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1.帳簿に残った塩荷

黒い馬車が西門をくぐった。

土の街道から石畳へ変わり、車輪の音が高く跳ねる。


満ち潮は、もう始まっている。

帳簿から船着き場を一つに絞り、船が出る前にレティシアさんを取り戻す。

今は、それ以外いらん。


「港側の支店へ。監査室のある建物です」

セレスが御者台から行き先を告げた。


御者が、汗で濡れた二頭の馬を見る。

「戻るだけなら走れますが、そのまま北西岸までは――」


「支店の厩で交換します」

ナオユキがすぐに続けた。

「馬具も載せ替えてください。場所が分かったら、そのまま出ます」


「手配します」

セレスが頷く。


向かいの座席で、ハナが杖を抱き締めていた。

「レティシアさん、船が苦手だったよね」


船酔い止めを探したせいで、あの薬屋へ入った。

それなのに今度は、無理やり船へ乗せられようとしている。


「乗せられる前に止める」


ハナが小さく頷いた。


馬車は、青い波の紋章を掲げた石造りの建物へ滑り込んだ。

扉が開く前に、セレスが飛び降りる。


「今日の北西岸の荷運び帳と、小型船運航簿を監査室へ」

駆け寄ってきた職員へ、胸元の銀札を見せる。

「厩では馬を二頭交換してください。急いで」


「今からですか?」

「今でなければ、逃げられてしまいます」


職員が建物へ走る。

もう一人が馬の手綱を取り、俺たちはセレスを追って二階へ上がった。


監査室の長机へ、二冊の帳簿が置かれる。


ノクティスが壁一面の棚を見上げた。

「本がいっぱい。どれが一番やわらかい?」


「枕選ぶ場所ちゃうで」

「全部、硬そう」

「試さんでええ」


セレスは荷運び帳を開き、今日の日付まで指を滑らせた。

商会の名前と、その横に運んだ荷が並んでいる。


「塩を扱う商会は四つあります」


四つ。

一つずつ荷馬車を探していたら、船が先に出る。


「あの荷台に残ってたん、塩だけやない」


セレスが顔を上げる。


「濡れた縄から、古い魚油の匂いがしたんやろ。塩と魚油、両方を扱ってる商会は?」


セレスの指が、四つの名前を上からたどる。

二つ目で止まった。


「波越商会だけです」


その名の横には、粗塩、魚油、干し魚。


「今日、波越商会の塩荷は出てる?」


波越商会の塩荷が一台、北西塩場から出ていた。


「ちゃんと書いてあるん?」

「荷馬車も塩も、正規のものですから」


セレスの指が、帳簿に残った一行を押さえる。


「隠したのは塩荷ではありません。その荷台に誰を乗せたかです」


正規の塩荷から樽を一つ降ろし、その場所へレティシアさんを乗せる。

帳簿の上では、塩を運んだだけ。記録を消す必要すらない。


「船は?」


セレスが二冊目を開く。

波越商会の欄に、今日動く船の名前は一つしかなかった。


小型船《海燕号》。

船を寄せる場所は、鴎崎。

時刻は、満ち潮。


「鴎崎って?」

ミラが聞く。


「波越商会の廃塩倉がある場所です」

それまで帳簿を覗いていたノアが、北西岸を指した。

「倉の裏に、満ち潮の間だけ船を寄せられる古い桟橋があります」


低い鐘の音が、窓を震わせた。

一度。少し間を空けて、もう一度。


「船を桟橋へ寄せられる水位になった合図です」


中庭から、新しい馬の嘶きが聞こえた。


「行くで」


帳簿を閉じ、階段へ走る。

場所も、船の名前も分かった。

あとは、出る前に追いつくだけや。


交換した馬が石畳を蹴る。

黒い馬車は西門を抜け、北西岸へ向かう街道へ飛び出した。


ハナは窓枠を掴み、前だけを見ている。

「間に合うかな」


「きっと大丈夫や」


そう答えた直後、車輪が石を踏んで車内が跳ねた。

ミラが座席から浮き、慌てて弓を抱える。


「速い! いや、急いでって言ったけど!」

「もっと速くていいです!」

「ハナまで言うん!?」


ノクティスが窓の外へ顔を向けた。

「海燕って、空も飛ぶ?」

「船やから飛ばへん」

「そっか。じゃあ追いつけるね」


追いつかなあかん。

今度こそ、空の荷台を見るだけでは終われへん。


街道を外れ、海沿いの坂へ入る。

潮の匂いが濃くなった。


坂の途中に、幌のない荷馬車が止まっている。

荷台には塩樽が並び、後ろの一角だけ、樽一つ分が空いていた。


「あれや!」


御者が手綱を引きかける。


「止まらんでええ! 先に船や!」


塩荷を追い越す。

荷馬車の先には、灰色の倉が海を隠すように建っていた。


鴎崎廃塩倉。


黒い馬車が建物の脇へ回り込む。

裏手に、海へ突き出した古い木の桟橋が見えた。


その先で、白い帆が膨らんでいる。


「待て!」


馬車が止まり切る前に飛び降りた。

桟橋を走る。


太い綱が、船の上から海へ投げ落とされた。

船と桟橋の隙間が、ゆっくり広がっていく。


「レティシアさん!」


返事はない。


船尾に、《海燕号》の白い文字が見えた。


俺たちが探し当てた船は、目の前で岸を離れ始めていた。

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