第61話 証拠作り
(……やっぱり普通の写真ばっかりだ)
夏休み中の写真部室。
結月は誰もいない隙を見計らって、問題のライカを触ってみた。
しかし、蓮が『悪夢』で見たという過激な写真は一枚もなかった。
(長澤先輩はたぶん、専用のSDカードを持ち歩いてるんだ)
以前の結月なら、目の前の事実だけを見て、蓮の主張などまともに取り合わなかっただろう。
だが今の結月は、目の前の事実よりも蓮の言葉を信じていた。
いや、信じざるを得なくなっていた。
(お母さんが作ってくれたチャンス、なんとしても活かさなきゃ)
結月は蓮のノートを思い返し、長澤先輩のような男には絶対に堕ちないと心に誓った。
きっとあれは、長澤先輩を甘く見て、部長の言葉を盲信した末に招く悲劇なのだろう。
問題は、愛理が言う通り、その決意を行動で蓮に示すのが難しいことだった。
結局、結月は自分の悩みを母親――あゆみに打ち明けた。
(証拠さえ見つければ、あとはお母さんに任せても大丈夫なはず)
あゆみは娘の悩みを――正確には蓮の予知を――重く受け止めてくれた。
その一方で、「蓮くんほどの子を射止めるのは並大抵のことじゃないのに、幼馴染だからって油断しすぎだ」と、容赦なく叱った。
それでも、あゆみは結月を優しく抱きしめて言った。
――お母さんも手伝うわ。それらしい証拠さえ持ってくれば、PTAでもマスコミでも何でも動員して、そのクズみたいな男を片付けてあげるから。
蓮にとって長澤は、拭いきれない屈辱を与える相手だ。
人生最大の汚点になりかねない。
だからこそ、彼はその火種になりうる結月を切り捨てて、自分自身を守ろうとしたのだと、あゆみは解釈した。
(私、絶対に汚点なんかじゃない……!!)
敵将を討つ武将のように、長澤さえ始末できれば――。
結月は、部室のどこかに隠されているのではないかと、怪しい場所を片っ端から探し始めた。
部室が泥棒に入られたあとのような有様になるまで、それほど時間はかからなかった。
(やっぱり並の方法じゃダメなのかな……?)
蓮が結月のことを「誕生日プレゼントです」と言い捨てて別れを告げた日。
気まずい空気が流れる中、二年の部員の一人が「蓮の言う通り、一度みんなでライカのカメラを見てみよう」と提案した。
今思えばかなり不自然だったが、部長はひどく慌てながら「わざわざ見る必要はない」「中には何も入っていないはずだ」と、必死に止めようとしていた。
しかし長澤は「見るなら見ろよ」と、むしろ堂々とした態度を取った。
(……実際、普通の人物写真しかなかったし)
写っているのはほとんどが女の子だったが、それだけだった。
むしろ、部員全員が長澤の意外な写真の腕に驚いた。
蓮の意図とは裏腹に、女の子をきれいに撮る腕前がかえって好感を買い、女子部員の中には自分から長澤に近づく者まで現れた。
(たぶん、私もそんな風に丸め込まれたんだ)
荒っぽい外見とは裏腹に、野良猫に餌をやる優しさと、被写体を美しく切り取る繊細さが生み出すギャップ。
おまけに、女の子に対する飄々とした自然な態度や、経験豊富な大人を思わせる立ち振る舞い。
少し軽薄そうに見えるところさえ目をつぶれば、高身長でスタイルもよく、体力もある。
ほとんど隙のないスペックだ。
(……そうやって上辺だけを見て、体を許しちゃうんだ)
スタイルが良くて繊細なうえに経験まで豊富な男が、手練手管で女の子の心と体を攻略し、忘れられない夜を刻み込む。
そのうえ、自分と同じような女の子がすでに他にもいると知れば、かえって闘争心を煽られてしまう。
そうして長澤の一番になりたいがために、いつの間にか言いなりになっていく——そういう罠なのだ。
(蓮の予知、絶対に外れさせてみせる)
暴力に訴えてこないのなら、結局は、自分に強い意志さえあれば長澤に丸め込まれはしない。
今の結月に必要なのは蓮だけ。
――捨てられる経験は、一度だけで十分だ。
(そう、証拠が見つからないなら証拠を作ろう)
蓮のノートの通りなら、長澤は校舎内だろうと屋外だろうと、場所なんてお構いなしにやりまくる。
しかし校舎内は、れっきとした学校の管理区域だ。
保護者の立場からすれば、学校側に十分に抗議できる材料になる。
(でも今は夏休み中だから微妙だな……)
校舎のあちこちを監視するのは簡単じゃない。
小型カメラを仕掛けても、他の生徒に見つかって撤去される危険が大きい。
そもそも学期中と違って、長澤が夏休み中にまともに部室へ来るという保証がない。
(あ、そうか。夏合宿)
蓮が最初に見ることになるという、例の旅館の写真。
たぶん、長澤が1学期の間に女子部員たちに蒔いておいた種を、一気に収穫するイベントなのだろう。
それなら、これを逆手に取ればいい。
(部活の合宿もれっきとした学校活動の延長なんだから)
つまり、合宿中に何か不祥事が起きれば、学校もその責任から完全には逃れられない。
証拠を突きつけて抗議すれば、学校側も保身のために、すべてを長澤個人の暴走として切り捨てるはずだ。
停学処分を受けたことのある問題児の長澤を、学校がわざわざ庇うメリットもない。
(そう、いっそこんな写真部なんて廃部にしてやる)
歴史と伝統? 強豪?
