絶対に電車を利用しないでください」
俺がいくら専属ハイヤーを手配しようと、本人が病院を抜け出した時のように突拍子もない行動に出れば元も子もない。
時間帯からして、事故はおそらく、特典会を終えて帰宅する途中で起きるのだろう。
だから、万が一にも寄り道をされたらと思うと、不安が残った。
もしかすると、因果律がそういう形で帳尻を合わせにくるかもしれない。
「なんだかさっきからすごく明後日を強調してるみたいですけど、気のせいですか〜?」
「まあ、それだけ心愛さんの安全が心配なんです。特典会のように不特定多数の人と接触するイベントでは、何が起きるか分かりませんから」
「本当にそうですか〜? なんだか怪しいんですけど〜?」
人の気も知らず、心愛さんは口元を手で隠してクスクスと笑った。
……こういうところは、紛れもなく中学生らしい。
「それならですね、スポンサー様。あたしにいい考えがあるんですけど」
「いい考えですか?」
「はい! 特典会の時にあたしのことがすっごく心配なんですよね? だから――」
心愛さんは弾かれたように立ち上がると、一目散に俺の隣へ駆け寄ってきた。
「明後日、あたしと一緒に現場回りしましょ!」
◇
「はぁ?? 明後日、そのアイドルと一日中一緒にいることにしたって??」
家に帰り、和花に事の顛末を話した。
案の定、返ってきたのは小言だった。
「あんた、まさかアイドルまで口説きたくて……」
「そんなわけないだろ。お前は俺を一体なんだと思ってるんだ。しかも中学生だぞ」
「来年には高校生なんでしょ。じゃあ蓮の守備範囲じゃない?」
「……」
どうやら和花は、俺をとんでもない女たらしだと思っているようだ。
そもそも俺は、そこまでモテる人間じゃない。
今の状況がたまたま特殊なだけだ。
「まあ、たぶん大したことないよ。ただの雑用をちょっと手伝うくらいだろ」
「スポンサーが雑用手伝うのもちょっとおかしいと思うんだけど……」
「行って何もしないよりは、何かする方がマシだろ」
正直、俺はアイドル業界にそこまで詳しくない。
できることなんて、ほとんどないはずだ。
せいぜい荷物を運んだり、心愛さんに「お疲れ様でした」と水を渡したりする程度じゃないか。
「ふーん……。じゃあ私もついて行っていい?」
「ん? 和花も?」
「何、ダメなの?」
「ダメっていうか……」
あ、そうか。
俺と心愛さんが一緒にいるのが不安なんだな。
愛理もいるとはいえ、家で待つばかりでは気が気じゃないのだろう。
「分かった。とりあえず事務所側には話してみるよ。でも和花の設定はどうしようか」
「設定?」
「俺は一応社長で、愛理は秘書っていう設定だろ。和花にも何か肩書きがあった方が自然かと思って」
「そ、それなら……」
指先をもじもじと絡ませながら、小声で言葉を続けた。
「お、奥さん、とか……? えへ、えへへ……。なんちゃって」
態度は陰キャ全開なのに、こんなふうに不意打ちで可愛いことを言われると、俺までつられて頬が熱くなってしまう。
俺も恋愛経験が豊富というわけではないので、正直どう返せばいいのか分からない。
だから俺は、ただ小さく笑って、和花の頭をそっと撫でた。
横で聞いていた愛理が口を挟んだ。
「いいんじゃない? 蓮くんくらいの年齢なら、奥さんより婚約者の方が自然かもしれないわね」
「い、いいんですか? 先輩もそういう役、やりたいんじゃないですか?」
「私は平気。正直、婚約者より愛人秘書の方に惹かれるし」
「え? そ、そうなんですか?」
和花は愛理の言葉がよく理解できないようだった。
……正直なところ、俺も同じだった。
「とにかく明後日、他のことはともかく、心愛さんが電車に乗ることだけはなんとしても阻止しなきゃいけない」
「じゃあ、いっそ特典会の後に私たちだけで打ち上げでもして、時間を引き延ばすのもアリじゃない?」
「それもアリだな。ともかく、俺たちの目の届くところにいてもらうのが一番安全だからな」
和花がコクリと頷いた。
「明後日が過ぎれば、もう心愛さんと関わることはないわよね?」
「そうだな。正直、またこうして関わることになったこと自体、尋常じゃないしな」
そもそも、一人の人間に死の危機が二度も、それも一ヶ月も経たないうちに訪れること自体、普通ではない。
だがこの時の俺たちは、まだ知らなかった。
まさかこの先も、心愛さんと長く関わり続けることになるとは。




