第62話 キーホルダー
(何だ!? いきなり誘拐犯か!?)
俺は全身の力を振り絞って抵抗した。
俺が誘拐されれば、和花と愛理まで危険な目に遭う。
俺のせいで、あの二人に万が一のことがあってはならない。
(俺の金を狙っているのか?)
それともまさか、長澤先輩が結月の計画に気づいたのか?
だが、それにしてはおかしかった。
こんな『悪夢』は全く見ていなかったからだ。
(とにかく、なんとしてでも抜け出さないと……!!)
なんとか口に僅かな隙間をこじ開け、塞いでいた指に思い切り噛みついた。
指の感触からして、男ではなく女のものだと気づいた瞬間――
「い、痛たたた!! ス、スポンサー様!! ちょ、ちょっとストップ!! い、痛い!!」
「……え?」
俺の口を塞いでいた手が離れた。
俺はすぐさま振り向いた。
そこに立っていたのは、昼間ステージに立ち、今ごろ病院にいるはずの人物だった。
「心愛さん?」
「あぅぅ……。雷よりスポンサー様に噛まれた傷の方が、長引きそうですぅ……」
彼女が俺に指を見せてきた。
確かに俺の歯形がくっきりと残っていた。
「いや、いきなりこんなことをされたら、誰だって驚きますよ。誘拐かと思いました」
「す、すみません……。あまり目立ちたくなくて。ほら、映画とかだと、こうやって路地裏に連れ込んだりするじゃないですか」
「……」
そもそも、路地裏に連れ込む必要がどこにあったんだ。
普通に声をかければいいだけの話じゃないか。
アイドルとはみんなこういうものなのか――いや、単に心愛さんが独特なだけか。
「それで、どうしてここに? 病院はどうしたんですか」
「こっそり抜け出してきました!」
「いや、それじゃダメでしょ」
今頃、病院スタッフも事務所も総出で血眼になって探し回っているんじゃないか。
俺はすぐさまスマホを取り出し、マネージャーに連絡を入れようとした。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」
だが、心愛さんが止めた。
「じ、事務所には私からもう伝えましたから!」
「……本当ですか?」
「病院を出る前に、当然全部話しておきましたよ〜。本当にこっそり抜け出したと思ったんですか? スポンサー様ってば、ピュアですね!」
どう見ても嘘くさいんだが……。
かといって、頭ごなしに否定するわけにもいかない。
俺はスマホの画面を消したふりをしながら、ラインのグループトークにこっそり状況を書き込んでおいた。
「それで心愛さん、なぜここにいるんですか? 病院が退屈だったからですか?」
「違います! ちゃんと目的があって来たんです!」
心愛さんは「えっへん」と胸を張り、腰に両手を当てて続けた。
「スポンサー様にお礼を言いたくて来ました!」
「お礼、ですか?」
「スポンサー様がステージの真ん中を空けろって言ってくれなかったら、私、本当に死ぬところだったじゃないですか。雷が直撃して」
正直、少し驚かされた。
見た目の軽さに反して、意外と周囲をよく見ている。
あまりに突然の出来事だっただけに、まさか結びつけてくるとは思わなかった。
「まあ、スポンサー様の要求はただの偶然でしょうけどね!」
……いやまあ、そりゃそうか。
これが普通だ。
正直、俺の予知能力に気づいた和花や愛理がすごいだけだ。
「でも、スポンサー様のおかげで助かったのは事実ですから、お礼が言いたくて! 本当にありがとうございました」
心愛さんが深く頭を下げた。
ノリは軽くても、礼儀はきちんとしている。
年齢が正確にいくつなのかは分からないが、確実に俺より年上だろう。
「いえ、感謝には及びませんよ。心愛さんが言う通り、ただの偶然ですから。でも、わざわざありがとうございます」
「これ、ほんの気持ちです! ぜひ受け取ってください!」
心愛さんがポケットから何かを取り出し、俺へ差し出した。
「キーホルダー……ですか?」
「はい! これ、私とメンバーだけが使ってるものだから、本当に特別なグッズなんですよ? 他のファンは持ってませんから!」
「あ、はい、ありがとうございます」
俺は別に地雷ちゃんシンドロームのファンってわけじゃないんだが……。
まあ、珍しい経験をしたのは確かなんだし、思い出の品として取っておくか。
「それじゃあ、私、これで失礼します!」
「あ、はい、気をつけて帰ってくださいね。タクシー、拾いましょうか?」
「そうしてくれると助かります!」
タイミングよく通りかかったタクシーを止め、心愛さんを乗せた。
このまま見送れば、もう二度と会うことはないだろう。
そう思うと、不思議と名残惜しさが胸をかすめた。
「……スポンサー様」
「どうしました?」
ところが、心愛さんが急に真っ青な顔をして俺の方へ振り向いた。
「す、すみません、タクシー代を貸していただけないでしょうか……。ここに来る時に、現金全部使っちゃって……」
「……」
現役アイドルに金を貸すなんていう、めったにない経験までする羽目になった。
◇
「だから、わざわざそのアイドルがあんたに会いに来たってわけ?」
旅館に戻って、心愛さんとの出来事を包み隠さず話した。
すると、和花が頬を膨らませ、すねたような顔を向けてきた。
「ヤキモチ?」
「な、何か悪い!? こんな夜遅くに、他の女の子と会ってきたっていうのに!」
いや、そこまで遅い時間じゃないんだが。
まあ、立場を変えて考えれば無理もないか。
……とはいえ、まだ付き合っているわけでもないのに、なんだかすっかり彼女みたいな顔をしている。
