第15話 弁当の波紋
「あのさ……。弁当作ってくれたのはありがたいけど、なんで教室であんなことしたんだよ」
結局、小森さんを非常階段まで連れ出してしまう羽目になった。
あの高木でさえ「お前らマジで付き合ってんじゃねぇの?」って疑ってくる始末だ。
小森さんが箸でおかずをつまみ、口に運びながら答えた。
「だって友達なんだから、教室で堂々と一緒に食べてもいいんじゃないかなって思って……」
だとしたら、以前わざわざ非常階段に呼び出してきたのは、当時はまだ友達だと思っていなかったからってことか。
小森さんの行動基準が、俺には不思議で仕方なかった。
「……もしかして迷惑だった?」
「いや、まあ、そういうわけじゃないけど。俺より小森さんの方が困るんじゃないかと思って」
「私が? なんで?」
「だって、俺と付き合ってるなんて噂が流れたら、小森さん、彼氏作りにくくなるだろ?」
オタクに優しいギャルになって、大人しいオタク君を初めての彼氏にするという壮大な計画。
相変わらず納得がいかなかったが、昔はともかく、今の小森さんは学校の男子たちからかなりモテる方だ。
下手に俺みたいな奴がそばをうろついていたら、その計画の邪魔になるのは目に見えている。
この二日間、登下校を共にしているのは、その計画よりも重要な、命に関わる一大事だからだ。
「え? 私とあんたと?」
「ああ。さっき教室でみんなが騒いでただろ? お前が今、俺にアプローチしてるんじゃないかって」
「ええっ!? し、知らなかった! 私、さっきお弁当渡すだけでも緊張しちゃって、全然周りの声なんて聞こえなかったわよ!」
いや、そんな言い方をされると、マジで変な意味に取られそうなんだけど……。
この無自覚な天真爛漫さは、他の男子たちを簡単に勘違いさせてしまうんじゃないか、と俺は思った。
それに、女子の間では、そういうところが原因で仲間外れにされかねない気もする。
「次からは二人きりの時に渡すように気をつけなきゃね……」
「ん? 俺の弁当、また作ってくれるの? 今日で一緒に登下校するのはもう終わりだけど?」
「え? あ、そう、ね……」
小森さんがしょんぼりと肩を落とした。
これまで友達がいなかった彼女にとっては、俺とのこの二日間がよっぽど楽しかったらしい。
俺としても満足だった。
仮にすでにあの『悪夢』を回避できていたとしても――この二日間が無駄だったとは思わずに済む。
「まあ、毎日一緒に登校するのは無理でも、下校のついでに寄り道するくらいなら、いくらでもできるしな」
「あ、そ、そうね! ふふっ、光栄に思いなさいよね! 他の男子たちと一緒に帰るの断って、特別にあんたと帰ってあげるんだから!」
「それ、ただフリーズして答えられなかっただけだろ」
「うるさいっ!」
冗談を交わしながら、小森さんが作ってくれた弁当を美味しく平らげた。
◇◇
北山結月は学生食堂に足を運んだ。
お弁当を置いてきたというのは嘘だった。
ここで蓮を待つつもりだったのだ。
教室でお昼を一緒に食べようと誘っても、断られるのが目に見えていたからだ。
(きっと、何か誤解があったんだ)
蓮とじっくり話し合えば、仲直りできるはずだ。
結月はまだ、彼のことを彼氏だと信じていた。
ただ今は、大喧嘩しているだけだと。
(そう、私には蓮しかいないってことを、もう一度伝えればいいの)
写真部の活動に夢中になるあまり、蓮を少し蔑ろにしてしまっていたのではないか。
結月は内心そう反省していた。
だから、多少部活の時間を減らしてでも、彼と過ごす時間を増やせばいいだけのことだ。
(あれ、でもなんで来ないのかな……)
しかし、いくら待っても蓮は姿を現さない。
蓮は実家の料理があまり好みではなく、結月の母が作るお弁当か、学食で昼食を済ませることが多かった。
何か別の用事があって、今日は学生食堂に来ないのだろうか?
