第53話 海②
「よし、終わったぞ」
俺はUVカメラを向けて、和花と愛理の背中に日焼け止めがムラなく塗り広げられているのを確認した。
和花は「サンキュ」と言って、すぐにマットから起き上がった。
ところが愛理は起き上がるどころか、くるりと仰向けになって今度は正面をこちらに向けてきた。
「こっちもお願い、蓮くん」
「……そこは自分でできるだろ」
「和花さんも胸とか、蓮くんに塗ってもらった方がよくない?」
「え、ええ!?」
また和花を巻き込んで数で押し切るパターンか。
だが今回、和花は愛理の意図通りには動かなかった。
「こ、ここは人が多いからダ、ダメよ……。せ、せめて人のいないところで……」
「ふーん……。それも一理あるわね。蓮くん以外の男に見られたくないのは私も同じだし」
「か、勘違いしないでよね、蓮! べ、別に塗ってもらうのが嫌ってわけじゃないんだから!!」
「お、おう……」
なんと返せばいいのか困るツンデレ台詞だった。
「じゃあ、次は私たちが蓮くんを塗ってあげる番ね」
「蓮、さっきはよくもからかってくれたわね。覚悟しなさい!」
「男はやっぱり日焼け止めなんて塗らなくてもいいんじゃないか?」
「蓮くん、それは時代遅れよ。男の肌だって大事なんだから」
「でも、うーん……。男ならやっぱり少しは焼いた方が健康的に見えないか?」
「蓮みたいなタイプは日焼けしたって似合わないんだから、今みたいに白い方がマシよ! だからさっさと大人しく塗られなさい!!」
二人は俺の腕をがっちり掴み、そのままマットに座らせた。
こうなった以上、覚悟するしかないか。
大人しくマットにうつ伏せになろうとした。
「ダメよ、蓮くん。蓮くんはこのままじっと座ってて」
「え? なんで? 背中を塗るなら、俺がうつ伏せになった方が楽だろ?」
さっきの二人のように。
「ふふ、私に考えがあるの。和花さん、前がいい? それとも後ろ?」
「え? ええと……。わ、私、前がいい」
「分かったわ。じゃあ私は後ろね」
「ちょっと待て、前と後ろって何だよ」
俺の問いには答えず、和花は俺の正面に、愛理は俺の背後に回って座った。
これ、まさか。
直後、二人はそれぞれの手のひらに日焼け止めを絞り出した。
そして、さっき俺がしたのと同じように、躊躇なく俺の肌にピタッと当てた。
和花の手は俺の胸元に、愛理の手は俺の肩甲骨あたりに。
「ひゃっ!」
日焼け止めの冷たさに、思わず鳥肌が立って体が跳ねた。
おまけに前後から同時に触れられたせいで、驚きも倍増した。
俺の反応を見た二人が笑い声を上げた。
「『ひゃっ!』だって。何よ、その悲鳴」
「可愛いわね、蓮くん」
「俺を殺してくれ……」
なぜだろう。たった今、俺の人生に新たな黒歴史が刻まれた気がした。
やがて二人は、背中と胸元をそれぞれ分担して日焼け止めを塗り始めた。
背中はともかく、前くらいは自分でできるのに……。
けれど、この二人の意地はそう簡単に折れそうにない。
旅行の計画段階で、俺はそれを嫌というほど思い知らされていた。
結局、されるがままになるしかなかった。
「和花、お前それにしても顔すっげぇ赤いぞ」
「え!? じ、ジロジロ見ないでよ!」
「見えるんだからどうしろって……。目つぶるか?」
「うっ……。先輩! 私と代わってください」
どうやら恥ずかしいらしい。
まあ、これが普通だよな。
平然としていられる愛理のほうが珍しい。
「うわ、何だあいつら。すっげぇな」
「マジであんなカップルもいるんだな。俺、初めて見た」
ここはハイシーズン真っ只中の海水浴場だ。
当然、人目を引かないはずがない。
周囲から聞こえてくるひそひそ声に、俺はハッと我に返った。
「なぁ二人とも、もう十分塗れたんじゃないか。UVカメラで確認してみてくれよ」
「まだよ、蓮くん。ね、和花さん?」
「え? う、うん! 何よ蓮、私たちがこうやって一生懸命塗ってあげてるのに不満でもあるの?」
「いや不満ってわけじゃなくて……」
