第65話 素直になったツンデレ
家族へのお土産を買ったあと、ふたたび二時間ほど列車に揺られて、家へ戻った。
途中でいろいろあったけど、それでも満足のいく旅行だった。
そう締めくくろうとしていたのに。
「嫌ぁっ!! 杏奈ちゃん、行かないでぇ!!」
「「……」」
俺たちが旅行に行っている間、杏奈ちゃんはうちで預かっていた。
そろそろ、和花のところへ帰さなきゃならない時間だ。
だが母さんは杏奈ちゃんを手放す気など全然ないらしく、抱きしめたまま子供のように駄々をこねていた。
「お姉ちゃん、助けて……! この人、私を着せ替え人形みたいに何度も……!!」
「この人だなんて、水臭いわね杏奈ちゃん! それに、ご両親に杏奈ちゃんの可愛い写真を送ったら、すごく喜んでくれたわよ!」
母さん、いつの間に小森夫妻と連絡先まで交換してたんだ。
つくづく、うちの母さんは社交的というか、誰とでもすぐに打ち解けるというか。
ふと、一つ気にかかっていたことを思い出した。
「和花、そういえばお前の家って外泊とか厳しいんじゃなかったっけ?」
確か前に、父親が過保護だから簡単には許してくれない、と言っていた気がする。
だから、交通事故を避けるためとはいえ、二日間ホテルに泊まることすら難しいって言っていたはずだ。
「あ、そ、それは……」
和花が慌てたように頬をかきながら視線を逸らした。
「そんなの決まってるじゃない、蓮くん」
愛理が和花の代わりに答えた。
「私をダシに使ったのよ。女友達と旅行に行くってことにして。この家も蓮くんの家じゃなくて、その友達が住んでる家ってことにして誤魔化したの」
「……」
なるほど、別に嘘はついてないってわけか。
だが、それなら小森夫妻と母さんが顔を合わせた時、なぜ話が食い違わなかったのか。
夫妻が俺の存在を薄々察して黙っていたのか。
それとも母さんが空気を読んで、身寄りのない愛理の保護者として上手く立ち回ったのか。
「だ、だって!」
和花が顔を真っ赤にして、指先をもじもじと絡めた。
「す、好きな人と海に行きたかっただけだもん。か、勘違いしないでよね! 好きな人っていうのは、あんたのことなんだから!!」
「あ、う、うん……」
和花のツンデレ口調から、少しずつ棘が抜けている。
告白したことで、何かが変わり始めたのだろうか。
だが、この場にいるのは俺と愛理だけじゃない。
母さんも、杏奈ちゃんもいる。
案の定、杏奈ちゃんが反応した。
「えっ、お姉ちゃん。ついにおじさんに告白したの?」
「え!? ち、違うわよ! 違わなくはないけど、違うの!! うっ……。そ、そうよ! 告白したわよ!! 何か悪い!?」
「ううん、正直あと一年はかかると思ってたから。本当に勇気出したんだね、お姉ちゃん」
「そうよ、本当に! 褒めてほしいくらいなんだから!」
「よくやったね、お姉ちゃん。褒めてあげる」
杏奈ちゃんが背伸びをして、和花の頭に手を伸ばした。
どういうわけか、和花は頭を下げて杏奈ちゃんに撫でられていた。
……普通、逆じゃないか?