結月がそう思った矢先、ある人物が目に入ってきた。
「高木くん」
中学の頃から蓮と親友のように過ごしてきた高木に、結月が声をかけた。
蓮は高校に入ってからは、結月か高木のどちらかと昼食を食べていた。
「ん? あ、北山さん」
「蓮は一緒じゃないの?」
「え? あ、深川は……」
高木が答えにくそうに頭をガシガシと掻いた。
「他の奴と弁当食べに行ったよ」
「他の奴? 誰?」
蓮に、高木以外に一緒に昼食を食べるほど親しい同性の友達なんていただろうか?
結月の頭にはすぐに思い浮かばなかった。
「さ、さあな……」
高木が視線を逸らしながら口ごもった。
どう見ても、知っているのに隠している様子。
これは自分には言いづらいことなのだと、結月は察した。
「……まさか、女子?」
「いや、そ、そんなわけないだろ? あの深川だぞ? あいつがそんなにモテるわけないじゃん〜」
は……ははっ、と高木がぎこちなく笑った。
結月はすぐにピンときた。
これは友達である蓮を守るために、わざと彼を貶めて言っているのだと。
(元々、蓮は思っていた以上に女子からモテていたし)
彼は幼い頃から勘が鋭いうえに、妙に大人びていた。
女子たちがわざわざ蓮に近づかないのは、結月という存在が大きかったからだ。
常に蓮の隣には結月がいて、彼女もまたグループの内外で、自分の初恋は蓮だと公言し、牽制し続けてきた。
(だから普通の女子はアプローチなんてしないはずなのに……)
蓮と結月が別れてから、まだそれほど時間は経っていない。
未練も残っているだろうし、いくらでもヨリを戻せると思っている女子が大半だ。
そんな状況で蓮に近づく女子はそう多くないはずだ。
結月は考えを巡らせるうちに、たった一人の存在を思い浮かべた。
「……もしかして、和花?」
図星を突かれたように、高木が体を大きくビクッと震わせた。
結月は、和花が高校デビューを果たしたことや、空気を読むのがそれほど得意ではないことも知っている。
それに最近、急速に仲が良くなっているようにも見えた。
「さ、さあ? 知らないけど?」
最後までしらばっくれる高木に、結月は苛立ちすら覚えた。
だが、高木なりに蓮への義理を果たそうとしているのだろう。
これ以上問い詰めても無駄だと、結月が学生食堂を後にしようと背を向けた、その時。
「北山さん。まさかとは思うけど、深川と別れた理由……分かってないのか?」
高木が結月を呼び止めた。
妙に挑発的な口調に、結月も思わず声を荒らげた。
「それじゃあ、高木くんは知ってるっていうの? なんで蓮が私を振ったのか」
「そりゃあ、傍で見てりゃ分かるだろ。あいつ、すっげぇ苦しんでたからな」
「……は?」
蓮が苦しんでいた?
何に?