どうしてこういう時に限って、和花は図太くなるんだ。
……いや、よく見たら和花はすっかり目を閉じている。
自分で見えていなければセーフ、ってことか。
思えば和花も一度テンションが上がると、そのまま一直線に突っ走るタイプではある。
(あ、そうだ。あの話をしておかないと)
どうにか自分の意識を逸らし、ついでに二人のテンションも下げようと、俺は唐突に口を開いた。
「愛理、地雷ちゃんシンドロームって、この前言ってたあのアイドルのことだろ?」
「ええ、そうよ。どうして急に? また悪い夢でも見たの?」
「そういうわけじゃないけど」
すると和花が、拗ねたように頬を膨らませた。
「また他の女の子の話してる。蓮の浮気者。まさか二人だけじゃ足りないってこと?」
「いや、アイドルだろ」
「アイドルだって女の子じゃない! ファンであることまでは文句言わないけど、せめて私と一緒にいる時は話さないでよ」
「いや、ファンじゃないって……」
和花にはあの『悪夢』の話をしていなかったから、何か誤解しているようだ。
和花も俺の予知能力には、ある程度気づいているはずだ。
彼女の協力を得るためにも、少しは説明しておいた方がいいと思った。
「ちょっと重要なことなんだ。命に関わる」
俺の言葉に、和花が目を大きく見開いた。
「命に関わる……。そういうことなんだ……」
「詳しいことは旅館に戻ったら話すよ。ここは人が多いから聞かれるかもしれないし」
「分かった。蓮、前にも言ったけど、本当に危ないことはしないでよ?」
「しないしない。某赤髪の海賊になることはないから」
「本当ね? 私、本当に蓮に何かあったら恨むからね!」
怪我をして恨まれなきゃいけないのか。
思わず笑いがこぼれ、和花の頭を撫でながら言った。
「大丈夫、俺の体を最優先に考えるから。これでいいだろ?」
「……うん」
和花は小さな声で答えながら、コテンと俺の胸元に頭を預けてきた。
ここまで心配してくれるとは。
まあ、結月のために俺の家まで押しかけてくるくらい、情に厚い奴だからな。
愛理が後ろでくすくす笑った。
「やっぱり和花さんは、蓮くんにすっかり手懐けられてるわね。和花さんにとって一番は蓮くんなのかな」
「ち、違いますから!? わ、私は蓮を……!」
和花は俺をちらりと見て、さらに頬を赤らめると、すっと視線を逸らした。
「と、友達として好きなだけですから」
◇
なんとか俺たち三人とも日焼け止めを塗り終えた。
その後、愛理がスマホで地雷ちゃんシンドロームのゲリラライブについて調べた。
「明後日、ここでゲリラライブやるみたいね。公式アカウントに告知が出てたわ」
……当日ですらない明後日の予定を告知しておいて、それをゲリラと呼んでいいのか?
そもそも、そういうものなのか?
俺が少し呆れている間に、和花はパァッと目を輝かせた。
「じゃあ、この機会に本物のアイドルのライブが見られるの!?」
「たぶんね。問題は、蓮くんの悪い予感が当たったら、とんでもなく最悪な思い出になるってことだけど」
「あ、そうだった……。ライブを楽しんでる場合じゃなかった……」
はぁ、と和花が肩を落とした。
どうやら和花にとっても初めてのアイドルライブだったらしく、かなり期待していたようだ。
「まあ、俺たちがどうにかして最悪な経験にならないようにしなきゃな」
「蓮くん、やっぱり防ぐつもりなの?」
「知ってしまった以上、見て見ぬふりもできない。寝覚めが悪いしな」
ただ、問題はどうやってあの落雷事故を回避するかだ。
和花と愛理にも協力を仰いでステージへ乱入すれば、止められるかもしれない。
だが、そうなれば俺だけでなく二人まで警察のお世話になってしまう。
できれば、もっと穏便に片づけられる手があればいいんだが……。
「でもさ、蓮はお金たくさんあるじゃない」
「まあ、そうだな」
和花が思いがけないことを言い出した。
「いっそ、今回のライブのスポンサーになればいいんじゃない?」