妹に褒められる姉って一体。
不思議な光景を眺めていると、いつの間にか母さんが隣へ忍び寄り、そっと耳打ちしてきた。
「菅原さんに続いて和花ちゃんにまで告白されて、これから本当にどうするつもりなの! このままじゃ本当に刺されちゃうわよ!」
「……母さん、なんで愛理だけ菅原さんなんだよ」
それに愛理は父親の件で、今では自分の苗字を嫌っているようなのに。
「そ、そりゃあ、あんな美人がいたら私だって緊張するわよ! あの子がいると急に周りの空気まで全部変わっちゃうみたいなんだから!」
「……」
母さんの知らない一面を見たような気がした。
それとも普通はこんな感じで、俺が愛理に気安く接しすぎているだけなのか。
「と、とにかく! あんた、そろそろ結月ちゃんとのこともちゃんと整理して、一人に絞らないと命がもたないかもしれないわよ!」
「その心配はなさらなくても大丈夫ですよ、お母さん」
不意に、愛理が会話に割り込んできた。
そして、これ見よがしに俺の左腕に抱きついた。
「ほら、和花さんも」
「え? きゅ、急に?」
「ちゃんとお母さんに言っておかなきゃ。蓮くんのことで心配かけちゃダメでしょ」
「そ、それはそうかも」
続いて和花も俺の右腕に抱きついた。
「わ、私たち、蓮を巡って争わないことにしたんです!」
「……え?」
「私たち二人とも蓮くんの女なんです、お母さん。むしろ私たちの方から蓮くんにお願いしたんです。片方だけを選ばないでって」
「ええっ……?」
母さんは到底信じられないと言わんばかりに、ぽかんと口を開けた。
当事者の俺ですら戸惑うのだから、母さんの立場ならなおさらだろう。
それに、俺はまだその提案を受け入れると言った覚えはないのに、なんだかすでに決定事項のように話しているし。
「あ、な、なるほど、そういうことなのね!」
母さんはポンと手を打つと、ぱっと顔を上げた。
「ポリアモリーってやつね! 最近の若い子たちの恋愛の形も、すごく多様化してるって言うしね〜」
ちょっと違うと思うんだけど。
◇
「お姉ちゃん、男のために私を売るなんて……! この恨み、絶対に忘れないから……!!」
「さあ、杏奈ちゃん。次はこの服を着てみよっか?」
「嫌ぁぁぁぁっ――!!」
母さんに連れられて部屋へ消えていく杏奈ちゃんを見送り、俺たちは二階へ上がった。
どうやら和花はまだ俺と離れたくないようだった。
それに俺としても、『悪夢』の件について和花とじっくり話しておきたかった。
「それにしても、うちの母さんのことごめんな。あの人、可愛い女の子には目がないんだよ」
「ううん、お母さんに杏奈の面倒を見てもらってるんだし、むしろありがたいよ。よっぽど娘が欲しかったんだね」
「まあ、そうだな」
……それにしても、和花もあまりにも自然に、うちの母さんを『お母さん』って呼んでる気がするけど。
「たまに思うんだよな。いっそ俺が娘として生まれてた方が母さんにとっては良かったのかなって」
「そ、それはダメ!」
「え?」
「蓮が女の子だったら、つ、付き合うことはできても蓮の子供は産めないじゃない。私、ちゃんと好きな人の子供を産みたいんだから、絶対にダメ!」
こんな恥ずかしいセリフを、今日に限っていとも平然と……。
それにしても、和花は意外と子供好きなのかもしれない。
ギャルっぽい外見からは、なかなか想像しづらい一面だった。
くすくすと、愛理が笑った。
「こうして見ると、和花さんも私より大胆よね。キスまで先を越されちゃったし」
「あ、いやそれは!」
「ねえ蓮くん、蓮くんは私と和花さんが順番に妊娠するのがいい? それとも同時に妊娠するのがいい?」
「そんなの一度も考えたことないから分からないけど……」
普通、家族計画を立てる時にそんな選択肢は出てこないだろう。
「そんなことより、心愛さんの件をどうするか知恵を出し合おう」
「そ、そんなことよりだなんて! 妊娠も大事なことなのに!」
