4.声より早く(ハナ視点)
足元から広がった水色の輪が、ダイキの靴に触れた。
杖の先に作っていた水球は、もう床へ落としてある。
次の短剣は、私が止めるんじゃない。
ダイキに避けてもらう。
(ダイキ、聞こえる?)
返事はなかった。
代わりに、輪の向こうから踏ん張る力が返ってくる。ダイキの両足が、次に来るガレスを迎えようとしていた。
左の棚で床板が鳴り、右から薬草の束が落ちた。
音は二つ。
敵意は一つ。
私の左後ろで、細い刃のように尖った。
(左後ろ! 避けて!)
背中が冷え、左肩を引かれる。心の中の叫びが、そのまま身体を動かしたい衝動になって輪を走る。
ダイキが左を向いた。
棚の陰から現れたガレスの目が、わずかに開く。
ダイキの棍棒が、振り下ろされた短剣を横から叩いた。
けれど、ガレスは弾かれた腕を止めない。刃先を私へ向けたまま、ダイキの脇を抜けようとする。
ダイキが、私を背中へ隠すように一歩下がった。
短剣がその左腕を掠める。
「ダイキ!」
「浅い!」
棍棒が返り、ガレスの短剣を外へ叩いた。ガレスは中央の通路へ退くと、すぐ棚の陰へ消えた。
ダイキの袖に細い裂け目ができている。
届いた。
「左は分かった」
ダイキは棚を見たまま言った。
「けど、あいつ、俺がハナを庇うんも見てる」
傷つかないで。
私を置いて前へ出ないで。
その願いは胸に抱えたまま、次に渡す方向だけを探す。
ガレスが棚の向こうで床を蹴る。
右、左、また右。足音が私たちの周りを回り、途中から消えた。
輪の向こうで、ダイキの重心が前へ傾く。
――次も頼む。
言葉はない。それでも、足がそう言っていた。
ガレスの敵意が、私へ向く。
喉が縮んだ。
杖先に水が集まり、小さな球になる。同時に、水色の輪が薄くなった。
水球なら、自分を守れる。
けれど、それを撃った瞬間、ダイキの死角が戻る。
現実では何も動かせないダイキが、ここではいつも私の前へ出てくれた。
今度は、私があの人を動かす番だ。
杖先を下げる。水球が床で弾けた。
「撃たないのですか」
左壁のユリウスが、細い杖を私へ向ける。
答えない。
ダイキの背中だけを見る。
(怖くてもいい。今は、方向だけ)
棚の右で木が軋んだ。
ダイキの顔がそちらへ動く。
違う。
右の音は囮だ。
ガレスは左の棚を抜け、ダイキの背後へ踏み込んでいる。もう短剣を引いていた。
声にしたら遅い。
(こっちよ! ダイキ!)
私は心の中で叫び、ダイキの左肩を掴むつもりで腕を引いた。
指は届かない。
それでも、水色の輪が強く脈打った。
ダイキの肩が、見えない手に引かれたように回る。
短剣が振り下ろされるより先に、棍棒がその横腹を叩いた。
硬い音が薬材倉へ響く。
ガレスの踏み込みが止まり、姿が完全に現れた。ダイキは棍棒を戻さず、肩から押し込む。
ガレスが二歩、三歩と下がる。
レティシアさんの椅子から離れていく。
「今の、声ちゃうよな」
ダイキが一瞬だけ私を見る。
「聞こえる前に、身体が動いた」
胸が熱くなり、今度は隠せなかった。
(よかった。ダイキ、よかった)
ダイキが私の顔を見て、困ったように片方の眉を下げた。
「大丈夫や。ちゃんとおるで」
声にしていないのに、顔を見ただけで返事をくれた。
泣きそうになるより先に、ガレスが短剣を構え直す。
「先に見つかったら、速さが落ちるんか?」
ダイキの問いに、ガレスは答えない。水色の輪へ目を落とし、次に私を見る。
気づかれた。
今度は最初から、私を切り離しに来る。
こめかみの奥が脈打つ。輪の端も薄くなっていた。
もう長くはもたない。
私がガレスの狙いを渡し、ダイキが先に向けば、あの速さを消せる。
ダイキが右足で床を踏み、棍棒を腰の横へ下げた。大きく振りかぶらず、近づいた瞬間に打つつもりだ。
その時、正面扉の近くで銀の指輪が回った。
ユリウスは左壁に沿って、倉庫の外へ一歩下がっている。
「ところで」
初めて、笑みが深くなった。
「不老長寿の噂は作り話だと仰っていましたが――」
細い杖が、まっすぐダイキへ向く。
「あれは、嘘ですね」