「これがその、貰ったっていうプレゼント?」
愛理はいつの間にか俺のポケットからキーホルダーを取り出していた。
「ふーん……。可愛いは可愛いわね。でも、蓮くんにはあまり似合わないんじゃない? ちょっと女の子っぽすぎない?」
「まあ、それはそうだな。だから実際に使うというより、記念に取っておくつもりだ」
「だったら、いっそ私たちにくれるのはどう? 私たちだって、心愛さんから感謝される資格くらいあると思うけど」
それもそうだ。
……だが、キーホルダーが欲しいというより、他の女の痕跡を消したいだけに見えた。
「別に構わないけど、捨てるなよ?」
「捨てないわよ。少し別の用途に使うかもしれないけど」
「……呪いの儀式とかに使うなよ?」
「えっ……」
「やるつもりだったのかよ」
「冗談よ。普通につけて歩くから」
それならよかったが。
愛理はすぐにビニール袋を破り、中のキーホルダーを取り出した。
すると、和花が不満げな声で言った。
「……なんか私の好みだから、余計にムカつく」
「和花さんが使う? さっきのライブの時も、和花さんすっごくノリノリだったし」
「ま、まあ! 使えないことはないわよ!」
こうして最終的に、心愛さんがくれたキーホルダーは和花のものになった。
和花は結構気に入ったのか、すぐさま自分の鍵に取り付けた。
ところが、愛理がふいに俺へ身を寄せてきて、くんくんと匂いを嗅ぎはじめた。
「蓮くん、ちょっと臭うわ」
「あ、ごめん。早く汗を流してくるよ」
雨にも打たれたし、心愛さんたちの応急手当で汗もかいた。
そのうえ結月とも会っていて、風呂に入る暇がなかった。
「ううん、別に蓮くんの匂いが嫌なわけじゃないの。むしろ好き。もっと嗅いでいたいくらい」
「お、おう……」
「ただ、蓮くんの体に残ってる他の女の子の匂いが気に入らないの。特にこの、甘い香水の匂い」
「心愛さん、香水少し強めにつけてるからな」
よく見れば、愛理も和花に負けず劣らず嫉妬深い。
それでも、和花に対してだけは妙に平然としている。
二股まで許したのも、自分が辛かった時に助けてくれた相手だからだろうか。
「蓮くん、今日は私と混浴しよ?」
「え……」
「昨日は和花さんとしたじゃない。今日は私とするのが公平だと思うの。それとも蓮くん、私と混浴するの、嫌?」
昨日、俺の体の反応に驚いて逃げ出した和花と違って、愛理がたじろぐとは思えない。
下手すれば、本当に一線を越えてしまいそうだった。
だが、断る理由などなかった。
そもそも、俺にとって得こそすれ、損をするような話でもないし。
「……分かった。タオルで目隠しして待ってればいいんだろ?」
「その必要はないわ。もう知ってるでしょ? マイクロビキニ」
「……」
やっぱり愛理も準備していたのか。
たしかにマイクロビキニは、和花より愛理が思いつきそうなアイデアだ。
「和花さんも一緒にする? 私は構わないわよ」
「え!? い、いいんですか……?」
「やっぱり両手に花の方が、蓮くんも喜ぶと思うし」
和花は即答せず、少し悩むようにうつむいた。
「……ううん、私だけ二日連続でするのは不公平だと思います。今日は先輩の番、ということで」
「私は別に構わないけど。まあ、和花さんがそう言うなら、分かったわ」
この二人の関係は、引き合わせた俺ですら、分かったようで分からない。
単なる友達や先輩後輩という枠には収まらないようだが……。
「じゃあ蓮くん、さっそくお風呂に入ろ」
「ちょ、ちょっと待て! 自分で着替えてから入るから!」
「水着、着なくても構わないわよ」
「構うっての!」
愛理が俺の服に手をかけ、そのまま全部脱がそうとしてきたので、慌てて止めた。
◇
水着に着替えて露天風呂に入った。
疲れた体に温かいお湯がとろけるように染み渡り、下手すればそのまま眠ってしまいそうだった。
だが、それも束の間。
ガラッとドアが開く音とともに、たちまち眠気は吹き飛んだ。
「なるほど、全裸より恥ずかしいって言ってた和花さんの気持ち、ちょっと分かるかも」
予定通り、マイクロビキニ姿の愛理が現れた。
俺は思わず生唾を飲み込んだ。
デザイン自体は和花と全く同じだった。
辛うじて体を隠しているのは、極小の白い三角布がわずか三枚だけ。
だが着ている人が違うからか、印象も全く違って見えた。
「蓮くん、どう?」
「……エロいです」
「そう? よかった。それじゃあ――」
愛理がお湯に入ってくると、いきなり俺の肩に両手を置き、顔を寄せてきた。
「私のこともちゃんと妊娠させられるように、男らしいところを見せてくれないとね?」
「うっ……」
今日の疲れのせいか、それともここが以前一度、男の本能を呼び起こした場所だからか。
自分でも呆れるくらい、あっさりと愛理の言葉に意識を乱されてしまった。
愛理の顔に笑みが広がった。
「蓮くんは背徳感のあるプレイが好きなのね」
「……違うけど」
「誰が聞いても嘘ね」
いや、そりゃこんなふうに誘惑されたら、健康な男なら耐えられるわけがない。
正直、まだ愛理を押し倒していないだけでも、自分を褒めてやりたいくらいだ。
「蓮くん、お願い券、今使ってもいい?」
「まあ……構わないけど。さっきも言った通り、あんまり一線を越えるのはダメだぞ」
「分かってるわ。でも、すでに和花さんともしたことならいいわよね?」
まさか――そう思った次の瞬間、愛理はまさに俺の想像どおりの言葉を口にした。
「私のファーストキスも受け取って」




