2.青い花と殺虫剤
「会ったこと、ないんですか?」
俺が聞き返す。
「はい。少なくとも、私は覚えていません」
揺れる荷台で、レティシアさんが膝の上へ手を戻した。
「北東の薬草産地へ移ってから、王都本部へ戻る機会は減りました。ですが、本部で何度かお会いした方なら、顔か名前のどちらかは覚えていると思います」
「髪を後ろでまとめて、監査官の制服を着た女の人です。銀色の札も持ってました」
ハナがセレスの姿を説明する。
レティシアさんは少し考えてから、首を横へ振った。
「やはり、心当たりはありません」
「じゃあ、監査官っていうのも嘘だったの?」
ミラが長椅子から腰を浮かせる。
「そこまでは、まだ分からない」
ナオユキが扉に背を預けた。
「監査証の印は、港で見た蒼海商会のものと同じだった。不正な倉庫を調べていたのも、おそらく本当だ。嘘だったと分かったのは、レティシアさんの知人だという部分だけだ」
本当の監査証を見せ、本当に追っていた倉庫の話をする。
その中へ、知り合いだという嘘を一つだけ混ぜた。
「あの人、俺らに信用させるために、レティシアさんの名前を使ったんか」
セレスはレティシアさんを心配しているように話し、俺たちを自分の馬車へ乗せた。
けど、旧関門でカイが逃げた瞬間、俺たちの返事も待たずに追っていった。
「俺らを追わせて、ユリウスとカイを表へ出したかったんかな」
レティシアさんを助けたい気持ちまで、あの人の調査に使われた。
そう思うと、喉の奥が苦くなる。
「だが、あの馬車がなければ追いつけなかった」
ナオユキが俺を見る。
「俺たちを利用した可能性はある。ただ、渡された情報と馬車に助けられたのも事実だ。本人が戻るまで、それ以上は決めつけるな」
「分かってる。せやけど、次に会ったら聞く」
なんで、知り合いのふりまでしたのか。
なんで、レティシアさんが攫われたと知りながら、カイを選んだのか。
「王都へ着き次第、拙者が星巡りの伝手で蒼海商会へ照会するでござる」
御者台から、カゲマルの声が返ってくる。
「左の街道へ向かった二人についても、仲間に探らせる。答え合わせは、それからでござるな」
「頼む。見つけても、一人で捕まえようとせんといてな」
「忍びは、見つからぬよう調べるものでござるよ」
前を走る馬の蹄が、乾いた道を叩く。
しばらく、誰も話さなかった。
レティシアさんが、申し訳なさそうに眉を下げる。
「私の名前のせいで、皆さんを危険な目に……」
「レティシアさんのせいちゃいます」
すぐに言葉を返した。
「名前を勝手に使った人が悪い。レティシアさんは、助けられた側なんやから、謝らんといてください」
レティシアさんは一度唇を結び、小さく頷いた。
「ねえ、レティシアさん」
ハナが腰の素材袋へ手を入れる。
「青い花って、現物を見れば分かる?」
「形を見れば、おそらく。ですが、あの方たちは持っていなかったので……」
「俺らが持ってる」
レティシアさんの顔が上がった。
ハナが取り出したのは、布を巻いた細いガラス筒だった。
ノースポートの薬草店で見てもらったあと、乾燥しないよう包み直した青い花が一輪入っている。
「これです」
ハナがガラス筒を両手で支える。
レティシアさんは顔を近づけた途端、目を見開いた。
「青霧花です。古い記録では、青光花や瘴青花とも呼ばれています」
「知ってるん!?」
「はい。青い花とだけ聞かれても種類は絞れませんが、これなら間違えません」
さっきまでの弱い声が、急に弾み始めた。
「高濃度の瘴気が溜まる土地に、ごく稀に咲く薬草です。精神を鎮める薬に使えますが、濃度を上げれば幻覚や聴覚の撹乱、記憶の混乱も起こします」
「ノースポートの薬草店で聞いた話と同じや」
「花弁の光が強いので、青霧花の中でも魔力を多く含んだ種類ですね。でも、基本の薬効は同じです」
