5.閉じた薬屋
店へ踏み込んだ俺の鼻へ、乾いた薬草と油の匂いが流れ込んできた。
棚には酔い止めの小瓶、軟膏、滋養薬の包み。表だけ見れば、どこにでもある船旅用の薬屋や。
けど、さっきまで聞こえていた音がない。
「引きずる音、聞こえない」
ハナが店の奥を見る。
俺も帳場の向こうへ目を走らせた。
人影はない。
裏へ続く扉が、わずかに揺れているだけやった。
帳場の椅子は倒れ、床には開いた薬包が落ちている。
粉末が、扉へ向かって細く引き延ばされていた。
閉店したまま放置された店やない。
ついさっき、誰かがここを通った。
「ダイキ、下がれ」
追いついたナオユキが俺の前へ盾を入れた。
「ここからは俺が前に出る。店の奥が見えない」
「でも、早く追わな」
「追うのは止めない。盾より先に出るな」
「ハナが人の感情を拾えても、扉の向こうの罠までは分からない」
ナオユキが奥歯を噛み締める。
それでも盾は店の奥へ向いたままで、俺とハナを外へ戻そうとはしなかった。
「ハナは俺の後ろ。ダイキは右、ミラは左を見ろ」
ハナが裏の扉を見たまま、一歩下がる。
俺も盾の前へ出ていた足を引いた。
追うのをやめるんやない。
罠へ、頭から飛び込まないためや。
ナオユキが盾を前にして帳場へ進む。
ドイルは右の棚沿い、ミラは弓を構えて左の窓際へ回った。ズーリンは床へ落ちた錠前を一度見てから、深く息を吐く。
「壊したものについては、後でまとめて話します」
「弁償なら任せろォ!」
入口から赤モヒカンが胸を叩いた。
「あなたが払えば済む話ではありません」
「社長の得意分野、だいたい金で済ませることだからなァ」
「黙って見張っていてください」
ズーリンの声が冷たい。
赤モヒカンたちは揃って口を閉じ、入口と裏路地へ散った。
ズーリンが俺たちへ向き直る。
「許可はまだ下りていません。商品と帳簿には触れないでください」
「探すのは、人と逃げ道だけだな」
ドイルが短剣の先を下げたまま、帳場の奥を見る。
怒られるのは、レティシアさんを見つけた後や。
今は、誰が何を引きずり、どこへ運んだのかを一秒でも早く探す。
「誰も出てないんだよね」
ミラが窓の布をめくり、外へ目を向けた。
「正面も裏も、出てねェ!」
外から赤モヒカンの声が返る。
ガレスとギルがいたなら、まだ店の中にいるはずや。
そう思って踏み込んだ。
それなのに、表の店には誰もいない。
このまま何も見つからなければ、壊した扉と空の店だけが残る。
窓は内側から塞がれ、布の端には埃が積もっている。
無理に外した跡もない。
屋根へ上がる梯子も見当たらへん。
正面でも、裏でも、窓でもない。
消えた場所さえ見つかれば、まだ追いつける。
床へ落ちた薬包の粉は、裏の扉まで細く続いている。
俺は粉の先を指した。
「まず、あの扉や」
ナオユキが盾を構え直す。
ドイルが扉の横へ立ち、俺たちを振り返った。
「開けるぞ」
全員が頷く。
ドイルが取っ手を引き、ナオユキが盾を先に入れた。
扉の向こうは、表から想像したより広かった。
壁際に、人の胸ほどもある木箱が積まれている。中央には作業台が二つ。片方の台は濡れていて、黒ずんだ薬液が拭き残されていた。
甘い匂いがする。
その奥へ、腐った草みたいな臭いが絡んでいた。
「うわ……なに、これ」
ミラが鼻を押さえ、一歩下がる。
けど、すぐに作業台へ目を戻した。
「船酔い止めじゃない。少なくとも、表に並んでる薬と同じ匂いは一つもない」
「分かるの?」
俺が聞くと、ミラの返事が一拍遅れた。
「ほら、全然さわやかじゃないし」
「薬の見分け方が雑すぎへん?」
「でも嗅いだら分かるでしょ。甘いのに、奥だけ腐ってる」
言い方は雑でも、ミラは笑っていなかった。
黒い染みへ顔を近づけず、台に残った薬草の形だけを追っている。
ノクティスが鼻を押さえた。
「甘いのに、食べたくない匂い」
「それ、普通に危ない匂いやろ」
ズーリンも口元を布で覆う。
「成分は断定できません。ただ、通常の船旅用薬を作った跡ではありません」
「閉店中に運び込んだ箱は、こっちか」
