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3.船上の監視者

高速連絡船が、アクアポートの港を飛び出した。

船首が波を叩くたび、甲板が足元から跳ねる。

けど、前に見えるのは水平線だけやった。


《海燕号》の白い帆は、どこにもない。


「このまま王都へ直行します」

セレスが、船尾へ遠ざかる港から目を戻した。

「私たちが先に着けば表港で待つ。途中で追いつけば、入る桟橋まで追います」


「気づかんまま、追い越すことは?」

「同じ航路なら、その前に船影が見えます。見張りも増やしました」


まだ、間に合う。

先に着いても、途中で追いついても、次に探すのは王都のどこへ入るかや。

濡れた服の上から、船員に借りた毛布を巻く。

懐には、折れた銀縁眼鏡を入れていた。


レティシアさんが船の中にいるなら、今度こそ見失いたくない。

王都で船を降ろされたら、また別の馬車や地下道へ移される。

そうなる前に追いつきたい。


「屋根の人。ご飯、終わったみたい」

ノクティスが俺の毛布を引いた。

「屋根の人?」


指の先に、灰色の頭巾を被った男がいる。

口元まで布で覆い、背中には巻物みたいな地図筒を何本も差していた。

船の中央へしゃがみ、白い地図に細い線を書き込んでいる。


腰には、真鍮の遠眼鏡。


第七倉庫の屋根から、俺たちを見ていた男や。


「あいつ……!」

俺が立ち上がると、ナオユキも盾へ手を掛けた。

男はペンを止め、こっちを見上げる。


「出航直前、星巡りの身分証を示して同乗を求めた方です」

セレスも、男の忍者みたいな格好を見直した。

「第七倉庫で屋根の上にいたことは、今知りましたが」


男は口元の布を下げ、その場で片膝をついた。


「星巡り参謀、カゲマルでござる」


「……忍者?」

「左様」


カゲマルは大真面目に頷いた。


「それで、忍者がなんで俺らを見てたん?」

「拙者が追っていたのは、そなたらではなく、第七倉庫へ出入りする荷でござる」


カゲマルは立ち上がり、船の中央に広げていた地図をこちらへ向けた。

第七倉庫を中心に何本もの道が伸び、脇には日付と荷の数が並んでいる。


「これ、全部あんたが調べたん?」

「左様。拙者の職業は《忍地図師》。調べた道と荷の記録を、地図へ残しているでござる」


この忍者、見た目だけやない。


「幼き頃から、忍者になるのが夢だったでござる。プレイヤー……もとい、帰還魂としてこの世界へ来て、ついに夢が叶ったのでござるよ」

「夢の叶え方が、思ってたより本気やな」

「三十三にして、ようやく忍びの道へ入れたでござる」

「年齢まで自分で言うんや」


ミラが口元を押さえて笑う。

ナオユキは盾から手を離してへんけど、さっきより眉間の皺が減っていた。


「星巡りは、海霧迷宮に現れた白い蜘蛛を追っているでござる」

あの巨大な腹と、何本も重なった脚が頭に浮かぶ。

「ああ。俺らが倒したやつやな」


カゲマルが口を半開きにした。


「……そなたらが?」

「せやけど」


カゲマルの視線が、俺の病院服から棍棒へ落ちた。


「おお! そなたらが、白潮旅団でも敵わなかった白い蜘蛛を倒した、噂の新人パーティでござったか!」

「なるほど。病院服に棍棒。確かに、噂どおりの変な格好でござるな!」

「やかましいわ! ってか、俺の格好が噂になってるん!?」

病院服の裾を摘まむ。

「マジで、そろそろ着替えさせてくれ!」


カゲマルは返事をせず、地図の海霧迷宮へ指を置いた。


「ならば話が早い。拙者たちは、そなたらが倒した白い蜘蛛がどこから来て、なぜ魔物を食べて巨大化したのかを調べているでござる」


「迷宮の外から、白い蜘蛛そのものか、巨大化の原因が持ち込まれたのかもしれぬ。そこで、迷宮の周りへ出入りした商人と荷を洗ったのでござる」


カゲマルの指が、地図の上を一本の線に沿って動く。


「その中の一つが第七倉庫へ入り、そこで記録が途切れた。拙者が倉庫へ着いた時には、門の前に新しい轍だけが残っていたでござる」


「ほな、屋根で何してたん?」

