第64話 連続悪夢
「つまり、心愛さんが駅のホームで誰かに突き飛ばされて、電車に轢かれて死ぬってこと?」
旅館での最終日の朝。
俺は目を覚ますなり、『悪夢』について和花と愛理に説明した。
「直接その事故現場を見たわけじゃない。ニュースで知ることになるんだ」
おそらく、心愛さんと顔見知りになったせいだ。
知っている人が事故で命を落とす――その現実が、鮮明に胸へ突き刺さった。
しかも、それが一度は俺が救った相手だ。
心愛さんと何の関係もなかったら、たぶん『悪夢』を見ることもなかったはずだ。
和花が恐る恐る尋ねてきた。
「もしかして、誰かがわざと突き飛ばしたの?」
「そこまでは分からない。ニュースでは、警察が故意と過失の両方を視野に入れて捜査するって言ってたから」
願わくば、ただの事故であってほしかった。
もし誰かが意図して心愛さんを狙っているのなら、話は別だ。
何度防いだところで、犯人が捕まらない限り終わりはない。
「蓮くん、ニュースってことは、いつ起きるかは分かってるのよね?」
「ああ。ニュースで昨夜って言ってたから……」
朝のニュースだったから、画面の隅に時刻と日付が表示されていた。
俺はその記憶を辿りながら、カレンダーアプリを開いた。
「3日後だな」
「3日後!? もうすぐじゃない!」
「……だな」
ゲリラライブの時もそうだったが、心愛さんに限って、どうしてこうも猶予がないのか。
いや、そもそも同じ人が別の出来事で連続して『悪夢』の対象になること自体、俺にとっても初めてのことだ。
愛理が真剣な表情で尋ねてきた。
「蓮くん、やっぱり今回も心愛さんを助けるつもりでしょ?」
「まあ……そうだな」
せっかく落雷から救ったのに、今度は電車事故で死ぬなんて。
そんなやりきれない話があってたまるか。
「ちょ、ちょっと待って!」
和花が真っ青な顔で俺のシャツを引っ張った。
「あんた、まさか代わりに突き飛ばされるとか、そんなこと考えてないわよね!? 私の時みたいに!!」
「いや、それは本当に最後の手段だ」
「最後の手段ってことは、考えてるってことじゃない!! 絶対にダメ!!」
「ホームから落とされても、すぐに体勢を立て直してホーム下の退避スペースに滑り込めば……危険なのは確かだけど、最後の手段としては——」
「ダメ——!!」
和花が大声で叫びながら、首を横に振った。
「私は、あんたが万が一にも死ぬかもしれないなんて、そんなの嫌!! ずっと後悔してるのよ!! あの時、私があんたの警告を聞き流さなかったら、あんたが車に轢かれることもなかったのにって!!」
「和花……」
「自分勝手だって言われてもいい!! よく知りもしないあのアイドルより、あんたの命のほうが大事なの!! あのアイドルがどうなろうと、あんたには生きていてほしいのよ!!」
いつの間にか、和花の瞳に涙が滲んでいた。
俺が無茶をしかねないと、本気で怯えているのだろう。
愛理が俺の肩に手を置いた。
「蓮くん、私も和花さんと同じ意見よ。だから先に釘を刺しておくわ。仮に蓮くんが身を挺して心愛さんを守り抜いても、絶対に命はないわよ」
「……なんで?」
「私がその女を殺すから」
肩に食い込む指先の力で、それが決して脅しではないと分かった。
「いや、愛理、それは完全な八つ当たりだろ」
「そうかもしれないわね。でも私は、そんな分別すらなくなる馬鹿なの。だったら、そんなことが起きないようにするべきじゃない? 蓮くんは私より頭がいいんだから、ちゃんと考えてくれるって信じてるわ」
「……」
脅迫も同然の言葉だ。
それでも、俺を心配してくれているからこそだとは分かっている。
俺だって自分の命が惜しくないわけじゃない。
ヒーローごっこをしたいわけでもないのだから。
「分かった。絶対に身を投げ出すような真似だけはしない。その代わり、今回も少し手伝ってくれ」
和花が小指を俺の方へ差し出した。
「……本当ね?」
「本当、本当」
小さく笑いながら指切りを交わすと、和花はようやく安心したように静かに涙を拭った。
◇◇
写真部の1泊2日の夏合宿を終え、結月は家に帰ってきた。
帰るなり、旅館に仕掛けておいた小型カメラのメモリーカードをノートパソコンに取り込んだ。
日が出ているあいだは、撮影でほとんど外に出ずっぱりだった。
だから、何かが起きるとしたら夜だと結月は思っていた。
だが、映像を見た瞬間、その予想は裏切られた。
事は、すでに昼のうちに起きていた。
「こ、こんなの、初めてなのに……」
「彼氏に黙って俺についてきた時点で、覚悟はしてたんだろ?」
「だ、だって、たっくんは私のことが大事だって言って、な、何もしてくれないんだもん……!!」
結月は言葉を失った。
もし蓮の予知能力がなかったら、あの部屋で長澤に押さえ込まれていたのは自分だった——その事実が、今更ながら全身に重くのしかかった。
(だから急にこの二人がいなくなったんだ……!)