そんなものは、今の結月には何の意味もなかった。
むしろ、蓮と別れることになった元凶にすら思えた。
結月はすぐにスマホを取り出し、電話をかけた。
「部長、急にごめんなさい」
◇◇
「――そうやって、今回の夏合宿に参加することになったの」
結月が、一部始終を包み隠さず説明した。
俺に少しの誤解もさせまいとする決意が伝わってきた。
「だから要するに、今回の合宿で長澤先輩が女の子とやるのを盗撮するってこと?」
「うん。もちろん、あいつの荷物に例のSDカードがあれば、それをそのまま持ち出すかコピーするつもりだけど」
結月の計画を聞いて、思わず目を丸くした。
どちらの方法をとるにせよ、窃盗や盗撮といった犯罪行為にあたる可能性が高い。
「北山さん、そうなるとかえって法的に不利になるかもしれないぞ」
「大丈夫。私、蓮のためなら前科くらい、どうってことないから」
嘘には見えなかった。
むしろ、その瞳から決意すら読み取れた。
あゆみさんは今、自分の娘が今度は別の意味で危険な橋を渡ろうとしていることを知っているのだろうか。
「正直に言うよ。北山さんがそこまでしてくれても、俺が北山さんとまたヨリを戻す保証はない。北山さんだけが損をして終わるかもしれない。だから――」
「そんなこと、私も分かってる」
結月が俺の言葉を遮った。
「私、このまま蓮の何の役にも立てずに、ただ裏切る女として終わるのは嫌。これは蓮のためでもあるけど、私自身のためでもあるの。だから、これだけは絶対に私が自分でやる」
この目つき、俺は知っている。
こうなった結月には、何を言っても無駄だ。
「……分かった。じゃあ代わりに、危険な目に遭いそうになったらすぐに俺に連絡して。前に俺があげたスタンガンは持ってる?」
「あ、うん」
結月は微笑みながらスタンガンを取り出すと、まるで宝物のようにそれに頬ずりした。
「蓮がくれたものだから、当然大切に持ってるよ。これで私の貞操を守るね。私の体は蓮だけのものだもん」
「貞操……というか、身の安全全般のために……」
「あ、こういうのもいいかも!あいつをぐるぐる巻きに縛ってから、このスタンガンでずっとビリビリさせるの。自分から学校辞めるって言うまで」
「それは本当にやめろ」
立派な重罪だからな。
……窃盗や盗撮も、決して軽い罪じゃないが。
「それから、万が一事件が大きくなって警察沙汰になりそうだったら、すぐに俺に言ってくれ。腕のいい弁護士をつけてやるから」
「うん。へへ、やっぱり蓮は優しいね。私みたいな最低の女にも気を使ってくれて。私、やっぱり蓮のことずっと好きでいるしかないみたい」
結月のこの変化は一体何なんだろう。
俺の周りに他の女の子の気配を感じるせいか?
それとも俺が結月を振ったことで生じた現象か?
どちらにせよ――いや、たとえ両方が重なったのだとしても、俺の頭にはひとつの考えがよぎった。
(未来が本当に変わってきているのかもしれない)
◇
結月と別れて、旅館へ向かって歩き出した。
本来ならタクシーに乗るつもりだったが、ごちゃごちゃした頭を整理したくて、あえて徒歩を選んだ。
(……俺の周りの女の子は、みんないろんな意味で個性的だよな)
和花に愛理、結月まで。
命を救ったからといって、それだけで恋に落ちるなんて、フィクションの中だけの話だと思っていた。
結月に至っては、客観的に見れば俺の方がひどい。
ラブホでとんでもない要求をし、断られた腹いせに理不尽な理由で振った。
愛想を尽かされてもおかしくない暴挙だったはずなのに。
(やっぱり、遅くとも夏休みが終わるまでには、ちゃんと結論を出そう)
いつまでも長澤という人間に振り回されてはいられない。
結月の今回の計画が成功しようが失敗しようが、俺は俺なりに乗り越えなければならない。
それが、俺に勇気を振り絞って告白してくれた愛理と和花に対する、最低限の礼儀だろう。
頭もある程度整理できた。そろそろタクシーを拾おうか。
そう思いながら車道へ近づこうとした瞬間――
「んぐっ!?」
背後から伸びてきた手に、いきなり口を乱暴に塞がれた。




