第54話 海③
海へ出発する前日。
小森和花と菅原愛理は、駅のスタバで待ち合わせをした。
前回と同じく、愛理はアメリカーノ、和花はカフェラテを頼んだ。
「それで和花さん、話って何?」
前回は愛理が主導した待ち合わせだったが、今回は違う。
和花が愛理を呼び出したのだ。
「今回の旅行、3泊4日ですよね」
「そうね。和花さんがどうしても長くしたいって言ったんだもんね」
「はい。実は理由があって」
和花は少し目を逸らしながら、コーヒーを一口飲んだ。
どこか言葉を探すような、そんな様子だった。
わざわざ呼び出した以上、蓮のことで真面目な話があるのだと、すぐに察しがついた。
「2日目と3日目に、各自の時間を設けてみませんか?」
「各自の時間?」
「はい。私たちが手を組むことにしてから、蓮と二人きりになる時間がぐっと減ったじゃないですか。……私だけかもしれないですけど」
愛理は家が全焼したこともあり、今は蓮の家に居候している。
もちろん家が再建されたところで、彼女に蓮のそばを離れる気など毛頭ない。
ただ、それが和花には不公平に映ることは、火を見るより明らかだった。
「それで、旅行の2日目と3日目に蓮くんと二人きりになる時間を確保したい、ってこと?」
「はい。あ、先輩と一緒にいるのが嫌だとか、そういうのじゃないんです! 正直、先輩と一緒に蓮と遊ぶのも楽しいし……」
和花が躊躇いながらも、はっきりと言葉を継いだ。
「このままだと私、蓮と全然進展しない気がするっていうか……。蓮、私の気持ちに全然気づいてないみたいだし」
「ふーん……。でも和花さん、本当に蓮くんが気づいてないと思ってるの?」
「え? だ、だって、私のことただの女友達としてしか見てないんじゃないんですか?」
「まあ、私が人の心読める超能力者ってわけでもないし、100%とは言えないけど……」
蓮は頭がいい。
勘の良さも知能のうちだとすれば、決して鈍感なタイプではないはずだ。
もちろん、いくら頭のいい人でも、男女関係においてだけは様々な理由で極端に鈍感になるケースも少なくない。
しかし和花の好意は、誰の目にも明らかなほどだ。
「蓮くん、たぶん気づいてると思うわ」
「え、えっ!? じゃあ、知ってて無視してるんですか!?」
「それも違うと思う」
「どっちなんですか!?」
和花の顔が赤くなり、声が大きくなった。
好きな人に自分の気持ちを知ってほしいという想いと、同時にバレたくないという本音。
そんな矛盾した感情が、ありありと表れていた。
「私の考えだと、蓮くんは今、わざと和花さんの気持ちを深く考えないようにしてるのよ」
「……え? それ、どういう意味ですか?」
「今の蓮くんの立場で考えてみて。まず私から告白されたでしょ? 元カノの北山さんもまだ諦めてないし。そこに和花さんまで自分のことを好きだとなったら?」
「確かにモテ期っていうか、凄まじいことになってますね……」
「蓮くんとしては、北山さんの件だけでもまだ吹っ切れてないのに、これ以上ややこしいことを増やしたくないのよ」
愛理の見立てでは、蓮は無意識のうちに、和花の言動を「唯一の同級生の友達だからこその距離感なんだ」と思い込もうとしている。
オッカムの剃刀で言えば、和花が自分に好意を抱いていると見るのが、いちばん筋が通るはずなのに。
「ただ二人きりでいる時間が欲しいってことなら、いつだっていいわ。私は構わない。名目はどうにか作ってあげる」
「……二人きりでいるだけじゃ、今の状況から全く進展しないってことですか」
「そうね。二人きりでデートみたいなことをしても、深い友情の延長としか受け取らないはずよ」
「じゃあ一体どうすれば……。見込みがないんですか、私」
