6.三本傷の先
石の裏に刻まれた、三本の白い傷。
カゲマルが別れる前に言っていた。
道が分かれたら、馬車から見えへん側へ三本傷を残す。
後ろから追う俺たちには見えるようにする、と。
「右ちゃう。レティシアさんは真ん中や!」
中央の道へ駆け込む。
「忍者さんのお絵描き、続きあるかな」
ノクティスが楽しそうについてくる。
道はすぐに木々の間へ入り、緩い上り坂になった。
馬車の姿は見えへん。地面にはいくつもの轍が重なり、どれが追っていた車輪の跡か、俺には見分けられなかった。
分かれ道が見えるたび、喉の奥が乾く。
もし、次の三本傷がなかったら。
カゲマルまで馬車を見失っていたら。
道がまた二つに分かれている。
ミラが、真っすぐ伸びる道の入口を指した。
「あった! また三本!」
入口に立つ木の裏側に、新しい傷が並んでいる。
カゲマルは、まだ幌馬車を見失ってへん。
「真っすぐ!」
泥を蹴って、坂を上る。
前を走るハナの杖が何度も枝に当たった。ナオユキが後ろから枝を盾で押し上げ、ミラとノクティスを通す。
息を吸うたび、喉が痛い。
それでも、足は止めへん。
レティシアさんは生きている。
そう信じて走ってきた。
けど、捕まえた連中が持っていた指示には、薬学の知識を吐かせるまでは殺すなと書かれていた。
聞き出したあとまで、生かしておくとは書いてへん。
木立が途切れた。
崩れかけた石壁の向こうに、古い建物が立っている。
横に長い一階建てで、窓は板で塞がれている。
門柱に残った看板には、かすれた文字で『王都薬学研究所 薬材倉』と書かれていた。
建物の裏に、青い幌が見えた。
車輪には、坂道の泥がついたままや。
馬は荷運び口の脇へ繋がれ、荒い息を吐いている。
「あった……!」
石壁を越えようとした瞬間、壁際の茂みから手が出た。
「待つでござる」
灰色の袖が俺を茂みの陰へ引く。
頭巾を被ったカゲマルが、人差し指を口元へ立てていた。
「レティシアさんは?」
声を押し殺す。
「中でござる。手を縛られ、幌馬車から降ろされた。御者と見張り二人は、裏の幌馬車へ戻っている。三人とも、上着に波越商会の印をつけていたでござる」
生きてる。
詰めていた息が漏れた。
けど、まだ扉一枚の向こうや。
「なんで止めへんかったん?」
「拙者一人が飛び込めば、最初に刃を向けられるのは囚われた女性でござる」
「レティシア殿が荷運び口へ入れられ、扉が閉まるまで見届けた。それから外を一周したでござる」
カゲマルが地面へ折り畳んだ地図を広げた。
幌馬車が停められた裏手まで、建物の形が描かれている。
「出入口は二つ。正面の両開き扉と、裏の荷運び口だけ。中は仕切りのない、一つの倉でござる」
「さすが忍者!」
ミラが声を弾ませる。
「されど、関門の右へ続く道は、この建物の東側へ回り込んでいる」
カゲマルの指が、地図の右端をなぞった。
「ユリウスたちも、いずれここへ戻るやもしれぬ」
その時、右の林から馬の蹄が響いた。
カゲマルが地図を畳む。
「伏せるでござる」
崩れた石壁の陰へ身を寄せる。
俺たちが走ってきた中央の道とは別に、建物の右側から古い道が続いていた。
三頭の馬が木立を抜ける。
先頭はユリウス。その後ろに、ガレスとギルが続いていた。
三人の乗った馬は、腹を大きく上下させている。
「追ってこねえな」
ギルが後ろの道を振り返った。
「右へ誘導した。しばらくは来ない」
ガレスは馬から降りると、右の道へ一度も目を向けへん。
「話しすぎましたからね。念のため、急ぎましょう」
ユリウスとガレスは、馬を正面の柱へ繋いだ。
ギルだけが裏手へ回り、幌馬車のそばにいた見張り二人へ顎をしゃくる。
「お前らも来い。裏を守るぞ」
槍持ちと剣持ちが、ギルのあとに続いて荷運び口へ入る。
幌馬車のそばには、御者だけが残った。
ユリウスとガレスも、正面扉から建物へ入っていった。
石壁の向こうで、正面の扉が閉まる。
「二つなら、こっちも二手に分かれる」
ナオユキが裏手を指した。
「俺とミラ、ノクティスは荷運び口へ回る。ダイキとハナは正面だ」
「拙者は外の御者と馬を押さえるでござる」
カゲマルが、裏に停まった青い幌へ目を向ける。
「中の五人を押さえても、レティシア殿を乗せて逃げられては終わりゆえ」
「頼む」
「俺が声を上げたら、同時に入るで」
ナオユキが頷いた。
ナオユキたちが建物の右側へ回る。
カゲマルはさらに奥の幌馬車へ消えた。
俺とハナは、崩れた石壁から正面扉まで走った。
両開きの扉は閉まっている。右の扉だけ少し反り、中央に指一本ほどの隙間があった。
俺は扉の脇へしゃがみ、隙間へ耳を寄せる。
「薬屋の地下で、何を見たのです?」
ユリウスの声や。
「あそこで何を作っていたのか。誰かへ話したのか。それだけ答えていただければいい」
「答えれば、私を帰してくださるんですか?」
「それは、あなたの答え次第です」
「なら、何度聞かれても同じです。あなた方へ話すことはありません」
レティシアさんの声や。
ハナが俺の腕を両手で掴んだ。
「生きてる」
小さな声が震えている。
間に合った。
そう思った直後、ユリウスの穏やかな声が聞こえた。
「では、質問を変えましょう」
俺の腕を掴むハナの指に、力がこもる。
「青い花について、知っていることを話していただきましょう」