「轍を確かめる前に、そなたらが倉庫へ駆け込んだのでござる。荷を追う側か、証拠を消しに来た側か分からず、屋根から見定めていたのでござるよ」


「監査官殿が、倉庫を封鎖する書類を使いへ託した。それで、そなたらが追う側だと分かったでござる」


カゲマルの指が、地図の第七倉庫から港湾管理の事務所へ動いた。


「拙者は屋根を下り、監査官殿の身分と倉庫の記録を確かめに行った。そのあと、同じ一行が高速連絡船へ乗ろうとしているのを見たのでござる」


「それで、俺らが第七倉庫から出た荷の行き先を掴んだと思ったん?」

「左様。ゆえに星巡りの身分証を示し、同乗を頼んだ次第でござる」


話の筋は通っている。

けど、それだけでは味方と決められへん。


カゲマルは地図を裏返し、白い面を上にした。


「拙者の話は以上。今度は、そなたらが何を追っているのか聞かせてほしいでござる」


俺たちは互いの顔を見た。

屋根から俺たちを見ていた理由は分かった。けど、さっき名乗ったばかりの相手に、全部話してええんやろか。


「ただ聞かせろとは言わぬ。拙者は星巡りの一員。話してくれれば、地図と各地の記録から、役に立てることもあると思うでござるよ」


「星巡りなら、話してもいいと思う」

ナオユキが盾から手を離した。

「未踏の迷宮を調べて、地図を作り、各地の異変を集めている。探索なら、知らない奴の方が少ない大手クランだ」


ナオユキがそこまで言うなら、信用してみてもええ。


セレスが答える。

「薬学研究者が連れ去られました。レティシア・ハルシオン。《海燕号》で王都へ運ばれています」


「ふむ。されど、拙者はその方のことも、事件の始まりも知らぬ」


カゲマルがペンを構える。


「最初から聞かせてほしいでござる」


懐の眼鏡へ触れる。


「レティシアさんは、薬学の研究者や。俺らがノースポートから、ここまで護衛してきた」


アクアポートから船で王都へ向かう予定やった。

けど、船酔いがひどいレティシアさんは、先に荷物を船へ預け、自分は酔い止めを探しに薬屋街へ行った。


「最初の売り子からは、薬を買わなかったんだよ」

ミラが指を一本立てた。

「成分を聞いて、もっと効く薬を売ってる店を紹介してもらったの」


レティシアさんが向かった薬屋は、その翌日から急に店を閉めた。

俺たちが中へ入ると、床下に隠された加工場があった。


「表で売っていた薬とは違う、黒い薬液を作ってた」

ハナが杖を握り直す。

「中にいた人たち、書類を燃やして、何かを隠そうとしてた」


カゲマルのペンが動いた。

白地図の上へ、大きな文字が一つ書かれる。


――レティシアは、何を見た?


「これが一つ目の謎でござるな」


一目で分かる。

俺たちも、ずっとその答えを追ってきた。


「薬屋から逃げた男を追って、レティシアさんを運んだ中継先が第七倉庫やと突き止めた」


倉庫から出た幌馬車を追った。

けど、途中でレティシアさんは正規の塩荷へ積み替えられ、最後は《海燕号》へ乗せられた。


カゲマルのペンが止まる。


「拙者が追っていた不審な荷と、同じ第七倉庫でござるか」

「せや。どっちも同じ事件かは、まだ分からんけどな」


「同じ倉庫を使った者の行き先なら、拙者の調査にもつながるやもしれぬ」

カゲマルは真鍮の遠眼鏡を外した。

「それに、白い蜘蛛を倒した本人たちから話を聞ける機会を、逃す手はないでござる」


「レティシアさんを助けたあとなら、いくらでも話す」

「交渉成立でござるな。《海燕号》の追跡、拙者にも手伝わせてほしいでござる」


「船がどこへ入ったか、地図に残せるん?」

「見えている間なら、《遠景写図》で進んだ経路を記録できるでござる」


見つけるまでは、船員と同じように目で探すしかない。

それでも、島影へ消えるまでの道を残せるなら助かる。


「分かった。一緒に探して」


話は、まだ終わってへん。

船員から借りた重石で書類の端を留め、焦げ残った指示書を白地図の横へ置いた。


黒書商会の印。

その下に、途中まで残った命令がある。


――薬学の知識を吐かせるまでは、殺すな。


カゲマルが、その一文を二度読んだ。

白地図へ、もう一つの問いを書く。


――なぜ、殺さず王都へ運ぶ?