「そうよ、蓮くん。女の子にとっては人生が左右されることなんだからね?」
「……いや、心愛さんの件は、今まさに目の前に迫ってる問題だろ」
それに、仮に付き合っている仲だとしても、まだそういう話をするには少し早いと思うし。
まさか本当に、この二人は学生結婚でも考えているんじゃあるまいな。
座卓を引き寄せ、その上にノートを広げた。
そして床に座り、とりあえず『悪夢』を思い出すままに書き留めようとしたのだが――
「よっと」
和花が俺の両脚の間に割り込むようにして座った。
華奢な背中が、俺の胸元にぴたりとくっついた。
小柄な彼女は俺の腕の中にすっぽり収まり、ノートを書く邪魔にはならなかった。
「……なんでここ?」
「な、何よ、重い? 重いって言ったらぶっ殺すからね!」
少し理不尽だ。
「重くはないけど、窮屈じゃないか? 暑そうだし」
「わ、私は別に? エアコンも点いてるし」
「和花さん、こういう時も素直に言わないと蓮くんが納得しないわよ」
「うっ……」
和花が耳まで真っ赤にしながら小さな声で言った。
「こ、このまま私を抱きしめたり、撫でたりしてほ、ほしいの。ぬ、ぬいぐるみみたいに……」
「和花さん、それだけじゃないんじゃない?」
「うっ……。も、もう! 蓮の意地悪!!」
いや、俺は何も言ってないんだけど?
「れ、蓮の頭の中が心愛さんのことでいっぱいなの、嫌。心愛さんを助けなきゃいけないのは分かってるけど、でも……ちょっと嫌だもん……」
和花の言葉に、俺は思わずドキッとした。
なんだ、この可愛い生き物は。
実はどこかに猫耳とか尻尾が生えてるんじゃないか?
少し悪戯心が湧いて、ブラウス越しに和花の肩へ手を置いた。
「本当にどこでも撫でていいのか?」
「え? う、うん……」
「胸も?」
「か、構わないわよ……。さ、さっきブラは外してきたから、その……」
「……ノーブラ?」
「そ、そうよ! あんた、前に私の家に来た時、ノ、ノーブラが好きだって言ってたじゃない!」
好きだなんて言った覚えはないんだけど。
というか、マジか。
すでにマイクロビキニまで見せている以上、ノーブラくらいは平気ってことか。
それとも本当に、嫉妬のあまりここまで大胆になっているのか?
「蓮くん、和花さん、あまり二人だけの世界に入らないで。私もいるんだから」
そう言いながら、愛理が俺の背後に回り込んできた。
そして、そのまま背後から俺の背中にぴたりと身を寄せる。
「……お前ら、俺を挟むの好きすぎじゃないか」
「ふふ、だって私も和花さんも蓮くんと密着したいから。蓮くんも本当は嬉しいんじゃない? 和花さんも素直に言ったんだから、蓮くんも素直に言ってみて」
「……素直に、すごく嬉しいです」
「も、もう! 蓮は変態なんだから! で、でもそんなあんたを好きになっちゃったから、私も変態なのかも……」
「かも、じゃなくて和花さんは確実に変態よ」
「えっ!?」
和花が愛理の言葉にショックを受け、呆然としている隙に、俺はノートへ書き込んだ。
ニュースで詳しく報道されていたおかげで、日付はもちろん、場所や時間帯まで正確に把握できている。
「うーん……。結局、心愛さんを救うには、今回も俺がスポンサーとして関わるのが最善だろうな」
「そうね。少なくともその日だけは電車に乗らないでって頼まなきゃいけないから」
「また説得か……。スケジュール次第では、また俺が何か補償しなきゃいけないかもしれないな」
また心愛さんと会って話すことを考えると、今から気が滅入る。
そのとき、和花が思いがけないことを口にした。
「ねえ、蓮。どうせお金を使わなきゃいけない状況なんでしょ?」
「たぶんな」
「だったら、別にわざわざ説得する必要なくない?」
「ん? なんで?」
「だって――」
和花が俺を見上げ、視線を合わせたまま言葉を継いだ。
「車を一台、買ってあげればいいじゃない」




