4.波越商会
岬まで、もう百メートルもない。
甲板へ広げた地図には、三つの細い入り江が並んでいる。
どれか一つを外せば、その間にレティシアさんは馬車へ乗せ替えられる。
今度こそ、陸へ消える前に追いつきたい。
「決めてくれ! 岬を回ってからじゃ間に合わない!」
船長が舵輪を握ったまま叫ぶ。
カゲマルの指が、地図の左から順に動いた。
「西は漁師浜。中央は、王都へ薬材を運んでいた古い桟橋。東は石切場跡でござる」
地図を一目見る。
中央の入り江からだけ、太い道が内陸へ伸びている。
「中央や!」
「なんで?」
「馬車が通れる道が続いてるのは、そこだけや!」
船長が舵輪を右へ回す。
高速連絡船の甲板が大きく傾き、地図の重石がずれた。
カゲマルとセレスが両端を押さえる。
「真ん中の入り江へ入ってくれ!」
「了解! 全員、つかまれ!」
船員が帆綱を引く。
白い帆が風を受け直し、船首が岬の岩をかすめるように曲がった。
岩壁が、船の右を流れていく。
岬を抜けた。
中央の入り江に、白い帆が見えた。
半分まで下ろされ、岩陰の桟橋へ横づけされている。
「《海燕号》!」
ハナが手すりから身を乗り出した。
「当たった! 真ん中だ!」
ミラが俺の肩を叩く。
「かくれんぼ、あんまり上手じゃないね」
ノクティスが、岩陰の白い帆を眺めている。
「見つけた」と息を吐きかけた。
けど、桟橋の奥では、一台の幌馬車が石道の坂を上っていた。
「レティシアさん!」
ハナの声は届かない。
幌馬車は木々の間へ入り、屋根が見えなくなった。
「もっと寄せてくれ!」
「あの桟橋は浅い! 船底が当たる!」
高速連絡船が速度を落とす。
桟橋まで、まだ二メートル。
「俺が先に行く」
ナオユキが盾を背へ回し、手すりへ足を掛けた。
「いや、俺が――」
「お前は一回、海へ落ちただろ。今度は待て」
言い返す前に、ナオユキが跳んだ。
桟橋へ着地し、すぐに振り返る。
船と桟橋の間が、一メートルまで狭まった。
「来い!」
手すりを越える。
ナオユキが伸ばした腕を掴み、桟橋へ飛び移る。
ハナ、ミラ、ノクティスも続いた。
ナオユキが、《海燕号》の甲板へ盾を向ける。
三人の船員は武器を捨て、両手を上げた。
船倉の扉は開き、積まれていた塩樽は半分以上なくなっていた。
「《海燕号》の三人を確保してください!」
セレスが高速連絡船の船員へ命じる。
自分も桟橋へ飛び移り、カゲマルとノアが続く。
セレスは、係船杭から下がった真鍮の荷役札を裏返した。
波を越える船の印。
その下に、波越商会の文字が刻まれている。
「波越商会の印なん?」
「ええ。蒼海商会の傘下です」
セレスは札から手を放し、もう坂へ向かっていた。
桟橋から馬車が止まっていた場所まで、濡れた靴跡が続いている。
大きな靴跡が二人分。
その間に、細い靴の爪先を何度も擦った線が残っていた。
ここでも、レティシアさんは抵抗した。
「追おう!」
ハナが石道へ走り出す。
俺たちも坂を駆け上がった。
カゲマルは地図を開いたまま走り、ノアとセレスがその後ろへ続く。
「この先の旧関門まで、一本道でござる!」
「そこまでに追いつける?」
「馬車の方が速い。されど、先には古い関門がある。荷を積んだままでは、曲がる時に速度を落とすでござる!」
木々の間を、石道が真っすぐ上っている。
濡れた轍は新しい。
左右へ散った泥が、まだ乾いてへん。
カゲマルが走りながら、地図の石道を指でなぞった。
「この道は、拙者が自分の足で調べ、地図へ記した道でござる」
「それなら、どうなるん?」
「十秒だけなら、馬より速く走れる」
カゲマルが地図を筒へ戻す。
「拙者が先に追いつく。されど、一人で襲えば、レティシア殿を人質にされるやもしれぬ。馬車は止めず、隠れて追うでござる」
「頼む。今度こそ、行き先だけは見失わんといて」
「承知」
「道が分かれたら、馬車から見えぬ側へ三本傷を残す。後ろから来るそなたらには見えるでござる」
カゲマルが腰を落とした。
「忍法、《踏破縮地》」
右足が石道を蹴る。
灰色の背中が一気に遠ざかり、二度目の瞬きをする前に木々の向こうへ消えた。
「速っ!」
ミラの声が後ろへ流れる。
驚いてる暇はない。
あいつが馬車を追えている間に、俺たちも関門まで行かなあかん。
石道の先に、崩れかけた関門が見えた。
門を抜けたところで道が三つに分かれ、轍が何本も重なっている。
幌馬車は、もういない。
カゲマルの姿も見えへん。
関門の手前で、足が止まる。
門柱の前に、四人の男が立っていた。
先頭にいるのは、上品な濃紺のローブを着た細身の男。
きれいに撫でつけた髪に、右手の杖。
森の中で会った時と同じ、薄い笑みを浮かべている。
ユリウス。
その右には、黒い短髪のガレス。
左では、ギルが大槌を肩へ担いでいる。
船で俺の綱を切った二人まで、ここで待っていた。
残る一人だけは知らん。
派手な青い上着に、指輪をいくつもつけた男が、値踏みするみたいに俺たちを見ている。
四人の後ろには、鞍をつけた馬が一頭ずつつながれていた。
こいつら、戦うためだけに待ってたんやない。
いつでも三つの道へ逃げられるようにしてる。
「お久しぶりです、ダイキさん」
棍棒を握り、男へ向ける。
「レティシアさんをどこへやった」
ユリウスは笑みを崩さなかった。
「彼女がなぜ巻き込まれたのか知りたいのでしたら、先に一つ考えてください」
杖の石突きが、濡れた轍の上へ置かれる。
「あなた方は、この国が誰の意思で動いていると思いますか?」