「いや、すっごく簡単な方法があるわ」
愛理がニヤリと笑いながら、組んだ手をテーブルの上に乗せた。
「蓮くんに告白して」
「告白……。え、ええーーっ!?」
和花の大きな声がスタバの中に響き渡った。
前回と同様に、彼女は肩をすくめて周りに謝った。
「気づかないふりをしてるなら、はっきり言葉にして逃げ道を塞げばいいの。それか、キスとかそれ以上のことをして、友情じゃ説明できないところまで持っていくのよ」
「キ、キスとかそれ以上のこと!?」
「和花さんが望んでるのは、蓮くんに自分を女の子として意識してもらうことでしょ? それなら、まず前提から覆さなきゃ」
和花は壊れたロボットのように「あぅ、あぅぅ……」と唇を震わせた。
愛理はそんな和花の反応が可愛くて、思わず笑みをこぼした。
蓮が一番大切なことに変わりはない。
けれど和花のことも、それに劣らないくらい、ずっと大切にしていきたいと思っていた。
「和花さんがどうしてもキツいなら、私が代わりに蓮くんに伝えたり、うまく流れを作ってあげることもできるけど、どうする?」
和花がついツンとした態度を取ってしまうのは、蓮への照れ隠しからだ。
愛理はそんな和花の純粋さを、心の片隅で羨ましく思っていた。
蓮を想う気持ちも、自分のそれに勝るとも劣らないと感じられた。
「……先輩はなんでそこまで私を助けてくれるんですか? 正直、単に結月への牽制って言うには……」
「簡単よ」
愛理がコーヒーを一口飲み、言葉を継いだ。
「和花さんのことも好きだから」
「……!」
和花は顔を真っ赤にして、視線を合わせられなかった。
まるで恋する乙女のように戸惑っていた。
「ちなみに、そういう意味じゃないからね」
「む、もちろん分かってますよ! 先輩がそういう意味で好きな人は蓮一人だけってこと、本当によく分かってますから」
「そう? で、どうするの?」
本当は、答えなんてもう決まっているも同然だった。
だが愛理は、和花にはどうしても必要なことだと見ていた。
今の和花に足りないのは勇気だ。
これまでの関係を壊してしまうかもしれないという恐れを、自らの意志で乗り越えなければならない。
「や、やってみます」
「何を?」
和花が決意に満ちた表情で答えた。
「今回の旅行中に、はっきりと私が直接蓮にこ、告白します……!!」
◇◇
「ぶくぶくぶくっ……」
あっという間に和花の体が海中へ沈んでいった。
俺はすぐに彼女を抱き寄せ、引き上げた。
「お前、全然泳げないのか」
「そ、それは……うちの小中、コロナ以降は水泳の授業がほとんどなかったみたいなもので……」
「なら大人しく浮き輪つけろよ」
実は俺も、水泳はそれほど得意ではない。
学校の体育で習った程度だ。
だがどうやら和花は、それ以上に苦手らしかった。
そもそも、浮くことすらできないのだから……。
「で、でも浮き輪つけたら、ちょっと子供っぽくない……?」
「何言ってんだよ、浮き輪つけてる大人もいっぱいいるだろ」
「そ、そう?」
和花が周りを見回した。
「……なんか子供の方が多い気もするけど」
「気のせいだ」
「私を子供扱いしようとしてない!?」
「のどちゃん、お水は怖くないでちゅよー」
「やっぱり子供扱いしてるじゃない!!」
しまった、思わずいつものようにからかってしまった。
泳げないのに変に意地を張らせて、事故にでもなったら困るのに。
案の定、和花がぷくっと頬を膨らませた。
「私、他のことはともかく、あんたに子供扱いされるのだけは嫌!」
「悪い悪い。じゃあこの際、泳ぐの……までは難しくても、水に浮く練習してみるか? どこかで聞いたけど、海水の方が浮きやすいらしいぞ」
「そうなの? あ、あんたが直接教えてくれるの?」