結月は高木の言葉が理解できなかった。
「あいつ、北山さんと別れる前まで、ものすごく疲弊してたんだぜ? 俺の知る限り、7キロは一気に痩せたはずだ」
「う、嘘言わないで! 蓮はそんなこと一言も——」
「言われなきゃ分かんないのか? 俺でもパッと見ただけで分かったのに」
「うっ……」
彼女が何も反論できずにいると、高木が深いため息を吐いた。
「北山さん、他のことはともかく、深川が『やるな』って言うことは、やらない方がいいぞ」
「なんでそんな上から目線で言うのよ!」
「だって俺も中学の時、深川の忠告を聞かずに死にかけたことがあるからな〜。それ以来、俺は深川の忠告には絶対耳を傾けるんだよ」
蓮がここ一ヶ月、長澤先輩に対して異常に過敏になっていたことを、結月は思い出した。
彼女にはただ、悪い噂に過敏になりすぎた思い過ごしにしか見えなかった。
そもそも浮気するつもりなど毛頭ないのに、頭ごなしに決めつけられることが不快だった。
「俺はあいつに幸せになってほしいんだ」
「そ、それは私だって同じ——」
「いや。俺はあいつみたいに勘が鋭いわけじゃないが、これだけは確信できる」
高木が眉をひそめ、言葉を継いだ。
「北山さんは、絶対にあいつを幸せにはできない」
結月はギリッと奥歯を噛みしめた。
そんなはずがない。
親の次に、いやもしかすると親以上に蓮のことをよく知っているのは自分だ。
だからこそ、自分こそが蓮の運命の相手だと信じて疑わなかった。
「あんたに蓮の何が分かるっていうのよ!!」
カッとなって叫んだ彼女は、そのまま学生食堂を飛び出した。
そして教室に戻り、蓮と和花の姿を探した。
しかし、見当たらない。
彼女の友人の一人が恐る恐る尋ねた。
「結月? どうしたの? そんな怖い顔して……」
「蓮と和花見なかった!? あの二人、今一緒にいるんでしょ!?」
「え? あ、たぶん……? よく分からないけど、さっき小森さんが深川くんに手作り弁当を渡して、教室を出て行ったから」
「は……? 手作り弁当?」
結月はそれほど料理が得意ではないため、蓮に自分でお弁当を作ってあげたことはなかった。
蓮も特にそれを残念がる様子はなかった。
なのに、自分にもできなかったことを、和花が彼に?
唇と手がブルブルと震え始めた。
(友達だと思ってたのに……!!)
和花に裏切られたような感覚が、結月の胸を締め付けた。
もはや、到底友達とは思えないほどに。
◇◇
小森さんと非常階段で楽しく昼休みを過ごした後、教室に戻った。
しかし、なんだか女子たちの視線が痛いんだけど……。
疑問には思ったが、5時間目が体育だったので着替えに向かった。
高木が男子更衣室で言った。
「悪い、俺、ちょっとお節介焼きすぎたかも」
「なんだよ急に」
「北山さんが昼、学食に来てお前のこと探してたんだよ。だけど全然何が問題なのか分かってないみたいだから、思わずカチンときちゃってさ」
「まあ、構わないよ。もう俺とは何の関係もないし。なんならお前が付き合ってもいいんだぜ?」
「俺、外見より性格を重視するタイプだから」
思わず笑いが漏れた。
うちの学校は体育が男女別だから、女子に変な目で見られることもなく、平和に授業を受けられた。
ボディシートで汗を拭き、制服に着替えて教室に戻った。
6時間目の準備をしようとしたところ、何かしら違和感を覚えた。
(あれ? なんで小森さんがいないんだ?)
あの特徴的な金髪ボブがどこにもない。
もしかしてトイレにでも行ったのかと思ったが、休み時間がもう終わりそうなのに戻ってこない。
高木に尋ねた。
「おい、小森さんどこ行ったか知ってるか?」
「小森さん? あ、そういえばさっき女子たちが騒いでたな。体育の時、北山さんと小森さん、すっげぇ喧嘩してたって」
「え? 喧嘩?」
「詳しくは知らないけど、北山さんが『あんたなんか友達じゃない!』って怒鳴ってたらしいぞ。小森さんはショックを受けてたみたいだが」
「それで? 小森さんは!?」
二人が喧嘩したことなんて、今は二の次だ。
一番重要なのは小森さんの行方だ。
「体調が悪いって早退したらしいぞ」
「クソッ!」
それなら、あの『悪夢』は下校時じゃなかったのか。
まさか早退するなんて、思いもしなかった。
「悪い、俺も体調不良で早退する!」
「お、おい!? ちょっと待てって!」
俺は教室を飛び出した。
一刻も早く、小森さんに追いつかなきゃ……!