最初の撮影場所へ向かう途中、1年の部員が「フィルターを置いてきたみたいで」と言い残して、旅館へ駆け戻った。
長澤は、女の子が一人で見知らぬ場所を歩くのは危ないと言って、その1年の部員についていった。
結月が映像を見返すと、旅館に荷物を置いて出る直前、長澤がその1年の部員の鞄からフィルターをこっそり抜き取っていたのが分かった。
その後、どうしてこんなに遅くなったのかと部長に咎められても、長澤は平然と嘘をついた。
「この子が案の定道に迷ってたんだよ〜。だから探すのに時間がかかったんだ。な?」
「あ、は、はい……」
今にして思えば、返事をする1年の部員の顔は妙に紅潮していた。
単に暑いからだろうとばかり思っていた。
自分がどれほど鈍感だったのか、結月はまざまざと思い知らされた。
衝撃的な場面は、これだけではなかった。
「さっき、あの一年の子と何かあったでしょ?」
のぼせやすいからと先に風呂を上がったはずの部長が、長澤のすぐ傍に身を寄せていた。
長澤は例のライカの再生画面を得意げに部長へ突きつけた。
「いやぁ、いいもん撮れたぜ。これが俺の撮影会だからな」
「ほんと、最低……」
「そういうお前も、今こうして彼氏を振って俺のところに来た癖に」
「っ……」
部長は何も言い返さず、長澤に言われるまま身を寄せた。
そんな部長をライカで撮られても、肩を震わせるだけだった。
「あーあ、本当はあのデカパイを狙ってたんだけどな」
「……結月のこと?」
不意に自分の名が出た瞬間、結月の体は強張った。
「あいつ、顔も声もスタイルも、全部ど真ん中なんだよ。あのデカパイ、絶対に孕ませたかったのにな〜」
「あんたがいつ相手の事情なんて気にしたのよ……」
「普段は面倒が起きないようにしてるさ。でも、あのデカパイだけは別だ。わざと妊娠させて、飽きたら彼氏に返してやろうと思ってた」
「ほんと、最低……」
おえっ——!
結月は震える手で口を覆った。
胃の奥からこみ上げるものを、必死に押さえつけた。
(私、どうしてこんな最悪な人間を、少しでも良い人だなんて思っちゃったんだろう)
蓮のお願いも、警告も、何ひとつ間違っていなかった。
彼の言葉を聞き流していた過去の自分を殴ってやりたかった。
「どうして結月は狙わなくなったの? 深川くんだったっけ、結月の彼氏? あいつが急に結月を振ったから?」
「まあ、そうだな。それにあの野郎、なんかヤバい匂いがするんだよ。あいつは機嫌を損ねたら、マジで刃物くらい平気で持ち出してきそうなタイプだからな」
「あんたみたいな奴でも刃物は怖いの?」
「そりゃ、凶器持ってこられたら、俺がいくらタフでも意味ねぇからな」
「ふーん……もしその深川くんが何もしてこなかったら?」
「そりゃ、そのまま計画通りにしてたさ。お前もそうだし、あの1年もそうだけど、彼氏との付き合いが長い奴らが一番食いやすいんだよ」
「……そう?」
「記憶ってのは徐々に薄れていくモンなんだよ。どうして今の彼氏を好きになったのかさえもな。でも、そこで全然違うタイプの男に一瞬でもドキッとさせられたら? 特に今の彼氏が草食系であるほど、無意識のうちに比較しちまうんだよ。そうなったらゲームオーバーさ」
ふと、あゆみの言葉が脳裏をよぎる。
――蓮がまた、あんたを守ってくれたんだよ。
その本当の意味を、結月は今ようやく思い知った。
(蓮、本当にごめんなさい……)
あゆみに送る映像を選びながら、結月は思った。
自分にはもう、蓮の彼女になる資格なんてないのだと。
振られて当然だったのだと。
後悔の涙が、止めどなく溢れた。