「まあ、俺も学校で習ったことしか知らないけどな」
「ふ、ふーん……」
和花がサイドの髪を指先でくるくると弄った。
「ま、まあ……。特別に許可してあげる」
「どこの貴族だよ。誠に光栄に存じます」
「ふ、ふん! 本当は水泳教えるとか言って、私の体あちこち触るつもりでしょ?」
「貴族様のあんなところやこんなところまで、この機会に存分に堪能しようっていう俺の計画が、もうバレたか」
わざと変態のようにねっとりとした笑みを浮かべ、十本の指をウゴウゴと動かした。
これで和花が「キモい!」とツッコミを入れれば完成だ。
だが、全く俺の意図通りにはならなかった。
「も、もう……。触るのはいいけど……ちゃんと教えることにも集中してよね?」
「お、おう……」
え、何だ。
いつものツッコミはどこへ行ったんだ。
おまけに顔を真っ赤にして、上目遣いで俺を見つめてきている。
「じゃあとりあえず、浮き輪借りてくるよ」
「結局浮き輪じゃない!!」
まあ、とにかく最初は道具の力を借りてでも、浮く感覚を覚えることが重要だからな。
二人で海の家のほうへ歩き出した、そのときだった。
「蓮くん」
愛理が俺の腕に抱きつきながら話しかけてきた。
……わざと胸を当てているような気がした。
「怖い男の人たちにナンパされちゃった」
「大丈夫だったか? 俺を呼べばよかったのに」
「うちのお父さんを警察に突き出して、私を家に引き取ってくれたご主人様の許可がないとダメだって言ったらね。意外とあっさり引き下がったわ」
「……」
……なんか話の流れが妙に飛んでないか?
「慰めてよ、蓮くん」
「怖い思いをしたって、本当だよな?」
「早くどこか人けのない岩の裏とかに私を連れて行って、慰めて」
「それ、別の意味の慰めじゃないか?」
あと、それがバレないわけないだろ。
こんなに人が多いハイシーズンの海水浴場で。
「ふふっ」と、愛理が悪戯っぽく笑いながら俺の耳元で囁いた。
「心配しなくても私の体は蓮くんだけのものだから。他の男には指一本触れさせないわ」
「い、いや俺はそんな心配は……」
「嘘。さっき私がナンパされたって言った時、少し顔色が変わったわよ?」
俺は無意識に、結月や長澤先輩のことを思い出してしまっていたのだろうか。
「少し安心したかも。私のこと、ちゃんと蓮くんの女として見てくれてるみたいで」
「いや、そ、それは……」
「もう、先輩! どうなったのか、先に話してください!」
和花が俺の反対側の腕を抱きしめた。
最近、よくこの二人の間に挟まれている気がする。
「で、あのゲリラライブのスポンサー、受けてくれそうですか?」
そう。愛理は一度旅館に戻り、例のアイドル――地雷ちゃんシンドロームの事務所にビジネスの連絡を入れてくれていたのだ。
元々は俺がやるつもりだったが、こういう窓口は社長本人より社員が動いた方が体裁がいいと言って、愛理が引き受けてくれた。
(正直、果たしてうまくいくかどうか……)
少し調べてみた限り、金額自体は俺にとってさほど問題にはならなさそうだった。
ただ、問題はやはり社会的な信用だ。
俺が怪しい目的で近づいたと見なされれば、和花が思いついたスポンサー作戦は無駄になってしまう。
「とりあえず、スポンサーのオファー自体は前向きに受け止めてくれたみたい。場合によっては、こっちが提示した振り付けの変更も受け入れてくれるそうよ」
「よかったな。やっぱり今、ちょうどブレイクし始めたところのアイドルだから、対応が柔軟なんだな」
もし超有名なメジャーだったら、見向きもされなかっただろう。
「ただ、なんかちょっと変わった条件を出してきたの」
「条件?」
愛理が頷いた。
「直接会って説得してくれって」