「一つ目は、レティシア殿が何を見たか。二つ目は、なぜ口を塞ぐだけでなく、生かして運ぶのか。今追うべき謎は、この二つでござるな」


「うん。んで、考えたんやけど、青い花が手掛かりなんやないかなと思う」


「青い花?」


カゲマルとミラの声が重なった。

ナオユキも眉を寄せる。


セレスは、黒書商会の印を押さえていた指を一瞬止めた。

「それは、どのような花ですか?」

すぐにいつもの穏やかな声で聞き返す。


そういや、ナオユキとミラには、まだ青い花の話をしてへんかった。


以前、黒書商会のユリウスという男が、俺たちの持っていた青い花を三倍の値段で買おうとした。

売るのを断ったあと、ユリウスの指示で花を奪おうと襲ってきたのが、ギルとガレスや。

今回、第七倉庫の男は、その同じ二人がレティシアさんを連れていったと証言した。

そのうえ、薬屋地下の指示書には、黒書商会の印が押されている。


青い花を奪おうとした連中が、今度は薬学研究者を攫った。

ここまで重なって、無関係とは思えへん。


「青い花は、薬にも毒にもなる。幻覚を見せたり、聞こえる音を狂わせたり、記憶を混乱させたりもできるらしい」


「それだけじゃないよ」

ハナが、白地図へ目を落とした。

「リゼルさんは、秘薬とか、延命とか、不老長寿の噂もあるって言ってた」


カゲマルのペンが動き、白地図に「幻覚」と「不老長寿」が並ぶ。


「幻覚と不老長寿が、同じ花にあるの?」

ミラが眉を寄せた。


「ずっと生きるなら、ご飯もずっと食べるの?」

ノクティスが首を傾げた。

「そこ気になるん?」

「世界中の美味しいものを食べられるね。羨ましいな」


ミラが吹き出し、ハナの口元も少し緩んだ。


「薬屋の人たちは、レティシアさんを最初から待ってたんじゃないと思う」


ハナが、白地図の最初の問いを見る。


「なぜ、そう分かるのでござる?」


「ハナは、人の感情を拾えるんや。地下へ入った時、書類を燃やしてた連中は焦ってて、奥には怖がってる人がいた」


「最初から待ってたなら、あんなに慌てて証拠を消さないと思う」


「最初は、見られたものを隠すために捕まえた」

ナオユキが続ける。

「そのあと上へ報告して、薬学知識を利用する方へ命令が変わった。そう考えれば、急な拉致と王都への移送がつながる」


ミラが、白地図の「幻覚」と「不老長寿」を順に指した。


「普通は花を持ってるだけじゃ、薬にはならないよ。幻覚や記憶の混乱をなくして、欲しい効果だけ残すには、薬の専門家が要る」


「希少な花を一度手に入れるより、同じ薬を繰り返し作れる製法の方が、商会には価値があります」

セレスが、黒書商会の印を見ながら言った。


カゲマルが俺を見る。


「では、そなたらの今の答えは?」


白地図に並んだ二つの問いを見る。


「レティシアさんは、青い花を使った未完成の薬か、その加工跡を見抜いた」


一つ目の答え。


「最初は口封じで捕まった。けど、青い花の危ない作用を消して、不老長寿の薬を完成させるために、研究者として連れていかれた」


二つ目の答え。


まだ、どっちも仮説や。

それでも、今ある手掛かりには一番合う。


焦げた指示書を、もう一度見る。


――薬学の知識を吐かせるまでは、殺すな。


「吐かせたあとは……?」

ハナの声が震えた。


知識を吐かせたあとも守れとは、どこにも書いてへん。


懐の眼鏡を握る。

折れたつるが、手のひらへ食い込んだ。


「急ごう。レティシアさんが答えさせられる前に、見つけたい」

「うん」


ハナがすぐ頷く。

ナオユキとミラも、もう書類から目を逸らさなかった。


それから、何度も見張りを交代した。

太陽が頭上を越え、王都島の緑の稜線が水平線から浮かび上がる。

身体を休める時間も取れた。


「魔力、戻った?」

俺が聞くと、ハナが杖を握って頷いた。

「うん。水球も《支援接続》も使えるよ」


「私も。《制止矢》まで全部」

ミラが弓弦を軽く弾く。

ナオユキも盾の留め具を締め直した。


着いた先で何が待っていても、全員が動ける。


「右舷前方、白い帆!」

船員の叫びで、全員が手すりへ走った。


王都島の南西。

岬へ向かう白い帆が、爪の先ほどの大きさで揺れている。

カゲマルが遠眼鏡を向けた。


「《海燕号》でござる!」

「やっと見つけた!」


ハナの声と同時に、セレスが船長を振り返る。

「南へ! あの船を追ってください!」


船員たちが帆綱へ走った。

舵が切られ、高速連絡船の甲板が大きく傾く。


白い帆は近づいている。

けど、《海燕号》の方が岬に近い。


カゲマルが甲板へ白地図を広げ、遠眼鏡を覗いたまま片手を置く。


「忍法、《遠景写図》」


白地図の上に、細い灰色の線が伸びた。

《海燕号》が南へ曲がった道を、そのまま写していく。


「もっと速くならへんか!」

「これが限界だ!」

船長が舵輪を押さえながら叫び返す。


白い帆が、岬の岩へ重なった。

一度だけ端が見え、それも消える。

同時に、地図の線が止まった。


「見失ったでござる」


カゲマルが背中の地図筒から、別の一枚を引き抜く。

王都島の南岸に、三つの細い入り江が描かれていた。


「岬の裏で、航路が三つに分かれるでござる」

「三つとも探したら?」

ミラが聞く。


「一つ外す間に、荷を降ろされる」

ナオユキが三つの入り江を見比べた。

セレスも地図を覗き込む。


高速連絡船は、岬へ向かって波を割っている。


レティシアさんが陸へ消えるまでに、選べるのは一つだけや。

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