ドイルが壁際を示した。
木箱の前から、二本の白い傷が作業台へ向かって伸びている。
何か重いものを動かした跡。
さっき外で聞いた音と同じや。
「レティシアさんが、これを見つけたのかな」
ハナは濡れた作業台を見ていた。
その手が、服の裾を強く握っている。
船酔い止めを買うだけなら、表の棚で済む。
でも、レティシアさんは売り子へ使っている薬草まで聞き込んだ。
この匂いに気づいて、作業場まで入ったのかもしれない。
そこで、見られたら困るものを見つけた。
レティシアさんが、この作業場を見た。
その翌朝、店は閉まった。
「ここで、誰かが慌ててた」
「店の人が?」
「分からない。隠したい人と、怖がってる人がいた」
ハナが目を閉じる。
一度、作業台へ顔を向ける。それから、ゆっくり床へ視線を落とした。
「違う。怖がってる人は、まだ下にいる」
ナオユキの盾が下がりかけ、すぐに戻る。
「地下か?」
部屋を見回す。
階段はない。地下室へ続く扉も見えへん。
けど、二本の傷は外へ向かわず、作業台の下へ伸びている。
ガレスとギルも、表や裏から出ていない。
なら、出口は横やない。
「下や」
俺は作業台の手前へしゃがんだ。
白い擦り傷は、作業台の二本の脚まで続いていた。
傷と傷の間隔も、脚の幅とぴったり合っている。
箱を引きずった跡やない。
この作業台を、何度も同じ方向へ動かした跡や。
赤モヒカンが入口から首を伸ばした。
「台の下、見てみろォ」
作業台の下には、乾いた薬草の粉が溜まっていた。
その粉が、窓も開いていないのに、台の奥から手前へ流れている。
床へ手を近づける。
冷たく湿った空気が、指の間を抜けた。
「この下から風が出てる」
赤モヒカンが作業台の脚を指す。
「脚に革紐が巻いてあんだろ。重い台を動かす時の持ち手だァ」
「知識の出どころが怖いな」
「俺らは真っ当だァ! そういう業者を見つける側だァ!」
ズーリンが作業台の周囲を確かめる。
それから、作業台の脚に巻かれた革紐を掴んだ。
「ドイル。右を」
「了解」
二人が作業台を持ち上げる。
ナオユキと俺も反対側へ手をかけ、音を立てないよう横へずらした。
下から、四角い床板が現れた。
板の端には鉄の取っ手が埋め込まれている。
「隠し扉……」
ミラが弓を握り直した。
赤モヒカンが指笛を二度鳴らす。外に残った仲間たちが、表と裏を塞ぎ直した。
「ここから先は、何がいるか分かりません」
ズーリンが俺たちを見る。
「外周は彼らに任せます。ドイルと私は地下へ」
「俺が先頭だ。ハナとミラは俺の後ろ」
ナオユキが盾を床板へ向けた。
さっきまで反対していたのに、もう降りる順番まで決めている。
「ダイキは?」
「俺の横。勝手に先へ行かない場所だ」
「信用取り戻す機会すらないん?」
「さっき自分で捨てただろ」
言い返そうとした時やった。
ハナが床板へ手を近づけたまま、動きを止めた。
「いる」
「誰が?」
ハナは床板から目を離さない。
「分からない。でも、さっきの怖がってる人」
「この下にいる」
声に迷いはなかった。
詰めていた息が、一気に漏れた。
レティシアさんかは、まだ分からない。
それでも、誰かが生きている。
今度こそ、痕跡だけを見送らずに済むかもしれない。
ハナは床板から手を引き、杖を握った。
取っ手を見たまま、俺が動くのを待っている。
「開けるで」
俺とナオユキが床板の左右へ回る。
ドイルが短剣を抜き、ズーリンが口元の布を結び直した。ハナとミラは、その後ろで杖と弓を構える。
ノクティスもミラの背後へついた。
鉄の取っ手を引く。
床板が、ぎい、と持ち上がった。
冷たい空気と、湿った草の匂いが吹き上がる。
下には、人一人が通れる狭い階段が続いていた。
下からは、何の音も返ってこない。
ハナが杖を握ったまま、階段の闇を見つめる。
「怖がってる人の近くに、ほかにもいる」
ハナが杖を握り直した。
「その人たち、急に静かになった」
2026/8/15 大筋や伏線などは変更してませんが、全話表現などを見直しました