ハナの手にある花を見つめる目は、薬屋の馬車で会った時と同じや。
止めなければ、花弁の枚数から根の太さまで話し続けそうやった。
「そういや、薬で思い出した」
俺はレティシアさんへ身体を向ける。
「あんた、俺らに殺虫剤渡したやろ」
「渡していません」
返事が早い。
「いや、渡した! 港で別れる時、ラベルのない瓶くれたやん!」
「お二人に合わせて作った能力強化薬です」
「栓を抜いたら、目ぇ開けてられへん臭いしてん。それで瓶を落としたら、白い蜘蛛が壁からボトボト落ちてきたんやぞ!」
レティシアさんの眉が上がる。
「落としたんですか?」
「そこ!?」
「港へ着く前の晩、徹夜で仕上げた試作品です」
「知らんがな! 飲み物からしたらあかん臭いやったんや!」
ミラが両手で鼻を塞ぐ。
「あれ、ほんとにひどかったよ。ダイキが『殺虫剤や』って、ボス部屋で叫んでたもん」
「私も、強化薬だと思ってお渡ししました」
「思って?」
「強化薬です」
レティシアさんが言い直す。
「飲めば五分ほど、筋力と反応速度、それに魔力の巡りが大きく上がります。虫型魔物を相手にした時は、さらに攻撃の効きが強くなる配合です」
「ほな、ほんまに強化薬やったん?」
「はい。原液を直接浴びせれば、小型の虫型魔物なら、それだけで動けなくなります」
「殺虫剤も入っとるやないか!」
「殺虫効果のある強化薬です」
「言い方変えただけや!」
ハナが口元を押さえている。
肩が揺れているから、絶対笑ってる。
「飲んでいれば、ボス蜘蛛との戦いも、もう少し楽になったと思います」
「あの臭いのやつ、飲めるん?」
「少し刺激的ですが、慣れると癖になる味ですよ」
今度は、荷台にいた全員がレティシアさんを見た。
「慣れるまで飲んだん!?」
「人へ渡す薬を、味見せずに作れませんから」
レティシアさんは真面目な顔で答えた。
「もう一本、作りましょうか?」
「いりません」
「私は、ちょっと飲んでみたい」
荷台の隅で、ノクティスが手を上げる。
「やめとき!子供には早い!いや、大人も飲んでええ匂いやないけど」
笑い声が、狭い荷台へ広がった。
レティシアさんまで肩を揺らしている。
攫われた理由を話していた時には、何度も止まった声や。
その人が今、俺たちと一緒に笑っている。
助けられて、ほんまによかった。
揺れが収まるのを待って、ハナが青い花をガラス筒へ戻した。
そこで、忘れかけていた一番の話を思い出す。
「レティシアさん。この花、不老長寿の薬になるん?」
「いいえ」
今度も、返事は早かった。
「少なくとも、知られている薬効に寿命を延ばすものはありません。傷の治りを促す薬でも、身体の衰えを止める薬でもありません」
「ほかの薬と混ぜたら?」
「未知の組み合わせまで否定はできません。ですが、この花を不老不死の薬材と呼べる根拠はありません」
レティシアさんは、筒の中の花を見つめて首を傾げた。
「その噂を話した方が、別の薬材の話と取り違えたのでしょうか」
ハナの笑顔が消えた。
「ノースポートのヴァルムント伯爵に仕えてる侍女さんから聞いたの」
ノースポートの薬草店で聞いた、幻覚や記憶の混乱は合っている。
秘薬、延命、不老長寿という噂を話したんは、リゼルさんやった。
話によると伯爵本人もその噂を信じて青い花を求めていた。
「間違った噂を聞いただけかもしれない」
ナオユキが言う。
「せやな」
「伯爵も、どこかで話を取り違えたんかな」
ハナが、ガラス筒の中の花を見る。
「その侍女が勘違いしたのか、伯爵家へ届く前に話が変わったのか。今ここでは分からない」
ナオユキの言う通りや。
ただ、薬学研究者がすぐ否定するような噂を、伯爵はどこから聞いたんやろ。
青い花の薬効は分かった。
しかし、今度は、不老長寿という噂の出どころが分からなくなった。




