3.本物の監査官
不老長寿という噂を、伯爵がどこから聞いたのか。
「それは、ノースポートへ戻らんと分からんな」
俺が言うと、御者台からカゲマルの声が返ってきた。
「星巡りの支部から、伯爵家と取引のある薬商へ問い合わせてみるでござる。されど、返事には数日かかる」
「今すぐ答えが出る話やないってことか」
「残念ながら」
青い花の薬効は分かった。噂の出どころは、すぐには追えへん。
なら、先に王都で確かめられることがある。
「セレスさんの方、頼むで」
「承知したでござる」
青い幌馬車は石造りの門をくぐり、王都薬学研究所の前庭で止まった。
白衣を着た職員たちが駆け寄り、レティシアさんを荷台から降ろす。ハナが付き添おうとしたけど、治療室の前で待つよう言われた。
「私は大丈夫です。皆さんも休んでください」
「その大丈夫、今は信用したらあかんやつです」
俺が返すと、レティシアさんは少し困ったように笑った。そのまま職員に支えられ、建物の奥へ入っていく。
姿が見えなくなるまで見送ってから、カゲマルが口元の布を引き上げた。
「では、拙者は蒼海商会へ行ってくるでござる」
「忍び込むん?」
「正面から尋ねる」
「忍者が正面から行くんかい」
「星巡りは、蒼海商会に探索物資を運んでもらっている。使える信用を使わぬ忍びは、ただの不審者でござるよ」
それはそうやけど、忍者に正論で返されると妙に腹が立つ。
カゲマルは灰色の装束のまま、研究所の門を出ていった。
俺たちは治療室近くの待合へ移った。窓の外で日が傾き、白い壁が薄い橙色に染まっている。
ハナは何度も治療室の扉を見る。ミラも最初は一緒に見ていたけど、五回目には長椅子の背へ倒れ込んだ。
「一日が長すぎるんだけど」
「船乗って、泳いで、追いかけて、戦ったからな」
「最後に殺虫剤の正体まで聞いたし」
「強化薬です」
扉の向こうから、レティシアさんの声が飛んできた。
「聞こえてるん!?」
ハナが吹き出す。張りつめていた肩が、ようやく少し下がった。
俺も笑ったけど、すぐに窓の外へ目を戻した。
セレスは、本物の監査官なのか。それとも、銀色の札から全部が偽物なのか。
馬車を出してくれたことまで嘘やったとは思いたくない。けど、また会った時に何も知らず信用するのは、もっと嫌やった。
日が建物の屋根へ触れた頃、窓の外を灰色の影が横切った。
次の瞬間、待合の扉が開く。
「お待たせしたでござる」
カゲマルが、細長い書類を一枚持って戻ってきた。
「分かったん?」
「まず、セレス・アーデルという人物は実在する。蒼海商会王都本部に在籍していた監査官でござる」
ミラが長椅子から跳ね起きる。
「本物だったの!?」
「監査証の番号も本部の名簿と一致した。アクアポートへ不正な荷役料を調べに行ったことも、正式な命令に残っている」
銀色の札も、第七倉庫を追っていた話も本物やった。
ほっとしかけた俺へ、カゲマルが書類の続きを見せる。
「されど、一つ訂正がある。セレス殿は、もう蒼海商会の監査官ではござらん」
ミラの口が開いたまま止まった。
「さっき、本物って言ったじゃん!」
「本物だった。高速船を手配した時までは」
カゲマルが、書類の最後の一行を指で叩く。
「本日付で、辞表が受理されている」
「今日って、俺らと一緒におったやん」
「辞表が本部へ届いたのは、昼過ぎ。拙者たちが乗った高速連絡船の封書便でござる」
高速船を出す手配書へ署名したあと、セレスはもう一通、小さな封書を御者へ渡していた。
急ぎの報告やと言っていた、あれや。
「あれ、辞表やったんか」
ハナが治療室の扉から顔を戻した。
「レティシアさんを助けるために、仕事まで辞めたのかな」
ナオユキが腕を組む。
「辞表を書いた時には、まだカイと会ってない」
「船を出した時点で、王都へ着いた後も蒼海商会へ戻らないと決めていたことになる」
「高速船の手配書が先、辞表が後。船の手配が、監査官として最後に通した仕事でござる」
ミラが片方の眉を上げた。
「最大手商会の監査官を辞める直前に、最後の権限で私たちの船を出したってこと?」
「左様」
「思い切りよすぎない?」
カゲマルが理由を尋ねても、辞表には一身上の都合としか書かれていなかったらしい。
偽物なら、全部疑えばええと思ってた。
本物なら、少しは信用できるとも。
けど、本物やった地位を、セレスは俺たちと船へ乗る前に捨てると決めていた。
「あの人、味方なのかな」
ハナが膝の上で手を重ねる。
「馬車を出してくれた。レティシアさんを助けられたんは、あの人のおかげでもある」
そこは、なかったことにしたくない。
「でも、知り合いやって嘘ついて、俺らを走らせた。監査官まで辞めて、カイが出たらレティシアさんよりそっちを選んだ」
膝の上で拳を握る。それでも、助けてもらった事実まで消したくはない。
「せやから、今は味方とも敵とも決めへん」
ナオユキが小さく頷いた。
「本人から聞くまでは、それが妥当だ」
「会えたら、馬車の礼は言う。そんで、なんで俺らを使ったかも聞く」
「借りが一つで、問い詰めるのも一つね」
ミラが人差し指を一本ずつ立てる。
「足したら、ゼロ?」
ノクティスが首を傾げた。
「人間関係を算数にすんな」
「算数なら簡単なのにね」
また少しだけ笑いが戻る。
カゲマルは書類を丸めず、膝の上へ広げたままやった。
「まだ、何かあるん?」
「左の商人街道も確認したでござる」
その一言で、全員の顔が上がる。
「派手な商人姿の男が一人。その少し後に、監査証を見せた女と、灰色の外套の男が通っている。人相も、通った順も三人と一致する。まだ誰も王都へ戻っておらぬ」
「まだ追ってるんか」
「おそらく。少なくとも、途中で追跡をやめた形跡はない」
セレスはもう、蒼海商会の監査官やない。
それでも監査証を返さず、カイを追って王都の外へ消えた。
「監査官を辞めてまで、誰の命令でカイを追ってんねん」
カゲマルは、今度こそ答えなかった。
分からへんのは、セレスが何者かやない。
誰のために、カイを追っているのかや。




